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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
3. 狩猟の季節
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一歩 シャスティエ

「おかしくないかしら?」


 着付けが終わると、シャスティエはイリーナの前でくるりと回ってみせた。


「よくお似合いですよ」


 不安げな彼女に、侍女は大きく頷いてくれる。


 緩く編んで垂らした髪。宝石は飾らずに絹のリボンでまとめている。

 ドレスは装飾の少ない簡素な意匠のものを選んだ。とはいえ、薄い冴えた青は彼女に似合う色だし、故郷から持ち出したものとあって生地の質も仕立ても良いものだ。

 非公式の場だからこの程度で大丈夫なはず、と思うのと同時に、この程度で大丈夫なのか、という懸念が拭えない。


 なにせ今日は王と会うのだ。礼儀の面からも恥ずかしい格好はできないが、それ以上に前回会った時の酷い格好は悔しかった。だから、着飾れば着飾った分だけ強気になれる気がするのだ。


「そんなに楽しみでいらっしゃるのですか?」

「……なんですって」


 的はずれなイリーナの言葉に、思わず眉を逆立てる。主の勘気を被った少女は、怯えたように首を縮めた。


「だって、あの時のお礼をなさるのでしょう。怖かったけど、王がシャスティエ様を連れて帰ってきてくれたときは、見とれてしまったのです。見事な馬にお二人で乗っている姿は、まるでお伽話のようで素敵で……」


 主人の冷たい視線に気づいたのだろう、イリーナの夢見るような口調が尻すぼみになって消えていく。


 ――あんな血腥いお伽話があってたまるものですか。


 どこをどう見たらそんな解釈ができるのだろう。髪や肌を汚した泥と血を洗ってくれたのはこの侍女だというのに、もう忘れてしまったらしい。


「負い目を残したくないというだけよ。絶対に許す訳がないでしょう」


 とはいえ、少なくとも危ないところを助けてもらったのは事実なのだ。犯人は王の臣下であり、暴走を許したのは王の権威が弱かったからに他ならないだろうが、だからといって礼を言わないのは礼儀にもとる。


私は(ヤー・)復讐を(クリャースタ)誓う(・メーシェ)。それは決して忘れない。だからおかしなことは言わないで」


 イリーナにぴしゃりと言いつけつつ、シャスティエの胸にはもう一つ口に出せない思いがある。


 ――それに、良い教訓ももらったし。


 落としどころを考えろ、と言われた。いかにも傲慢な男にはそぐわないと、信じられないと思ったが、直後に見せられた王とティゼンハロム侯との一幕は、まさにその教訓の実演だった。両者とも絶対に満足などしていないだろうに、お互いの立場と対面のために不満を飲み込んでいた。

 自身の都合を叫ぶだけでは決して思い通りにはならないと、確かに悟らされる場面だった。

 彼女には譲れるほどの手札はない。けれど、だからこそ助けられたまま借りを返さないわけにはいかないと決めたのだ。


 王はミリアールトをまともに統治するつもりだという。不心得者を斬り捨てていると言ったのは、あの激昂ぶりから考えておそらく嘘ではないと思える。けれど一方で、あの男の同類が新しくミリアールトの鎮撫を任せられるのだと、ティゼンハロム侯は言っていた。

 どちらが王の本心なのか。彼女にできることはないのか。知るためにも、王との関係をこれ以上悪化させるわけにはいかなかった。

 そのためには彼女も偽ることを覚えなくてはならない。




「もうすぐいらっしゃるけど……緊張しないで良いのよ?」


 王妃の声はいつもと変わらず優しく穏やかだった。しかし、シャスティエには身体の力を抜くことができなかった。


 王は一度、会いたいという申し出を断っている。その必要はないから、と。


『気になさっていない、ということだと思うけど』


 王妃は首を傾げて笑ったが、シャスティエの不安は強まるばかりだった。

 王妃に伝えたのは、動転していてまともにお礼も言えなかった、改めてお詫びと感謝を申し上げたい、ということだけ。実際には割と冷静さを取り戻していたこと、その上で口答えを繰り返したこと、マントや馬など厚意をはねつけたことは言っていない。心優しい王妃には想像もできないことだろう。

 必要ない、とはもう会いたくない、との意味ではないか。そんな危惧を抱きつつ、再度頼み込んで今日の約束を取り付けたのだった。


 ――王妃様の前では怒鳴らないようにしよう……。


 王の訪れを告げる侍女の声に跪きながら、シャスティエは決意した。




「会わぬと言ったはずだが。なぜお前がここにいる」


 そして頭上から降りてきた冷ややかな声に、シャスティエは思わず顔を上げた。そして不機嫌そうな青灰の瞳に見下ろされて身を竦ませる。

 助けを求めてぎこちなく首を巡らせたのは、王妃の方へ。


「あの、ミーナ様? 私はてっきり陛下にはご了承いただいているものとばかり……」


 恐る恐る口に出した問いかけは、王への言い訳も兼ねている。これを聞いて、王の視線は王妃に移った。


「ミーナ」

「だって、ファルカス様もシャスティエ様もどうしてもと仰るから。黙ってお連れしましたの。そうしないと会ってくださらないでしょう?

 お礼をお伝えしたいだけなのだから、聞いて差し上げれば良いのに」


 咎める視線に怯むことなく、それどころか甘えるように王妃は夫に寄り添った。王も王妃のことを愛称で呼ぶのを意外に感じて、シャスティエは内心で驚いた。仲が良いと、言えるのだろうか。残酷な王と、優しい王妃が? このふたりが並んでいるところを見るのは、狩りの日に遠巻きに見たのを除けば、思えば王宮に到着したその日以来のことだった。


 ――大丈夫だったのかしら?


 どうしても会いたくない王と、どうしても会いたいシャスティエと。王妃は彼女の願いを優先してくれたらしい。しかしそれは王の機嫌を損ねることにはならないのか。シャスティエについては今さらだろうけど、不仲の種になってはミーナに申し訳が立たないと思う。

 戸惑って王と王妃を見比べていると――


「聞こう」


 不機嫌な口調ではあったが、許しが出た。こうなった以上はさっさと済ませろということかもしれない。


 ――こちらも同じ気持ちだけど!


 毒を吐くのは心中に留めて、シャスティエは改めて跪いた。


「先日は、危ないところを助けていただき、ありがとうございました。

 なのにきちんとお礼を申し上げられず、今日まで来てしまい……まことに申し訳ございません。それに、あの折には、その……動転していまして、非礼な態度を取ってしまい大変申し訳なく思っておりました。お気遣いいただいていたこと、改めて感謝を申し上げますと共に、陛下のご寛恕を願い奉る次第でございます……」


 口に出してみると感謝よりも謝罪が多い。そして謝罪を加えてもあまりにも素っ気ない。

 非礼云々の具体例については頼むから突っ込んでくれるな、と思う。できれば王妃には知られたくない。

 息を呑んで、拒絶されないだろうかと身を固くして、王の反応を窺う。

 しばらくして返ってきた答えは相変わらず不本意そうだった。


「そもそもがこちらの落ち度だった。礼も謝罪も必要ない」

「…………」


 ――必要ない、ってその意味だったの……。


 重ねて詫びるべきか、感謝を述べるべきか。どうすれば良いか分からなくて、沈黙が落ちる。王でさえも、続く言葉を探しあぐねているようだった。


「二人共、気にしていないと言ったでしょう? ファルカス様、そんな怖い顔をなさらないで。シャスティエ様、怒っていらっしゃる訳ではないから安心なさって?」


 気まずい沈黙を破ったのは王妃だった。驚く程の無邪気さで王とシャスティエに交互に微笑みかけてくる。


「仲直りしたのだから、皆でお茶にしましょう」


 ――仲直り!?


 あまりにも場にそぐわない言葉に顎が落ちる。声に出さなかったのは僥倖だった。王の方を見ると、その目が諦めろと語っていたので――シャスティエはその通りにした。


 ――この男とお茶を囲むことになるなんて。


 ふわふわと、雲の上を歩くような不確かな感覚を覚えながら、着席する。王の膝にマリカがすかさずまとわりつくのを信じがたい思いで眺めながら。危ない、と叫びそうになったのは、すんでのところで呑み込んだ。幼い子供が父に甘えるのに何も危ないことはない。何より娘へと注がれる王の視線は優しかった。


 王も血の通った人間なのだ、と。今まで認められなかったことが初めて腑に落ちた。


 一歩だ、と思う。譲歩して譲ったのか、歩み寄ったのか――それとも、進むことができたのか。それは、わからないけれど。

 この数ヶ月何もできなかったところから、確かに一歩動いたのだと思った。

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