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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
4. 戦馬の掟
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王妃教育 アンネミーケ

本日二回目の更新です。

「本日届いた書簡でございます」

「うむ」


 アンネミーケは銀の盆に山と積まれた書簡を受け取った。陳情や匿名の密告もあれば、私信や招待状など、用件も形式も様々だ。差出人の名や封蝋からざっと優先すべきものを判じて並べ替える。


 隣でギーゼラが受け取る山は彼女のものよりずっと小さい。婚約者というだけで正式な王太子妃ではない彼女はまだ大した公務は行っていない。とはいえ将来を見越して彼女に取り入ろうとする者は多い。届いたのは、大半が茶会や夜会への招待だろう。

 どれを受けてどれを断るか。優先順位は。警戒すべき名前、信頼すべき紋章は。義母として王妃として、順に教えてやるつもりだった。


 一通一通、壊れ物を扱うようにそっと丁寧に改めていたギーゼラが、とある一通を見つけて目を輝かせた。


「お義母様。今日も届けてくださいました」

「それは良かった」


 幸せそうに微笑む娘に、アンネミーケの表情も緩む。

 ギーゼラが大事そうに胸に抱く手紙に押された封蝋は、ブレンクラーレ王家の翼を広げた鷲の紋章を形どっていた。息子のマクシミリアンからのものだ。イシュテンに発って以来、言いつけを守って毎日婚約者に手紙を送っている。


 まだ愛情からとは言えないが、息子がその程度の誠実さというか愚直さというか甲斐性を持っていたのは喜ぶべきことだった。

 ギーゼラも楽しそうに返信をしたため、手ずから作った押し花などを同封したりしている。揚げ菓子を思わせるふくよかな娘は意外にも繊細で優美な手跡をしていて、息子のやる気を保つのに一役買っている気がする。婚約者たちを距離で分けたのは、もしかしたらふたりの仲にかえって良い効果をもたらしたのかもしれない。


「さっそく返事をしたためますわ」


 すぐにも便箋を手に取ろうとしたギーゼラを慌てて止める。息子からの手紙を喜んでくれるのは嬉しいが、性急過ぎる。


「他の手紙を確認してからになさい」


 窘められて、娘は申し訳ありません、と赤面した。また萎縮させてしまっただろうか、と懸念して言い添える。


「その方が集中できるだろうから。ゆっくり返事を考えれば良い」


 恐らく厳しいばかりと思われているであろう姑からの言葉に、ギーゼラは一、二度目を瞬かせると晴れやかに笑った。


「はい、お義母様」


 花のような笑顔だった。薔薇などの大輪の花ではなく野の花といったところだが、とにかく人生の盛り。際立って美しくはなくても、若く健康な娘の明るい顔はアンネミーケの目に好ましく映った。




 書簡を一通り開封して中身を改めると、アンネミーケはギーゼラに息子からの手紙を読み上げさせた。


「イシュテン王が狩りを催してくださるとのことです。列席者の筆頭はティゼンハロム侯、それから……」


 娘は見慣れない綴りに目を細めつつ幾つかの名前をゆっくりと発音した。それらを聞けば、イシュテン王は隣国の王太子をもてなすのに大貴族を並べたとわかる。


 ――とりあえず礼儀を知る男のようだ。


 アンネミーケは息子の扱いに満足した。それに、イシュテン王はものの道理が分かった――つまりは、交渉の余地がある相手かもしれない。さらには、イシュテンの名家の名の数々は、ギーゼラの教育の良い機会にもなる。


「ティゼンハロム侯はイシュテン王の義父で宰相。かの国で最も有力な貴族だ。他の者たちも武力にも財力にも富んだ諸侯ばかり。名前をよく覚えておきなさい」


「はい」


 ギーゼラは神妙に頷き、次いで軽く首を傾げた。


「ですが、爵位が劣る方もいらっしゃるようです。宮廷で役職を頂いている方でしょうか?」


 ――目端が聞くこと。


 次期王妃が良い質問をしたのでアンネミーケの唇が弧を描いた。


「そうかも知れない。あるいは顔見せや箔付けということもあり得る」

「はあ……」

「位低い者はいずれかの諸侯の縁者かも知れぬ。

 この機に有力者にまとめて紹介しようという腹とも考えられる。ブレンクラーレの王太子をもてなすのに加わったとなれば、それだけの場に相応しい者と認められることになるだろう」

「殿下を利用するということでしょうか?」


 眉を寄せた娘に対し、諭すように微笑みかける。


「それはこちらも同じこと。視察にかこつけてイシュテンの王と諸侯を品定めしようというのだから」


 納得しているかしていないかは分からないが、ギーゼラは取りあえず真面目な顔で聞いている。


「このように王族が行くところには種々の思惑が蠢くものだから心するように」


 教訓で締めくくると、娘は従順にはい、と答えた。王妃教育は順調に進んでいる。


「他には何か書いているか?」

「ええと……とあるサロンにお招きを受けたのでイシュテンの流行などを見聞きするそうです」

「何?」


 アンネミーケは眉を上げた。

 貴族が文学者や音楽家など文化人を招いて交流を図り、流行発信の場とするサロンはブレンクラーレでは当たり前のこと。サロンを取り仕切る女主人には高名な者もいて、高位の貴族や王族ですら彼女らの知遇を得ようと血眼になることも珍しくない。

 しかし、アンネミーケは知っている。イシュテンにそのような高尚な文化は存在しない。

 女たちが集うのはごく内輪でのことだけ。男たちも屋敷の中よりは狩りや遠乗りを社交の場にする。

 かの国でサロンに似た場所があるとしたら、もれなく他の目的がついてくる。


 ――要は娼館ということではないか。


 それも、貴族御用達の高級娼館と言われる類のものだろう。

 身分高い男と教養ある女が集う場所、と表現すれば確かに一種のサロンなのだが。はっきりと言わない辺りまだ配慮があると言えなくもないが。ギーゼラにも、旅先で多少羽目を外すくらい咎めないように言うつもりではあるが。

 それでも婚約者が――もしかしたら母も――見る手紙にバカ正直に行動を綴る息子の考えが分からない。


 ――(わたし)たちには分からないと思ったのか、何も考えていないのか……。


「イシュテンのサロンとはどのようなものなのでしょうね。美しい刺繍が有名な国ですから、ご婦人の衣装のことなどお聞きしたいものですわ」


 黙り込んだ義母を気遣うように、あるいは単に沈黙を恐れたようにギーゼラはぎこちなく口を開いた。彼女自身、刺繍の腕は相当なものなのだ。

 放蕩息子の所業を申し訳なく思いながら、アンネミーケはできる限り不機嫌を滲ませないように答えた。


「田舎のことだからそう期待しない方が良いだろう。参考にするというならせめて王妃でなくては」


 いくら娘が純真だといっても、詳しく話を聞いたら悟ってしまうかもしれない。新婚早々、夫婦の間に不和が生じる事態は避けたかった。

 止められるものならば娼館通い自体を止めたかったが、手紙を届けるのにかかる日数が憎い。マクシミリアンはとうに娼館に行っていて、今はもう帰国の途にあるかもしれない。


 ――帰ったらよくよく言い聞かせなくてはなるまい。


 アンネミーケが溜息をつくと、ギーゼラは慄いたように身を震わせた。またやってしまった、のだろうか。嫁の心を上向かせるような言葉を考えながらも、彼女の悩みは尽きない。

 王として必要な知識や振る舞いは教師から学ぶことができる。しかし、妻に対しての誠実な対応は――夫君が病床にある今――母である彼女が教えなければならないようだ。そしてそれは、ギーゼラを王妃に仕立てるよりもよほど難しそうだった。

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