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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
23. 堕ちる星、昇る星
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穢れた太陽 ファルカス

 マリカを気遣いながら味のしない朝食を終えた後、ファルカスは正装を整えて広間へと向かった。先日は王妃のミーナが仮に占めた玉座の前に、今日こそは正統なる王が立つのだ。


「ご武運を祈っておりますわ……」

「今日は戦う訳ではないぞ」


 不安顔の妻の言葉が大げさに思えて、軽く笑う。


「今回ばかりは異を唱える者はいないだろうからまだ心配はいらぬ。それよりもマリカのことは頼んだぞ」

「はい、もちろん」


 彼がこれから向かうのは、ミーナの父を殺すための算段にほかならない。なのに恨み言も泣き言も口にせず、夫を思うことだけを言ってくれる妻の心が嬉しかった。


「フェリツィア様の方は、終わった後に……?」

「ああ、あちらにも行ってやらねばな」


 自身の子ではない方の王女を思い遣ってくれるのも、ミーナの得難い優しさだろう。決して長い時間を共に過ごした訳ではない父のことを、まだ赤子のフェリツィアは覚えていないかもしれないが――目の前のことが片付いたら、必ず顔を見なければ。父以上に我が子と会っていないシャスティエのためにも、健やかに育っているのを確かめたいと思っている。それに際して、もうひとりの妻が快く送り出してくれるのは心強いことだ。


「では、行って来る」

「いってらっしゃいませ」


 妻の唇に軽く落とした口づけは、彼の私的な時間の終わりを告げるものだった。夫を案じてか父のことを憂いてか、口元は微笑みながらも瞳を翳らせるミーナを改めて抱きしめてから、ファルカスは剣を鳴らしつつ広間へと足を踏み出した。




 王の呼び掛けに諸侯がどれだけ迅速に応じるかは、王への忠誠がどの程度のものか、王への協力にどれほど積極的なのかを量る指標になる。とはいえ、例えば前回のブレンクラーレ遠征を訴えた時には、王に従うというよりは彼が何を言い出すかという興味本位で乗り込んで来た者もいただろう。だから、参上したからといって力を貸してくれるとも限らないのだが。

 しかも今回はさらに事情がややこしい。(かれ)の凱旋の報に、いち早く参じてくれた者が少なくないのは朗報だが、遠征に従った者たちは王都近郊に留め置いて領地に返していなかった――つまりは呼び集めるまでもなく間近にいた者も多い。そして逆に、リカードの妨害に遭って、あるいは危害を加えられることを恐れて領地を離れることができない者もいるはずだった。


 それらの事情を勘案した上で――それでも、広間に集った諸侯の頭数はなかなか有望だと思えた。玉座の前に立ったファルカスを見上げる表情も、王の器をはかろうとする不遜なものではなく、臣下として命令を待つ構えの者が多いようだ。


「俺の気が早いことと、皆不審に思っているだろうな――」


 これならば軽口から入っても良いだろう、と。ファルカスは敢えて軽く笑って見せた。集った者たちはちゃんと彼の言葉を待ち、聞き入る姿勢を見せている。高圧的に振る舞って野次を禁じる必要は、今はない。


 妻子と過ごした心地良くも温いひと時のことは、もはや彼の頭から拭い去られている。イシュテンの王として、必ずしも従順ではない臣下に対峙する時は油断してはならない。その時その時に応じて、適した態度や言葉遣いというものがあるものなのだ。


「長い遠征に耐えた者たちを労う宴の用意もできておらぬし、誰にどれだけの褒章を与えるかの目途も立っておらぬ。無論、待たせる以上は誰も不満を持つ者が出ないように計らうつもりだが。まあ、まさか今日にも褒美がもらえると期待していた者はいないだろうが」


 わざとらしいほどに朗らかな王の言葉にも関わらず、彼を見つめる諸侯のひとりとして、にこりとも微笑むことはなかった。彼の言うのがただの前置きに過ぎないと、誰もが承知しているということだ。

 そもそもリカードが王妃を狙って王宮に兵を踏み込ませたのは――ミーナの思惑はどうあれ、衆目にはそのように認識された――周知のことだし、それ自体でも反逆の(そし)りを逃れないことはあまりにも明らかだ。自領を案じているであろう諸侯らが、それでもファルカスの命に従って留まっていたのは、新たな戦いがすぐに起きることが分かり切っていたからに他ならない。

 ただ、彼自身が述べた通り、帰国の翌日に挙兵するとしたらあまりにも拙速に過ぎる。留守を守っていた者たちはともかく、異国での戦いの疲れも取れぬうちに、それも褒章の分配も済まないうちに次の戦いに駆り立てたりなどしたら、士気を保つのも困難だろう。


 ――リカード憎さに先走っている……などとは思うまいな……?


 黒松館で側妃に溺れた一時期、臣下の信頼を損ねたことを思い出してファルカスは口元を苦く歪めた。怯え(やつ)れるシャスティエを放っておくことができなかったのは――妻を思えばこそ、犯してはならない過ちだったと今なら分かる。とはいえ、過去の過ちは過ちとして、今の彼は誰もが認める功績を上げたはずだった。シャルバールでの恥を(そそ)ぎ、ブレンクラーレを降した。名高い摂政王妃に非を認めさせ、陰謀の全容を明らかにした。更にそれを()いたとしても、戦いにおいて彼が間違いを犯した例はごく少ないはず。――だから臣下も彼の挙動を注視しているのだ。

 ただの無謀で挙兵を急ぐはずがない、ならば相応の事態が起きたのだろう、と諸侯たちは予想しているはずだ。深夜に王宮に急使が入ったことを把握している者は多くはないだろうが、今のイシュテンで敢えて何事かを起こすとしたらリカード以外にはほぼありえない。


「――本当は、もっと頭数が揃ってから明らかにしたいことがあったのだが。そうも言っておれぬ事態が起きた」


 ファルカスが念頭に置いているのは、ティゼンハロム侯爵と結んでいたと証言するアンネミーケ王妃の書状のことだ。シャルバールでの遺恨も含めて、リカードをイシュテン全体にとっての大敵に仕立てることができるはずの手――なるべく大勢の目の前で、一時に披露することができれば良かったのだが。だが、それよりもまず早さが必要な事態になってしまった。


 いよいよ本題に入る気配を感じてか、広間の空気が一段と張り詰めた。臣下の視線が矢のように刺さるのを感じながら、ファルカスは敢えて間を持たせて眼下をぐるりと見渡した。焦らすことで、臣下の集中をより高めようという狙いだった。


「この場に参じていない者がいるのには気付いているな? 王の凱旋を喜ばぬ不忠者とは考えてやるな。ある意味では誰よりも早く俺のもとに届いた者がいるのだ」


 まだ迂遠な王の言葉に、各々はどのような想像を巡らせたのだろう。ほぼ無音のざわめきが広間を揺らし、左右の者たちと目を見かわす際の衣擦れの音が密やかに響いた。察しの良い者ならば、リカードの邪魔が入ったことくらいには思い至るのだろうが。


 ――だが、誰も()()()()は予想しないだろう……!


 言うよりも目で見よ、と。ファルカスは脇に控えた従者に一瞥をくれた。するとその者は事前に命じていた通りに布を被せられた盆を捧げ持って玉座のすぐ下へと進み出る。従者が止まったのは、彼が布を取り去るのにちょうど良い位置と高さ。諸侯から目を外さずに、凡に載せられた()()を披露することができる。


「ヴァールのジョルト卿……!」

「ほう、見知った者もいるようだな」


 いち早く声を上げた者がいたのは、ファルカスにとって都合の良いことだった。彼が臣下に見せつけたのは、昨夜の報せと共にリカードから送られた首だった。濁った眼と、血に汚れて虚ろに開いた口――生前とはかけ離れた形相なのだろうが、イシュテンの男は死体を見るのもその身元を判別するのも慣れたもの。不意に生首を見せられたからといって怯むことはないだろう。――だが、驚きはするはずだ。


「なぜ、ジョルト卿が……!?」

「急ぐあまりに身体を忘れでもしたか」


 豪胆を装おうとしてか、何者かが発した言葉は冗談にしても質が悪いものだった。明らかに非業の死を遂げた者の遺体を揶揄しているのだから。だが、埒もない戯言で紛らわさなければならないほど、この首を目の当たりにしての衝撃と動揺、それに疑問が大きいということでもある。


 首の主の名を知る者ならば、当然その人となりや立場も知っていることだろう。王の臣下というよりはリカードの臣下、ミリアールト遠征やティグリスの乱でも日和見を決め込み、自らの兵を温存しようとしていた者。リカードが積極的に討つ理由は()()()()()なく、王であるファルカスとしても、わざわざ罰するほどの罪を犯したのではない者。そのような男が、どうして無惨な姿を晒しているのか――咄嗟に理解できないのも無理はない。


「まさか、陛下が――」

「まさか」


 声を発した者自身も信じてはいなかったであろう問いを言下に否定することで、ファルカスは首と胴を別ったのが何者かを仄めかした。やはりリカードが、と理解が広まるにつれて、広間のざわめきは大きくなっていく。王に説明を求める声も上がり出したところで、ファルカスは一層声を張り上げる。


「昨晩、リカードの名で届けられたのが()()だ。臆病者を見せしめにして、屋敷を焼き払い一族をことごとく殺めた。それによって、イシュテンの全ての者に旗幟を明らかにせよと告げるのだと――傲慢と残忍の極み、狂気の沙汰というほかにない!」


 自らが発した言葉によって、ファルカスの胸に怒りが一層激しく燃えた。反逆を犯し、裁きを待つべき立場にありながら、さらに罪を重ねるとは。何より気に入らないのは、臣下に進退を問うたのが王である彼ではなくリカードになってしまったということだ。今度こそ従わぬ諸侯を排し、真の王権を手にしようとしていたというのに。反逆者に戦端を開くのを許してしまうなどと、破れかぶれの暴挙だとしても許しがたい。


 詳細を問おうというのか、今後の方針を聞き出そうというのか、何人かが口を動かすのが見えたが――ファルカスは彼らが声を出すのを許さなかった。怒りによってひと際低く鋭くなった声で、いっそ脅すように臣下に語りかける。


「この場にいない者の中には、リカードの怒りを恐れて、あるいは既に襲撃を受けている者もいるのだろう。貴公らも、自領を案じるならば帰ってもらっても咎めはしない」


 この宣言に、驚きだけでなく動揺の声によって広間が揺れた。帰るなら帰れ、という言葉はファルカスの真意だが、額面通りだけの意味ではない。誰もがリカードに狙われかねないという危険を、広く認識させたのだ。その上で戦うよりも守ることを選ぶ者が出るならそれはそれで構わない。――いずれにしても、リカードはイシュテン全体にとっての敵として見做されることになるだろう。ブレンクラーレとの密約についてはまた改めて公表するとして、身近に差し迫った脅威を示してやる方が諸侯を纏めるには早いはずだ。


 ファルカスが臣下に向けて語ることは、まだ終わりではない。王に背いた反逆者を討つという大義、自身にも火の粉が振りかかりかねないという危機感、これだけでもリカードを孤立させることはできるだろう。だが、まだ足りない。臣下には王のために喜んで戦ってもらわなければ。


「リカードと書面をやり取りしたことのある者は、印璽をよく見てみると良い。あの者は、由緒ある紋章を使うのを(はばか)って十三(ティゼンハロム)ではなく十二の光条の太陽を紋章として使っていたらしい」


 フェリツィアを懐妊中だったシャスティエが毒で狙われた事件を思い出すと、ファルカスの口中に苦いものが広がった。


 ――あの時無理にでも首を刎ねておけば良かった……!


 明らかな嘘、罪を言い逃れるための虚言だと分かり切っていたにもかかわらず、リカードの派閥からの反発を懸念して言い分を認めてしまったのは彼の過ちだ。諸侯を説得するためとはいえ、過去の傷に自ら触れるのは彼の矜持をひどく痛ませた。とはいえこれも必要なこと。後悔がもたらす苦々しさと痛みをねじ伏せて、ファルカスは睨むように臣下を見据える。


「だが、この度ヴァールを襲った賊どもは確かに十三条の光を放つ太陽を帯びていたという! リカードめ、自ら誉れ多き家の名を汚したのだ!」


 ティゼンハロム侯爵家といえば、そもそもはイシュテンにも並ぶものが少ない名家なのだ。だからこそリカードも野心を抱いたのだろうし、父祖を憚って紋章を使い分けていたなどという言い分も通ってしまうのだ。跡継ぎに恵まれず、当主の死によって、それに反逆の罪を断ぜられて。数多の家々が消えて行った中で生き延び、その名を輝かせていた一族だというのに、その末裔が何たる醜態か。


「罪に翳った太陽は引きずりおろさなければならぬ。イシュテンの歴史において数多の栄光に彩られた家名と紋章がこれ以上汚されること、当代の王として見過ごせぬ。――そして、日は沈めばまた昇るもの。ティゼンハロムの名と領地と財産はその名に相応しい者が受け継ぐべきだ。即ち忠誠深く王のため国のために身命を惜しまぬ者が」


 彼がほのめかしたことを察して、広間にまた先ほどとは異なる種類の溜息とどよめきが満ちた。ティグリスの乱では、その母の実家だったハルミンツ侯爵家の財産が褒章として分け与えらえれたが――それに預かることができなかった者も多いのだ。期待と欲が臣下を煽ったのを確かめて、ファルカスは決定的な宣言をする。


「リカードを討つ。その戦いで最も大きい功績を上げた者こそ、次のティゼンハロム侯爵となろう……!」


 大義と不安。それに加えて、大貴族の名誉と財産を褒美として掲げられて、居並ぶ諸侯の目に力が宿ったのが玉座の高みからは良く見えた。王に従うことによって、何が得られるか――それを、はっきりと示してやったのだ。これで戦う理由は十分に揃ったはずだ。


「まだこれから王都に到着する者もいるだろう。誰が俺につき、誰がリカードにつくか――明らかになった頃合いを見て、兵を動かす。共に戦ってくれるというならば、留まれ。先も言ったが、領地のために去るというなら――」

「見くびってくださいますな、陛下……!」


 王の言葉を遮る無礼を犯したのは、例によってアンドラーシだ。だが、ファルカスが望んでいた声でもあった。だから彼も、それに諸侯の誰も咎めることはしない。ここまで言われて戦いから退くなど、イシュテンの男に耐えられることではないからだ。アンドラーシの言葉は、広間の全員の心を代弁するものでもあるのだる。


「我が剣は陛下のためにこそ振るわれましょう。リカード――あの不遜な反逆者を、今度こそ討ち果たしてご覧に入れます……!」


 アンドラーシの口上を契機にするかのように、諸侯が一斉に膝をついてファルカスの前に頭を垂れた。この場にいる者は王のために戦うと――言葉によらず、行いによって示したのだ。

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