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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
19. 戦火、山河を越える
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宣戦布告② ファルカス

 ――ブレンクラーレこそ、イシュテンを脅かす真の敵。狡猾な女狐(アンネミーケ)を討て。


 彼が発した檄に、広間に集った諸侯が息を呑んで凍り付く。その様を見下ろしながら、ファルカスは視界の端でリカードの表情を観察していた。


 ブレンクラーレのアンネミーケ王妃とリカードが組んで、ミリアールトの王族の生き残りを操っている――その直感は、彼の中ではほぼ確信に近い。レフという男が最近になって初めてシャスティエに接触したのは、それまではティグリスについて暗躍していたから。アンネミーケがリカードに手を差し出したのも、ティグリス亡き後イシュテンにつけいる足がかりを求めてのこと。そう考えれば得心がいく。


 ただ、いずれも確たる証拠のないこと、外国(ブレンクラーレ)に剣を向けよと諸侯を焚き付ける前に、少しでも確信を強めることができないか――リカードに動揺は見られないか、何か口走ってはくれないか、狡猾な仮面の綻びを見つけたかったのだ。


 案の定――


「ブレンクラーレ!? 何を根拠に、そのような……っ!?」


 玉座のすぐ下、臣下としてはもっとも高い位置を占めたリカードが、頬に血を上らせて王を怒鳴りつけてくる。とはいえ、知られてはならぬ密約を言い当てられたがゆえの逆上か、単に彼が思い通りの行動を取らないことに苛立っているのか、これだけでは判じがたいが。

 だからファルカスは更に続けて揺さぶりをかける。リカードにはちらりと目線をやるだけで苛立ちを募らせ、諸侯に向けて高らかに告げる。


「ティグリス本人から聞いた。あの者だけであのような策を企むことができるはずもなかろう。入れ知恵をしたのは何者か、と――首を刎ねる前に質していたのだ」


 広間を揺らす諸侯のどよめきを聞きながら、臣下たちの驚きと――怒りを受け止めながら、ファルカスは彼の手で殺した異母弟のことを思い出していた。


 ――あの者がこれを知ったら怒るか、それとも嘆くか……?


 生きている間は顔を合わせたのも数えるほど、という程度の関係だった。しかもその関係を絶ったのは彼の剣の一閃によって。なのにティグリスは最期の瞬間まで微笑んで、彼を称え、彼の行く末を案じてみせた。あの奇妙な熱の篭った眼つきの意味はいまだに理解できないし、思い出すだけでも気色悪い。

 ただ、自らの意思によらず戦いから遠ざけられた者の鬱屈、その立場だからこそ策を凝らすことに注力した、その執念は分からないでもない。


『私を敵として認めていただきたかった。剣を握ることはできずとも、兄上と対等に戦えるのだと気付いていただきたかった』


 ティグリスは、あの者の身体が許す限りの手段で戦おうとしていた。そして実際に彼を追い詰めかけた。敗れ捕らえられ、彼の前に引き出され――杖なしでまともに立てない姿でなお堂々とした態度を保ったのは、その自負があればこそだろう。


 弟が全霊を傾けて(こしら)えた策、その手柄、あるいは成果を、彼は今奪おうとしている。()()はティグリスが独力で考えたことではなく、ブレンクラーレのアンネミーケ王妃に授けられたものということにしようとしているのだ。汚名を除いてやった、などと考えることはできない。今の世の者と後世の者に何と謗られようと、あの者はむしろ喜んだだろう。嫌悪と憎しみこそを生きた証にしようとしていたのだろうから。


「ならばなぜあの後すぐに教えてくださいませんでした……!? あのような不具ひとりの首を刎ねて何になりましょう、誰も、流れた血の報いを求めていたというのに……!」

「卑劣な罠を巡らせたというだけでも十分な汚名だ。この上外敵と通じてまで王位を得ようとしていたなどと――逆賊とはいえティグリスもイシュテンの王族のひとり。死した者、死を持って罪を贖った者にそこまでの汚名を負わせることを、兄としては哀れんだのだ」


 声を上げた者がシャルバールで息子を失ったのをファルカスは知っている。心にもない殊勝なことを言って見せるのは、あの乱で死んだ全ての者に対する愚弄にもなろう。――だが、これも必要なことと割り切るしかない。


 今の彼が正直に側妃を救いたいと主張しても、諸侯は従うまい。懐妊していると明かしてもなお、シャスティエに対する世の者の目は厳しい。リカードが流したに違いない不貞の噂を引いて、本当に王の(たね)か怪しいと囁く者さえいるとか。だから、イシュテンという国を持ってあたる事態と認識させるには、シャルバールの遺恨を持ち出すしかないのだ。


「女狐めが……!」


 ファルカスの答えに、相手は歯軋りと共に呻くと、黙した。その目に確かに怒りと憎悪が蘇るのを見て、まずはひとり()()()ことができた、と思う。近しい者を喪った時、人はそれを強大な敵によるものか相応の大義のためと思いたいもの。大国による陰謀は、復讐心を向ける対象としては上々だろう。


「ブレンクラーレは今なおイシュテンを狙っている、と仰いますが――」


 だがファルカスが納得させなければならない相手はひとりではない。今度口を開いた者は、シャルバールでは直接の被害を受けていないのだったか。だからだろうか、怒りよりも疑いのために顔を顰めているようだった。


「それは、クリャースタ・メーシェ様のことを指しておられるのですか。黒松館のことは既に聞き及んでおりますが――それもまた、女狐の策だと……?」


 ――やはり、そこは疑わしく思うのだな……。


 要は女を救いたいがためにこじつけているのではないか、と言いたいのだ。まことにもっともな疑問、かつ思いのほかに丁重な言い回しで指摘してくれたのは、ファルカスにとって都合が良い。


「そうだ……クリャースタ様を攫ったのは金の髪の者と聞いておりますぞ!? まさかブレンクラーレとミリアールトが結んだのでは……!?」


 しかもリカードまでが追い打ちをかけるように畳みかけてくるので、ファルカスの口元は思わず緩む。鋭いところを突いたつもりなのかもしれないが、この程度の疑問が出るのは承知の上、むしろこの場で疑わしい部分は出し切ってもらわなくては困る。彼が知る全てを明かした上で、諸侯には喜んで従ってもらわなければならないのだ。


「さすが舅殿は耳が早い。それに明察でもあるようだ」


 まだ情報が錯綜しているだろうに、よく詳しいことを知っているな、と。皮肉って見せるとリカードの鉄面皮がわずかに揺らいだように見えた。


 リカードはブレンクラーレとティグリスの繋がりを知らないはずだ。アンネミーケがわざわざ明かすはずはないし、知っていたらかつて敵と結び、しかも土壇場で裏切った相手と組もうなどと考えるはずがない。


 だから、今のリカードの動揺は、この場の誰よりも激しいはず。首尾よく邪魔な側妃を追い払い、王を背後から討つ策を弄したつもりが、自身も他者の駒に過ぎなかったと追い詰めたはずの王によって知らされたのだ。怒るか、焦るか――いずれにしても動揺は判断を鈍らせる。ファルカスは、その隙に話を纏めるつもりだった。これまで長くリカードの暗躍を許し、謀に後手で対応することを強いられてきたが、今こそ彼の方から事態を動かすのだ。


「では――」


 だから彼にとってもここからが正念場だ。レフの存在を明かしてもなお、シャスティエは預かり知らぬことだと納得させる――言葉だけで戦うのは、なんと難しいことか。剣での戦いとは同じようにはいかないことに歯噛みしつつも、ファルカスは何事か言いかけたリカードを制して臣下へと語り掛ける。恐らくはリカードが望むように、側妃に対して疑いを持たせることを、自ら明かすのだ。


「確かに黒松館を襲ったのは金髪碧眼の男。生き延びた侍女の証言からも、ミリアールトの王族であると分かっている。――だが!」


 広間を揺らすどよめきに負けじと、声を張り上げる。妻のことを疑って思い悩むのは、もう止めた。あれほど慈しんでいた娘を、あの女が自らの意思で置いて行くはずはない。しかもここで逃げれば自ら名乗るほどに固執した復讐も叶わなくなる。ならば、連れ戻すことこそが夫としての彼の役目だ。


「ミリアールトは俺に背いてはおらぬ。人質を取り戻したならば挙兵するのが道理だろうに、北からは何の報せもない。イルレシュ伯も命に従ってこの場に参じている! 何よりクリャースタは攫われる際にフェリツィアを俺に託していった。血を分けた娘を伴うことをしなかった――イシュテンの王女を、イシュテンに残したのだ。これこそあの女が俺に背いて逃げたのではなく、意に反して拉致されたことの証左だろう!」


 イルレシュ伯を手で示すと、ミリアールトの老臣は氷の壁さながらに微動だにせずイシュテンの諸侯の視線とざわめきを受け止めた。二心ある者にはできないであろう堂々とした態度は、敵意や疑いの目さえも跳ね返すようで頼もしい。やはりこの男をリカードに抑えられる前に迎えることができたのは僥倖だった。

 シャスティエを守れなかった彼を責めることもなく、取り戻すためにあえて矢面に立つ役も引き受けてくれた――その信に応えるためにも、ファルカスはここでしくじってはならなかった。


「此度のこと、確かにミリアールトの者が関わってはいる。しかしクリャースタ・メーシェもイルレシュ伯も関知してはおらぬ。逆恨みから旧主さえも危険に晒す凶人だ、女狐のついでに叩き斬ってやろう!」


 力強く言い切ったのは、あながち虚勢や演技だけでもない。シャスティエを攫ったレフという男への怒りが、今、彼の胸では激しく燃えている。


 シャスティエの親しい従弟だというその男の、父と兄の首を彼は刎ねた。だから復讐のために手段を選ばないところまでは理解できるし挑戦は受けてやろうとも思う。イリーナやイルレシュ伯の話によれば、シャスティエを密かに想っていたとも聞くから、仇の妻などという境遇を許しがたいと思ったのも想像に難くない。だから最初は気後れのようなものを感じてはいた。


 だが、ならばなぜよりによってリカードと手を組んだのか。イシュテンの王とその義父の間の不仲はアンネミーケも承知していたはず。リカードが敵を排するのに手段を選ばない男だということも。なぜ、シャスティエを救うために彼女を憎んでいることが明らかな者の手を借りようとしたのか――そこに気付くと、その男の行動は愚かしく身勝手なものとしか思えなくなった。そのような浅慮で妻と娘を引き離され危険に晒されたのだ、怒らないでいる方が無理な話だ。


「だが……」

「本当に……?」


 ファルカスの気迫に、場の空気は彼に利するものへと傾きつつある。もはや声高に疑義を呈する者はいない。だがまだ十分ではない。彼自身の行いだから甘んじて受けねばならないが、度を越えて側妃に溺れた愚王ではないか、との疑いはまだ強いのだろう。それにブレンクラーレの干渉も、ミリアールトの王族の生き残りも、誰も(しか)と存在を感じることはできていないのだから。


「――本当に、ブレンクラーレと……その、ミリアールトの残党とやらが結んでいる、と……? ティグリスめ、今際(いまわ)の呪いとばかりにどのような妄言を吐いたのやもしれませぬが……」


 探るように目を見かわし合った末に、口を開いた者がひとり。ファルカスの言葉に一応の筋は通っていると認めつつ、信じ切っても良いものか、といった表情だ。王が都合の良いことを並べ立てて、女ひとりのために彼らを死地に向かわせようとしているのではないか――臣下として当然の懸念だろうし、一面では真実と言えなくもない。とはいえイシュテンを外から狙う者がいるのも全くの事実。だからこそファルカスは恥じることなく臣下の疑問に向き合うことができている。


「いや、事実だ」


 だが、問いに答えるのは彼ではない。ファルカスが口を開く前に、広間の入り口近くの末席から進み出る姿があった。


「あのシャルバールの戦いを思い出せ。忌々しい沼、その底に潜んだ罠に馬が次々と脚を取られる中、それでもティグリスを追い詰めることができたのはなぜか――あの、罠を掻い潜る()を示した一団……その先頭に、俺は確かに金の髪が煌くのを見た!」


 いつもの軽口でも、挑発するように嘲りを滲ませた声音でもなく、真摯な表情で集った諸侯に語り掛けるのは、アンドラーシだ。これも事前にファルカスが命じておいた通り。王の第一の側近として知られる男の言葉がそのまま受け取られるとは限らないが、だが、あの戦いのことを思い出させることができれば十分だ。


「――他にあの場にいた者はいないか? あの時俺はカーロイ・バラージュと共に先頭にいたからな、臆病者には見ることが出来なかったかもしれないが」


 ――相変わらず余計なことを付け加えるな……。


 事前には緊張した様子を見せていたというのに、蓋を開けてみれば挑発も交えた堂々とした語りようだった。さりげなくカーロイ・バラージュの名を挙げたのは、片腕を喪った義弟の名を高めてやろうというアンドラーシなりの気遣いなのか。

 ――ともあれ、アンドラーシの証言ははっきりとした効果を見せた。例の正体が知れぬ一団のこと、その正体はあの後不審に思う者も多かったから。そして多くの者が知るからには、これはファルカスの施した仕掛けではあり得ないと分かるはず。


 広間のざわめきは、もはや不審ではなく納得の声が織りなすもの。あやふやに見えた陰謀が、臣下たちにも確かに形を伴って見え始めたのだ。アンドラーシの言葉が浸透したのを見計らって、ファルカスは再び声を上げた。


「ティグリスはこうも俺に語った。あの時、ブレンクラーレから借りた伏兵が罠に落ちた俺を追い詰めるはずであった、と」


 今度こそ、イシュテンの臣下は怒りで心をひとつにしたようだった。シャルバールでの犠牲は、誰もが生々しく聞いたことであるがゆえに。その怒りを、ファルカスは更に煽り立てる。


「一度は力を貸した相手さえ見捨てるのが女狐のやり口だ。戦馬の神を奉じる誇り高きイシュテンを泥に塗れさせ、これを許すのか? 思いあがった大鷲を地上に引きずり降ろせ! 翼を折って羽根を踏み躙れ! 我らの屈辱を思い知らせるのだ!」


 怒りの声が、雷のように広間に響いた。この場に集った者たちが、口々に戦いへの決意を、ブレンクラーレへの復讐を叫んでいるのだ。


 彼が王位に就いて以来、臣下がこれほど一丸となって応えたことはなかった。それほどの――イシュテンの、国としての怒りの声をファルカスは全身で受け止めた。

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