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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
18. 傾国
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女の価値 アンネミーケ

 季節は盛夏を過ぎ、日に日に昼の時間は短く、日差しも柔らかくなってきている。夕方には風が涼しいとさえ感じることもあるが、日中であればむしろ野外での集まりに絶好の時期と言えた。

 だから、この時期の――晩夏から初秋のブレンクラーレでは、庭園を開放して客を招くのが貴顕の間での倣いとなっている。季節の花々や枝ぶりを整えた木々、その色づき始めた葉を楽しむのは言うに及ばず、素朴な農村の暮らしを模してみたり、領地によっては川や湖に船を浮かべたり、等の趣向を凝らすこともできるだろう。

 だが何と言っても人が憧れ招待されることを待ち望むのは、鷲の巣城(アードラースホルスト)での催しだろう。王族の住まう城に招かれるのは忠誠や国への貢献、あるいは相応の才知を認められたという証。まして王太子に子が生まれたばかりとなれば、自身の子女を将来の側近にと売り込もうとする者は後を絶たない。


 だからレオンハルトを抱いたギーゼラの周りに人だかりができているのも当然のこと。新妻の間は顧みられなかった息子の妻が、母となって自信を得て、群がる有象無象に笑顔で対応しているのも、きっと喜ぶべきことなのだろう。


「レオンハルトはまだ幼いというのに……人に酔って熱を出すぞ……」


 場の中心にいる嫁の横顔を遠目に眺めながら、アンネミーケは扇を揺らした。かなり穏やかになったとはいえ、まだ纏わりつくような暑気を払おうと。……あるいは、吹き散らしたかったのは、彼女自身にも正体の掴みがたい苛立ちなのかもしれなかったが。否、今の彼女に苛立つことなど何もないはず。ならば単に日差しが鬱陶しいだけなのだろう。


「一通りお披露目した後はレオンハルト殿下は屋内に戻られるとか。乳母も控えておりますので御心配には及びません」

「当然であろうな」


 取りなすような顔と口調で、冷水で満たした杯を差し出す侍女も、アンネミーケの苛立ちを煽った。気遣われなければならないほど不機嫌を露わにしているのだと、突きつけられているように思ってしまう。

 彼女の好みに合わせて、すっきりとした後味の香草で香りづけされた水を飲み干しても、もやもやとした苛立ちを洗い流すことはできなかった。庭園の隅に追いやられている、などと僻んでいる訳では断じてなく、ただただギーゼラの笑顔が本心からのものか疑っているだけだ。息子を腕に抱いて、傍らには夫のマクシミリアンがいて。何も知らぬ者ならば、幸せの絶頂にいると信じてもおかしくないかもしれないが、アンネミーケにはとてもそうは思えない。


 ――あの娘はあれで満足なのか……?


 王子を生んだ後にもてはやされるのは、アンネミーケ自身にも覚えがあることだ。だが、彼女の場合は無邪気に喜ぶことなどできなかった。王妃とはいえ、夫君が関心を向けるのは頭に砂糖が詰まった女どもばかり。容姿が劣れば遊び女にも嘲られると思い知らされた後のこと、それでも治世の助けになることで廷臣に認めさせようと努めて、それが実を結び始めたことのころだった。

 我が子は無論愛しかったし、多少なりとも夫君からも労いの言葉はもらえたと思う。だが、それは彼女の能力とは何のかかわりもないことだった。なのに冴えない女が意地を張って、と陰で嗤っていたような者たちも王太子の母には手のひらを返してすり寄って来たのだ。

 女の価値は、まずは容姿。次いで男を生めるかどうか。そのようにはっきりと見せつけられることは、彼女の矜持を大いに傷つけたものだ。


 ――(わたし)の性根が歪んでいるのか、あちらの方が卑屈なのか……だから喜んでいられる、と……?。


 アンネミーケは、少なくとも政に貢献できるという点での自負はあった。一方のギーゼラは容姿ばかりでなく頭の方も凡庸な娘――ならば王子を生んで未来の国母と祭り上げられることで満足できるのだろうか。その程度の娘ならば、アンネミーケが思い悩む必要もないのだが――


「陛下。お楽しみのところを失礼いたします」


 自らの過去と、ギーゼラがいる現在、そして息子と孫が担うことになる国の未来に思いを馳せていたところに不意に声を掛けられて、アンネミーケは我に返った。見れば高位の貴族のひとり、特に武で名を馳せる家の者が彼女の元へ歩み寄ってきている。


 ――別に楽しんでいる訳ではないが。


 とはいえ彼女が華やかな場所を好まないのは周知の事実、相手も型通りに言っただけであろうことを一々あげつらうほど彼女の時間は安くない。


「何事か」


 なので居住まいを正し、煩い前置きは抜きにして問うと、相手もごく端的に切り込んできた。


「摂政陛下におかれては西の方に兵を集めておられるとか。なぜ今さらイシュテンに介入なさろうと……?」


 ――ああ、やはりそのことか。


 相手の顔を見た段階で予想がつき、かつ鬱陶しく面倒な用件だったので、アンネミーケの答えもやや粗く不機嫌をにじませた口調になってしまう。せっかく爽やかな夏の屋外の席だというのに戦の話など、まったく無粋なことだった。


「イシュテン王とティゼンハロム侯爵の対立は日に日に深まり、内乱に至るのも時間の問題とか。厄介な隣人の力を削ぐのに、またとない好機であろう」

「恐れながら、国王陛下はご承知のことでしょうか。国内を疎かにしてまで外に兵を向けるなど――」


 それに対する反問さえ思った通りだったので、アンネミーケは唇を歪ませる。無論全く楽しいとか嬉しいということではないが。いかに国主のように振る舞っていても、彼女はその妻に過ぎず、王ならざる者が国を左右するのを面白く思わないものもまだ多い。――久しぶりに、そのことを思い出させられて心が波立ったのだ。


 夫君が病に倒れて国政を預かって以来、アンネミーケが大規模な軍を動かしたことはない。幸いにというか今ブレンクラーレを狙う外患はなく、国内の不穏な動きも皆無ではなかったが、信頼に足る者に任せれば鎮めることができる程度のものだった。割合に平穏な時代だからこそ女が国を動かしても問題がなかったとも言えるし、しょせん王の妻に過ぎない者には大軍を動かす資格がないとも言える。アンネミーケとしても剣と剣でぶつかり合うなど下策も下策、時間を掛けてでも無傷で利益を得るまで待つのが知恵ある人の業というものだと信じていた。


 だが、この先数十年に渡ってイシュテンを弱めることが出来る機会が目の前にあるかもしれない、と思えば話は変わる。最初はティグリス王子、次いでティゼンハロム侯爵、それにミリアールトの美しい公子――実際に血を流すのは彼らでも、これはアンネミーケにとっても大きな賭けなのだ。

 だから、彼女を快く思わない者が不審の目を向けようと、足を引っ張ろうと無用の詮索を巡らそうと、知らぬふりを通さなければならない。こういう時に、扇を弄んで間を持たせることができるのが女の便利なところだった。


「好機というなら、ここ数年のイシュテンには隙が多かったかと存じますが。ミリアールトを攻めた際、イシュテン王は国を空けましたし、乱というならティグリス王子のこともございました」

「ティグリス王子……あれは我が国にとっても迷惑なことであったな」

「先の機会と今と、何がどのように違うのでしょう。愚臣にご教示賜りたく」


 へりくだって見せながら、アンネミーケを睨むように見る相手の目には疑いが昏く光っている。とはいえこの男が疑っているのはアンネミーケが権力に酔ってブレンクラーレに戦禍を招こうとしているのではないか、ということだろう。あるいは、もてはやされるギーゼラへの対抗心から度を過ぎようとしているとか。ティゼンハロム侯爵との密約など想像にも及ぶまいとはいえ、無礼な妄想といえるだろう。

 一応は油断なく相手の顔色を窺いながらも、アンネミーケは淡々と用意していた答えを返す。


「ミリアールトの際は、ティゼンハロム侯爵は表立って王に逆らおうとはしておらなんだ。そしてティグリス王子の乱の際は、ミリアールトは元王女を人質に取られて動けなかった。だが、例の政策のお陰でミリアールトにも鬱憤が溜まっていよう」

「イシュテンで乱が起きればミリアールトはそれに乗じる……陛下は更にその混乱に乗じようと考えておられるのですな」

「そう。それなりに目算の高いことだと考えておる」


 ――まるでこそ泥のように言ってくれる……!


 他者が争うその横から、利を攫おうとしているかのように言われるのが癪だった。確かに形だけを見ればそうなるのかもしれないが、ミリアールトまでもを巻き込んで、この時期に必ずイシュテンが国内で争うように仕向けるのにどれほどの時間と労力と人命を割いたと思っているのか。

 とはいえ、他国の内乱に――それもその国の王に背く方に加担して――介入するなど、名高い大国が採る策としては人聞きが悪い。だからあくまでも()()()()機会が転がり込んできたように見せなければならないのだが。


「とはいえ可能性に過ぎませぬ。不確かな賭けで数多の兵を失ったとあっては、栄えあるブレンクラーレの歴史の汚点にもなりましょう」


 ――女風情が余計な色気を出すなと言いたいのだな。


 相手の言い分を概ね理解して、アンネミーケは広げた扇の陰で嗤った。


 国の威光が陰るのを憂えて、というのは本心の半分に過ぎないのだろう。もう半分は、生まれながらの王族でもない癖に分を弁えろ、といったところか。夫君から仮に権力を預かった身で敗北を招くなど、確かにあってはならないことだが――


「そなたの進言、まことに痛み入る」


 イシュテンとミリアールト、両国での情勢も全て把握しているアンネミーケにとってはいらぬ世話だ。忠臣(づら)で彼女の策を妨げようという者どもも、()()()になれば黙るだろう。そう思えば、扇を口元から外して鷹揚に微笑むこともできる。


「だが、これは王太子も賛同していること。レオンハルトの誕生祝いに、イシュテンの脅威を除いてやろうとの親心だ」


 閉じた扇でマクシミリアンの方を示すと、アンネミーケに詰め寄って来ていた男は軽く顔を顰めた。女の差し出がましいのを嫌う一方で、この手の者は()()()王族に対しては呆れるほど弱いものだ。事実、相手は目に見えて語勢を弱めて目を伏せた。


「……レオンハルト殿下とご一緒のところ、お耳汚しになるかとは存じますが……。念のため、煩いことも聞いていただこうかと存じます」

「臣下の衷心からの言葉は、あれはいつでも喜んで受け取るであろう」


 言葉の裏表を考えず素直に受け取ることができるのは、マクシミリアンの一応は美点に数えても良いだろう。母や妻の立場や心情を考えることはない代わり、臣下の進言の裏に潜んだ打算や嫉妬や悪意を読み取ることもしない。言葉通りに、臣下が国の行く末を憂えていると捉えて忠誠を喜ぶことだろう。容姿にも生まれにも恵まれた息子は、良くも悪くも大層おおらかな性根をしている。母としては欠点として見えることが多いが、臣下にとってはまた違うように見えるらしい。


「まことに寛容なお心のお方でございます。次代の主君として戴くことができる幸運、睥睨する(シュターレンデ)(・アードラー)の神に感謝申し上げております」


 アンネミーケには少々信じがたく、また滑稽なことではあったが、男は神妙に頷くと簡単に王妃の前を辞する礼を伸べるとマクシミリアンの方へ足早に去って行った。見ていると、息子も思った通りにこやかに相手を迎えている。


 ――親離れさせようというなら無駄なこと……。


 王妃がその分を越えて兵を動かそうとしている、などと。回りくどい言い方では息子の耳には届いても脳までには至るまい。しかもマクシミリアンは母であるアンネミーケのことを信じている。ブレンクラーレと彼自身のために常に最善を尽くそうとしている、と。息子もイシュテンでの企みは承知しているから、あの男が考えているように分の悪い賭けでないことも分かっている。


 国外の状況については不透明な部分が大きいけれど。ティゼンハロム侯爵もミリアールトの公子も、完全に信用できる相手ではないけれど。少なくともブレンクラーレ国内のことに関しては、アンネミーケはだからさほど憂えていなかった。ただひとり彼女よりも高い地位にある夫君はもはや人前で自らの意思を発することはできず、王太子である息子との関係も揺るぎないもの。多少彼女を煙たく思う者がいたところで、何ができるはずもない。


 イシュテンからの報告では、ミリアールトの元王女はめでたく王宮を出て警備の薄い場所へと移ったということだ。アンネミーケが貸し与えた手勢を使って、あの貴公子が攫い出してくれる日も近いはず。そしてそうなればイシュテン王はミリアールトを疑って攻め入り、その隙にティゼンハロム侯爵が挙兵する。ミリアールトも、人質が無事に逃げおおせたとなれば踏みにじられるだけではいないだろう。


 ――早く事態が動けば良い。イシュテンさえ片付けば、いつでもマクシミリアンに実権を譲って構わぬのだ……。


 アンネミーケが謀を巡らせる理由の全ては、安心して息子の治世を見守るため。ブレンクラーレという大国を、少しでも治めやすい状態にして息子に渡すためにこそ、彼女は日々重責に耐えているのだ。長年の苦労が報われる日が近いと思えば、さすがにアンネミーケも逸る心を完全に抑えるのは難しかった。晩夏の日差しも穏やかな庭園での席で、社交に励むよりも遠い異国のことに思いを馳せてしまう程度には。


 だから、レオンハルトを抱いたギーゼラがちらりと寄越した視線の意味を、アンネミーケが深く考えることはなかった。

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