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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
20. それぞれの戦い
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鷲の紋章の使者 アレクサンドル

 ブレンクラーレの王都を見下ろす小高い丘に、イシュテン軍は布陣していた。シュタインクリフの要塞を出発して以来大きな戦闘はなく、ブレンクラーレ側もここで雌雄を決する腹積もりだと、言葉によらずして伝えてきていた。

 アレクサンドルは、王と共に馬上からブレンクラーレ王都の整然とした街並みを望んでいた。


「いよいよでございますな、陛下」

「うむ……」


 小さく頷いた王の横顔を窺えば、一時見られた迷いは消えて、目前の戦いのことに集中していると見受けられた。イシュテンを発つ前も、ブレンクラーレとの国境を越えてからも、シャスティエの想いを疑って時に弱気とも取れる言動が見られたものだが。決戦を前にして心の持ち方が定まったようなのは頼もしいことだった。


 この王が他国の王都を眺めるのは、これが初めてのことではない。(ファルカス)の牙が最初に捕らえたのは、ミリアールト――アレクサンドルの祖国だった。あの戦いで雪の(コロレファ)女王(・シュネガ)の宮殿に召された知己も多いし、人質として捕らえらえた女王の処遇については血が沸騰するほどの怒りを味わった。

 だが、祖国を滅ぼされ、旧主を殺められた恨みも憎しみも、今は心の奥底に凍らせている。彼の現在の主であるシャスティエにとっては、仇であるこの男こそが心の支えであり、共に歩む味方になってしまったから。女王が復讐などと名乗るのを見過ごしてしまった臣下のひとりとして、ふたりが心を通わせるまでを見届けるのが責任であり忠節というものだろう。


 ――シャスティエ様さえ無事に戻られれば、婚家名の意味について語り合うこともできるはず……。


 フェリツィア王女を溺愛していた柔らかな表情、それにイリーナから聞いた様子と併せて考えれば、シャスティエの心もまた変わったのだろうから。王とあの方を結びつけるのが利害だけではなく、心も繋がってあることができるように。復讐ではなく、元の名が示す通りの幸福(シャスティエ)を、掴むことができるように。それこそが年老いた彼が叶えるべき唯一の願いだった。


 王はアレクサンドルの不遜ともいえる内心は知らないから、彼の方へ視線を向けることなく呟いた。


「籠城する構えでないのは助かるな。あちらも長引かせたくはないのだろうが」


 彼らの視界に収まるのは、王都の街並みだけではない。都市を守る堅固な城壁の外には、黒蟻のように兵馬が集っているのが見える。国の一大事に、アンネミーケ王妃が全国から兵を募ったのだろう。道中を妨げられることがなかったのも、半端な戦力をぶつけてもイシュテンを止めることはできないと見切ったから。両国の総力をぶつける一戦が、間もなく始まろうとしているのだ。


 ただ、王が指摘した通り、ブレンクラーレ軍は堀を掘ったり城壁を補強するといった、籠城のための動きを見せていない。罠や伏兵の存在をさぐるべく斥候も放ってはいるが、彼らの帰りを待つまでもなく、敵が正面から戦うつもりなのはほぼ間違いないだろう。


「王妃への不信は確実に根付いているでしょうからな。籠城を保つだけの士気に自信がないのでしょう」

「こちらとしてもありがたいことではあるがな」


 大都市を包囲するだけの兵力、更にそれを長期に渡って保つための糧食は、確かにイシュテン軍にはないものだ。アンネミーケ王妃への怒りでここまでの遠征を成功させてはきたが、先の見えない包囲戦では、軍を保ってきた士気もやがて目減りしていくだろう。――だから、イシュテンとしてもここで勝利を収めなければならない。王妃の陰謀へ報復し――そして、何よりもシャスティエを取り戻すという目的を達しなければ。


「ここで一勝をあげる。まずは戦果を出した後ならば、交渉の余地もあるはずだ」


 王も、自軍の状況は誰よりもよく把握している。半ば独り言のような呟きは、自身に言い聞かせる響きがあった。


「イシュテン相手に負けたとなれば、アンネミーケを責める声も大きくなるだろう」

「クリャースタ様を返した方が話が早い、と――そう考える者も現れてくることでしょう」

「それと女狐の進退だな。首を寄越せと言っても叶わないだろうが……こちらも、落としどころを臣下に呑み込ませねば。まあ、今考えても仕方ないか……」

「いいえ。負けた時のことを考えることこそ、今は不要と存じます」


 負け、と口にするのは不吉か、と一瞬懸念したが、王はそれもそうだな、と軽く受け止めた。


 イシュテンを戦うしか能のない獣と蔑んでいたのは、もう過去のことだった。少なくとも王について言えば、真っ当に統治者としての冷静で(したた)かな目も備えている。時に見せる勘気や強情さも、恐らくは若さゆえ。この戦いと、そしてティゼンハロム侯爵との政争で生き残ることができたなら、更に器を広げられるということもあるだろうか。


 ――この老身が、その一助になれば僥倖というもの……!


 心中密かに決意を新たにした時、王がふと眉を寄せた。


「何だ、あれは……」


 青灰の目が注視する先を窺えば、ブレンクラーレ王都の城門を出たと思しき騎馬の一団が、イシュテン軍の陣へと駆けてきていた。先頭の者が掲げ、風に翻る旗に誇らかに記されているのは、炎を纏い燃え盛る鉤爪を見せつけて翼を広げる大鷲の紋章――ブレンクラーレ王家のものだ。


「使者、でしょうか……。この期に及んで、交渉ということもないでしょうが」


 軍を集めている以上、大国としての矜持がある以上、降伏の使者であるはずもない。しかし、戦いを控えたこの瞬間に、双方話すことがないのもまた事実。

 戸惑う間にも、その一団は風の早さでこちらへと近づき、旗に施された金糸の刺繍の煌きまでも見て取れるようになった。


「陛下――ブレンクラーレからの使者が参っております。アンネミーケ王妃の言葉を伝えたいと申しておりますが……?」


 ついに従者が伺いを立てに現れて、王は軽く顔を顰めた。使者であることは予想通りでも、言付けの内容は依然として知れないのが不快なのだろう。


「分かった。行こう」


 それでも短く答えると、王は手綱を取って、馬を陣へ向かわせる。それに従って馬首を巡らさせながら、アレクサンドルの胸には嫌な予感が黒い陰を落としていた。

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