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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
6. 宴の支度
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イシュテン土産 アンネミーケ

 アンネミーケはイシュテンから戻った臣下の報告を聞き終えて、深い溜息を吐いた。息子である王太子マクシミリアンのしでかしたことに失望し、かつ心からの恐怖を覚えたのだ。


「イシュテン王は墜死の塔の故事を引いたか……」


 自らの奉じる戦馬の神を侮られた数代前のイシュテン王は、ブレンクラーレの大使を高い塔から投げ落としたという。息子も危うく同じ運命を辿るところだったのか。


「言葉での脅しに止めてくれたとは寛容なこと」


 なにかというとすぐに武力に訴えるイシュテンらしからぬことだった。当代のイシュテン王は意外と常識があるらしい。それでも十分に苛立ったのだろうが、愚息の言動を聞いた限りでは無理からぬことと言うほかなかった。


 ――まさか本当に複数の妻を持つ気分を尋ねるとは……。


 それも、言葉を飾らず堂々と。王妃とその父のいる前で。

 他国の宮廷ならば口の利き方に気を配るだろうという母の期待はものの見事に裏切られたことになる。


「地上の全てを見そなわす睥睨する(シュターレンデ)鷲の神(・アードラー)のご加護と存じます」

「まことに」


 臣下の言は、普段の彼女であれば蒙昧と叱責する類のものだったが、今回ばかりはアンネミーケも苦々しく頷いた。愚息が無事に帰国したのは神が何かしら命運を目こぼししてくれたとしか思えなかった。加護というよりは、鷲の紋章を纏う王家の跡継ぎが命を落とすにはあまりにくだらない理由なのを恥じたからだと考えるべきだろうし、神々の贔屓というものはいずれ利子をつけて返さねばならぬものと決まっているが。


 とりあえず、此度の外遊から王太子は無傷で帰還した。それは喜ばなければなるまい。

 ティグリス王子――ブレンクラーレが密かにイシュテンの次代の王と期待する者――の一派は、アンネミーケの本気を測るため地位ある者を遣わすように求めていたのだ。彼らの自尊心を満足しただろうが、そのために自国の王太子を喪うなど本末転倒も甚だしい。


「あれは当分他所へは出さぬ。国の恥となり侮りを招く」

「は……」


 力強く宣言すると、臣下はただ深く頭を垂れた。賢明だ。ごもっともと頷かれても、そのようなことは、などと気休めを言われても、彼女の矜持はひどく傷つけられたことだろう。


「早々に婚儀も整えよう。後継者作りはくらいはさすがにあれもつつがなく勤めるであろうからな」

「は……」


 勢いに任せて憤然と告げると、臣下は再び慇懃に答えた。息子の成長が期待できないならば、彼女の希望はこれから生まれる孫にかかっている。今度こそ、砂糖菓子のような女どもには口出しさせず、彼女だけの手で厳しく躾けなくてはなるまい。


 決意したところで、続けてアンネミーケは話題を変える。


「後は――あれが持ち帰ったイシュテン土産のことだが」


 装飾品など、婚約者への土産を忘れなかったのはマクシミリアンが今回の外遊で収めた数少ない成功に数えて良いだろう。それに、イシュテン王は愛馬の血縁だという名馬を譲ってくれた。これもかの王の為人が割りとまともなことを示しているから収穫と言える。

 だが、今彼女が指したのはもっと他のこと、先の話題と同程度に面倒で厄介で不愉快なものだった。


「ミリアールトの王族と言うのは確かだったのだな」


 マクシミリアンはイシュテンから()()の土産も持ち帰った。金の髪の目を瞠るような美青年と聞いて、彼女は息子が夫君でさえ手を染めなかった同性愛の悪徳に目覚めたことを疑い、絶望しかけた。

 しかし、更に聞けばその者はミリアールトの王族を名乗り、偶然イシュテンで出会ったかつての同盟国の王太子に庇護を求めたのだという。


 騙りの可能性もあるので、身元を確かめるまで彼女の前に出すことはできぬという話だったのだが、ようやく結論が出たらしい。


「は」


 臣下は三度、丁寧に頭を垂れた。


「王家の凍れる月の紋章を隠し持っておりましたし、操るミリアールト語も正統なもの。何よりかの国の事情もイシュテン侵攻後の様子も、語ったことに誤りや矛盾はございませんでした」

「そうか」


 とはいえ、アンネミーケはイシュテン土産の青年が偽物である可能性は低いと見積もっていた。国を失った悲劇の貴公子、など詐欺の手口としてはありきたり過ぎるが、イシュテンでミリアールトの王族を詐称する愚か者がいるはずもない。自国の王族同士でさえ殺し合う連中が、滅ぼした国の貴人に対して容赦するなどありえないのだ。


 そのように高貴かつ危うい身の上の者がどうしてイシュテンの娼館などに潜んでいたのかは、依然としてさっぱり訳が分からないが。その青年とどのようにして出会ったか問い詰めた際に、あっさりと娼館通いを白状した王太子も、それを笑って誤魔化そうとしたのも腹立たしいことこの上なかったが。とにかく、それらは一旦置くにしても息子は思わぬ火種を持ち帰ってくれたことになる。


「……会わぬ訳にはいくまいなあ」

「公子は陛下に庇護を求めておりますれば」


 ――いっそ偽物であれば捨て置けるからまだ良かったのに。


 アンネミーケは表には出さずに心中で嘆息した。


 嫁いできた訳でもない、婚約者候補に過ぎなかった姫君を、結ばれなかった縁を理由に救出して欲しい、などと。

 愚息でさえ兵を動かす口実としか考えていなかったことを大真面目に主張している者が現れたと聞いて、彼女は大いに困惑したのだ。

 嫌になるほど甘ったるい考えなのは確かだが、その公子とやらがそのようなことを言うのはマクシミリアンも原因に違いない。どうせ公子によく似ているという美貌の姫君に色気を出して、気を持たせるようなことを言ったのだろう。

 王太子が希望を持たせておいて、実権を預かる王妃たるアンネミーケが無下に断るのはさすがに外聞が悪かろう。しかし公子が願う通りに姫君を助け出してやるなど論外だ。少なくとも当面は上手く言いくるめる必要がある。

 そう思うと彼女の陰鬱な気分は止まるところを知らなかった。


「……偽物ということに、いたしますか?」


 主君の顔色を読んだらしい臣下の提案は、魅力的ではあったが、彼女はそれに乗る訳にはいかなかった。


「姫君に何かあればその者がミリアールトの王になる。今捨てるには惜しい駒であろう」


 アンネミーケは意味もなく窓の外を眺めた。鷲の神が存在するならば、ままならぬ人の世を上空から嘲笑っているのではないかと思ったのだ。


 しかし、晴れた冬の空には雲ひとつなかった。




 そして謁見を許したレフとかいう公子の姿を見て、アンネミーケはうんざりしつつも納得した。息子が妙な期待をしたのも無理はない。雪のように白い肌に、月の光の金の髪と宝石のような碧い瞳。人形めいた整った顔といい、確かにかの北の国の王族に相応しいものだった。


「名高い摂政陛下にお目通りをお許しいただき、光栄のいたりでございます」


 公子の紡ぐブレンクラーレ語にも違和感はほぼなく、高い教育を受けていることを窺わせた。跪いた所作も優雅なものだった。話が通じる者なら良いのだが、と思いながらアンネミーケは公子に立ち上がるよう促した。臣下でない者を相手に過度に礼を尽くさせる趣味は、彼女にはない。


「聞けば苦労されたとか。ブレンクラーレは喜んで公子を庇護しよう」

「ご厚情はまことにもったいなく存じますが……恐れながら、陛下――」


 しかし、少女めいた美貌や洗練された身のこなしとは裏腹に、面を上げた公子の瞳にははっきりとした不満と怒りが浮かんでいた。


「私が望むのは我が身の安泰ではございません。我が従姉にしてミリアールトの女王、シャスティエ・ゾルトリューンが無事ただひとつ。

 ブレンクラーレの王太子殿下の婚約者でもあった方の危機に、どうして手をこまねいていらっしゃるのか!?」


 ――ああ、なんと甘ったるい。


 憤った表情さえ美しい青年を玉座から見下ろして、アンネミーケは口元を歪めた。

 やはり見た目の良い者の言うことはどこか芝居がかっていて、しかも傲慢だ。この青年は、ブレンクラーレの兵に、見も知らぬ小娘ひとりのために命を懸けろと言っているのも同然だ。

 アンネミーケはこの青年を心の中で飴細工と呼ぶことに決めた。砂糖菓子のような質の息子と比べても更に綺羅々(きらきら)しく、更に脆い。


「姫君の身の上には大変心を痛めておる。とはいえ行方が知れぬのではいかんともしがたい」


 マクシミリアンもシャスティエ姫に会うことはできなかったという。ティグリス王子側からの情報では王が手厚く保護しているとのことだが、手が出せないならば(とぼ)けた方が話が早い。アンネミーケには考えるべきことが多い。異国の姫君ひとりのために、彼女を救おうなどと夢見るこの青年のために、頭を悩ます時間は少ない方が良いだろう。


「そんな……っ」

「今後のことだが。公子は施しを好まれぬであろう。無為に日々を過ごすよりも、愚息の守役を引き受けてはくれまいか。なに、大したことではない。手紙や書類の整理のような――秘書のような役目と思ってもらえれば良い。異国の見識に触れるのはあの者にとっても良い刺激になろう」

「陛下! 私は――」

「ミリアールトやイシュテンの話を聞かせてもらって大変参考になった。それに、疑ってしまったのは致し方ないとはいえ申し訳のないこと。下がってゆっくり休まれると良い」


 アンネミーケは笑顔で公子を追い出そうとした。いくら話したところでこの青年の望みを叶えることはできない――そのつもりもない――し、今のところ、彼にこれ以上の用はない。できればシャスティエ姫の救出など諦めてもらいたいものだが、この様子では当分無理というものだろう。


 公子は何か言いたげに彼女をしばらく睨んでいたが、やがて唇を結ぶと礼をとり、大人しく退出していった。


「あの者に何を望んでいらっしゃるのでしょうか」


 扉が閉まると、臣下が興味深げに問いかけてきた。王太子につけるに相応しい貴族も官僚も幾らでもいる。なぜわざわざ異国の者を、と言いたいのだろう。

 アンネミーケは軽く眉を寄せると苦々しく答えた。


()を惹きつけてもらう。若い娘は、ああいうのを好むものなのだろう?」

「……仰る通りと存じます」


 気の利いた臣下にはそれだけで通じたらしい。くどくどと問いを重ねて彼女を煩わせることはせずに、ただ深く頷いた。


 マクシミリアンの愛人関係の整理はまだ終わってはいないようだ。だが、愚息の見た目や地位に惹かれる娘たちも、あの青年の美貌には心動かされるだろう。亡国の貴公子という悲劇的な物語と、元とはいえ王族の気品があればなおのこと。結婚を控えた王太子に群がる羽虫は少ないに越したことはない。


 ――まったく、考えねばならぬことの多いこと……。


 アンネミーケはため息を飲み込むと、従者に命じて濃く苦い茶を淹れさせた。

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