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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
3. 狩猟の季節
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二度目の対峙 シャスティエ

 シャスティエが緊張して見つめる中、王は剣を払って血を落とすと鞘に収めた。そして彼女に向き直ると、青灰の目が不快げに細められる。


「なぜ口を出した?」

「は?」


 強い口調で詰問されて、思わず間の抜けた声を出してしまう。それもまた王の気に障ったらしく、苛立ちも露に叱りつけられる。


「お前を盾に取られたら厄介だから早々に剣を抜いて気を逸したのだ。()()にそこまでの頭がなかったのは幸いだったが……それぐらい察して黙っていろ」


 待てと言ったことを責められているらしい、とやっとわかった。だが、同時に反発心が沸々と湧き上がる。

 不当に非難されていると思う。命のやり取りを間近に見たのは初めてのことで、どうすれば良いかなど知るはずがない。何より、なぜ王ともあろうものが反逆者を処罰するのにそこまでの配慮が必要なのか。シャスティエは巻き込まれたに過ぎないのに。


「それは――」

「それとも割って入らない方が良かったか? ろくに抵抗もしていなかったようだが」


 ――何を、偉そうに。


 反駁しようとしたのを遮られて、ぷつり、と何かが切れる音を聞いた。

 抗うか、無言の反抗を貫くか。一瞬とは言え深い葛藤があったのだ。それを無碍にする王の言葉に、怒りが激しく燃え上がる。


「お言葉ですが」


 いまだ脚を投げ出したまま、両腕で上体を支える体勢のために、首が痛くなるほどの高さにある王の顔を、恐怖も忘れて睨め上げる。


「抵抗すれば逃げられたとお思いですか? この細腕で? お見せする訳にはまいりませんが、足も痛めているのですけれど。

 あるいはその男が諦めてくれたとでも? その者は私に悲鳴を上げて楽しませろとまで言ったのですよ。

 どうせ逃げられないのであれば、決して喜ばせるような真似はしたくないと思ったのですが、責められることでしょうか?」


 一息に述べると、王は一層不快げに顔を顰めた。


「相変わらず可愛げのない……!」


 それでも王の語気がやや弱まったのを見てとって、シャスティエは傘にかかって更に冷たく切り返す。


「それは可愛らしく振舞ってやり過ごせとの仰せでしょうか? 微笑みを売るのを生業(なりわい)にする類の女のように?」


 娼婦などという単語はシャスティエのイシュテン語の語彙になかった。しかし上手く切り抜けたと思う。この男の前で言葉に詰まるところなど見せたくなかったし、知っていたとしてもそのような単語を口にする訳にはいかない。


「そんなことは言っていない」


 王が気まずげに目線を外したのを見て、シャスティエは初めて勝った、と思って薄く微笑んだ。

 そして瞬時に後悔する。男の言葉の真偽を聞くのに王以上の相手はいないのに。怒らせるような物言いをしてしまった。


 ――どうしよう……。


 沈黙が流れた。

 どうすれば良いかわからなくて、シャスティエはぼんやりと自分の姿を見下ろした。無残なものだと思う。深緑色のドレスは血と泥で汚れてもはやどす黒い。濡れた生地が肌に張り付いて体温を奪っていくのも厭な感触だ。剣で裂かれた裾を抑えてはいるが、他にもあちこちがほつれ、裂け、擦り切れている。


 ――どうしてこんな格好で……。


 堂々と立つ王と地に這う自分との落差で惨めになってくる。ミリアールトの王宮で対峙した時といい、どうしてこの男と会う時に限ってシャスティエは威厳を保つことができないのだろう。


「酷い有様だな。これでも被っていろ」


 と、声と共にばさり、という音が降ってきて視界が暗くなる。もがく手に触れる質の良い厚手の毛織物の感触に、マントを投げつけられたとわかる。


「いりません」


 咄嗟に拒絶してから、またやってしまったと思う。

 しかし、汚れているというなら王のマントだって返り血を浴びているのだから似たようなものだ。それに、何であってもこの男から哀れみを受けるのは耐え難い。


「黙って受け取れ。脚を見せつけて動き回る気か?」


 ドレスの裾が裂かれているのを気づかれたと知って、羞恥で頬に血が上る。確かに、王に合わせた丈なら彼女の足元を隠してなお余るだろうが。


「……そういうことでしたら、頂戴いたします」


 不承不承、頷くと、マントを羽織る。冷えた身体に暖かさが心地良いのが悔しい。


 痛みをこらえて立ち上がると、思った通りにマントの裾は地に引きずるほどで、とりあえず脚を露出する心配はなくなった。

 シャスティエがマントと格闘する間に、王は彼女の眼前から消えていた。姿を求めて辺りを見渡すと、生首を抱えた姿を見つけて息を呑んだ。絶叫の形相のまま固まったそれは、正視に耐えるものではない。

 王は凝視されているのに気づいてこちらをちらりと見ると、淡々と告げてくる。


「身体は無理だが首だけでも持ち帰る」


 王は男の衣服を脱がして首を包むと、男の乗っていた馬の鞍にくくりつけた。とても――嫌になるほど手際が良い。

 そして、固まったまま立ちつくすシャスティエを不審げに眺め――やがて納得したように頷いた。


「お前が斬首を恐れるのも無理はなかったな……」


 王の口調は幾分柔らかい。先ほど強く咎めたことに対する配慮のつもりなのかもしれない。だが、ミリアールトで自身が何をしたかを今の今まで忘れていたかのような様子に、思わず険のある言い方で返してしまう。


「……怖くはありませんでしたわ」


 それは強がりだった。だが、全くの嘘という訳でもない。

 男が無様を晒してくれたのが逆に助かった。叔父たちの最期があんな風であったはずは絶対にない。ゆえに、全く別のこととして割り切ることも無理ではなかった。王に剣を向けるのは言い訳のできない反逆だ。ならば死を賜るのも致し方ないことだろう。たとえその王が彼女にとっては憎い仇であったとしても。

 シャスティエの揺れない眼差しを受けて、王は意外そうに軽く眉を上げた。


「ではなぜ止めた?」


 純粋な好奇からに思える問い掛けに、今なら、と思う。今ならミリアールトのことを尋ねても大丈夫かもしれない。


「その者の言うことが聞き捨てならなかったのです。

 略奪をしていない、とはミリアールトのことですね? 敵よりも味方を殺しているとはどういうことなのですか?」

「治安を乱した者は斬って良いと命じてある。不心得者はどうしても絶えんからな。そのことだろう」


 意外と普通に会話ができることに内心で驚く。しかし、王の答えは新たな疑問を呼んだ。


「なぜそのような命を?」

「王の命に背いたのだから、それこそ反逆にあたるだろう」

「治安を乱すなと命じられたと? それでは、そもそもなぜそのような命を?」


 当たり前のように返されて少なからず混乱する。重ねての問いは、同じ言葉を繰り返すひどく間抜けなものになってしまった。


「統治するからには民の不満は抑えなければならん。……そこまで言わなければ分からないか?」


 違う。シャスティエが知りたいのは、もっと根本的なこと。

 イシュテンは他国を滅ぼすことはあっても、その後まともに統治しようとすることなどない。少なくとも彼女の知る歴史の上では。前例のないことをなぜこの王は為そうとするのか。

 答えをもらえるような問いを考えなければ、と焦るが、思考がまとまらない。立ち上がったからか、とりあえず命の危険が去って緊張が解けたのか、全身が熱を持って痛み始めている。


「そうではなくて……なぜ――」


 どう言えば良いか思いつかない。言葉は宙に消えてしまう。煮え切らない態度に見えるのだろう。王の口調が再び詰問の色を帯びる。


「何が言いたい? 教えられなかったことが不満か? アンドラーシには聞かなかったのか?」


 自国のことなのに何も知らないのかと咎められているようで、シャスティエは悔しさに俯いた。

 特に、最後の問いは耳に痛い。確かに彼女はアンドラーシに故郷のことを尋ねたことがある。しかし――


「聞きましたが信じておりませんでした」


 痛みに意識を取られて言葉を飾る気力がなくなってきている。痛めた方の足をかばって片足に体重をかける。きっと不貞腐れているように見えてしまっているだろう。

 案の定というべきか。王は嘲りに口元を歪めた。


「お前が納得できるように丁寧に説明してやらなければならなかったか。なんと傲慢な」

「……陛下に何が分かりますか」


 お前呼ばわりしそうになるのを辛うじて飲み込んだ。それほどに、痛みと混乱で余裕がなくなってしまっている。

 信じられるはずがない。敵の言葉を。都合の良すぎる内容を。彼女が知る常識とかけ離れたことなのに。


「説明する気をなくさせたのはお前が悪い。(やかま)しいだけの女など話すだけ無駄だ」


 吐き捨てると、王は大股でシャスティエに歩み寄ってきた。間近に見ると優に頭ひとつ分はある身長差を実感させられる。


 ――この男、何でこんなに背が高いの。


 見上げるのも見下ろされるのも嫌だ。この男にはいつも、力でも言葉でも叶わなくて悔しい。痛みと熱が耐え難くなってきている。無視して座り込んでやりたいがそうもいかない。


「何でしょうか」


 もう会話は終わりということだろうか。近寄って何をする気なのか。

 これだけ嫌われているからには大丈夫だと思うが、先ほど男に抑えつけられた記憶が蘇って身体が硬くなる。

 身を守るようにマントの前をかき合せる。そのマントも王に与えられたものなのだから滑稽なのだが。

 王は彼女の警戒には気づかぬ風で、さらりと告げてきた。


「足を痛めていると言っていたが、立てるくらいなら問題ないな。

 俺の馬に乗せてやるから、前か後ろどちらが良いか選べ」


 一瞬、イシュテン語の聞き取りを間違えたかと疑う。しかし、黒く大きい馬を視線で示されて理解が正しいことを悟り、シャスティエは目を見開いた。


「嫌です。一人で乗れます」

「お前のあれは乗れるとは言わん」


 彼女と騎馬民族であるイシュテン人の間で「馬に乗れる」ということの定義が大きく異なるのは気づいていた。森の中を進み、犬や獲物が騒ぐ中で馬を宥めなければならないと知っていたら、決して乗馬ができるなどとは言わなかっただろう。


「ですが!」


 だが決して譲る訳にはいかない。同じ馬に乗ったりしたら、どうやっても王と密着してしまう。それだけは絶対に避けたい。


「第一、男乗りができるのか?」

「…………」


 避けたいのだが。それを言われると沈黙するしかない。

 彼女の乗ってきた馬は既に息絶えている。男の馬はもちろん無傷だが、乗ることはできない。馬に跨る男と横向きに腰掛けるだけの女ではそもそも鞍の形が違うのだ。

 男の乗り方などやったことがないし、例え試したところで脚を大きく露出することになってしまう。


 ――鞍を付け替えれば……でも私にはできないし……。


 結局王に頭を下げるしかないのか。

 唇を噛んで考え込んでいると、不意に足が宙に浮き、目に映る景色がぐるりと回転した。


「何を……!」

「遅い。決められないならこのまま担いでいくぞ」


 ごく近くから響く声に、腰の辺りに回った腕に、業を煮やした王に抱え上げられたのだと気付く。傷ついた身体では抵抗もままならず、しかも下手に動くと脚を晒してしまうのでは大人しく運ばれるしかない。


 ――気が短すぎる!


 怒りと羞恥のあまりに言葉が出なかったのは、きっと幸いだった。でなければどんな無礼を口走っていたか分からない。




 結局、シャスティエは前に乗せられることを選んだ。前後どちらでも裸の馬の背に座ることになり、不安定なのは同じだが、後ろに乗って王の背にしがみつくのは何としても避けたかった。

 これはこれで王の腕の中に収まる体勢になり、屈辱的なのだが。馬の(たてがみ)にしがみつくことができるのでまだしもマシだろうと判断した。馬は可哀想だが仕方ない。


 王の馬術の腕は確かなもので、彼女が自身で馬を操るよりも遥かに安定している。どういう術かは知らないが、男の馬も後をおとなしくついてきているようだ。その鞍では元主人の首が揺れているわけだが――視界に入ることはないので考えないようにする。


 ――身体が熱い……。


 安定しているとはいっても馬の振動はやはり傷に響く。ともすれば目を閉じそうになるのを必死にこらえる。敵の前で意識を手放す失態は二度と犯したくない。


 それに、王と二人で話せるのは貴重な機会ではあるのだ。

 話しても無駄と言われたけれど。話す度に怒り、怒らせてしまうけれど。


 ――体裁を気にしている場合ではないわ。


 否定されようとも彼女はミリアールトの女王だから。今まで故国のことを真剣に知ろうとしなかった――怖いだの信じられないだの言って王に会おうとしなかったのは逃げに過ぎなかった。


「あの」


 意を決して呼吸を整えると王を見上げ、話しかける。


「どのように振る舞えば、話をするに値すると認めていただけますか」


 狭い馬上で、痛む身体が許す限りで王の表情を窺おうと身体をよじる。

 青灰の瞳が一瞬彼女を見下ろした後、また前を向く。これほど王の顔を間近に見るのは初めてで落ち着かない。容姿に優れているのは認めざるを得ないからなおのこと。シャスティエの兄や従兄弟たちも雪の女王の恋人と称されるような美貌の貴公子だったが、この男の持つ雰囲気はまた違う。野生の獣のような精悍さと獰猛さを感じさせて、怖かった。


 やはり無視されたのかと思った頃、やっと王は口を開いた。


「お前の言うことは理屈ばかりだ」


 シャスティエは眉を寄せた。何か自分の在り方を否定されようとしている気がした。怪我による熱のせいか、単に馬上にいるせいか、視界が揺れる。そんな中でも王は堂々と揺るぎなく見えて気に入らない。

 王はまたしばし沈黙してシャスティエを不安にさせ、そして付け加えた。


「正論が必ず通るとは限らない。人は自分の利しか考えぬものだ。

 交渉と譲歩を覚えろ。邪魔な矜持は捨てろ。落としどころを考えてから口を開け」


 他者に譲る気など全くなさそうな男が何を言っているのだろう。それに、彼女に矜持を捨てることなどできるだろうか。

 問い返す声音は不審に満ちていた。


「そうすれば話を聞いていただけますか?」


 今度は即答が帰ってきた。


「内容による」


 ――結局お前の気分次第じゃない!


 心中で罵るが、ここで口に出しては下手に出たのが無駄になる。それに、少なくとも王が揶揄(からか)って言っている訳ではないと感じられたので、口答えするのは控えておく。


「……心いたします」


 不機嫌は滲んだものの従順に答えると、シャスティエは前に向き直った。

 それからは、できる限り王との接触を避けるのに集中した。

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