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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
14. ふたつの名前
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大いなる誤解 アンドラーシ

 馬を駆けさせるアンドラーシは、前方に一台の馬車を見つけた。賊に狙われでもしたかのように、十数人の武装した男に囲まれ、止められている。

 従えた配下に目で合図し、男たちの背後を取るように方向を調節しつつ、さらに近づく。そうすると馬車のすぐ傍、男たちに取り囲まれた中心に、馴染みのある娘がいるのが見えた。それを確かめて、アンドラーシの唇は弧を描く。


 ――当たりを引いたか……!


 エシュテル・バラージュがリカードに狙われて意に染まない縁談を押し付けられようとしているのかもしれない。クリャースタ妃からの報せを受けた王によって、アンドラーシはカーロイ・バラージュらと共に呼び集められた。側妃が想定した最悪の事態――リカードの意を受けた者が力づくでエシュテルを妻にしようとする事態――は、確かにかなりの説得力があったから、取り急ぎ彼女の行き先を割り出して保護せよとの王命だった。


 (エシュテル)がクリャースタ妃に語ったことと、(カーロイ)の親族についての知識を合わせて、娘が訪ねた先はほぼ判明したものの、どの道をどの程度の速さで通っているか、どこでエシュテルに追い付くことができるかは分からなかった。

 だからアンドラーシらはそれぞれ少数の手勢率いて馬を駆った。その地を訪ねる馬車が必ず通るであろう地点を幾つか絞り混んで各々に割り当て、己の持ち場に最短の距離で駆けつけるという策だ。他人の領地に無断で立ち入る非礼を犯すため、所持者に権限を与える王の委任状を携えて。


 移動する対象を、正確な経路を知らないままに追うのだから、必ず追いつけるとは限らなかった。だが、この分だと彼はエシュテル・バラージュを見つけることに成功したらしい。それも、かなり危ういところで。もう少し遅れていたなら、娘の身は――というか貞操は――リカードの配下の汚い手に落ちていたことだろう。


 安堵を覚えたのも一瞬のこと、アンドラーシはすぐにどうやって娘の安全を確保するか、に意識を切り替えた。


 ――まずは……牽制する!


 弓に矢を(つが)えて、視線の先に意識を集中させる。馬車と娘ばかりに気が向いているらしい男たちは、彼の方からすれば大きな的に過ぎなかった。たとえ馬を駆けさせながらでも決して外したりなどしない。迷いなく放った矢を放つと、それを追うように、エシュテルの元へと急ぐ。


 そして彼の自信を裏切らず、矢は馬車を取り囲んでいた男のひとりの腕に突き立っていた。


「貴様、なぜここにっ!?」


 娘に手を伸ばそうとしていた男が驚愕に目を見開いて振り向いた、その間抜けな姿に。首尾良く不意打ちが成功していたことに。なぜか彼の顔が相手にも知られていたらしいことに。アンドラーシは笑い――高らかに告げた。


「その娘を守りに。クリャースタ様の――ひいては陛下のご意志だ。反逆と呼ばれたくなければその汚い手を引くが良い!」




 娘を背後に、アンドラーシに向き合って。男はしばし言葉を失っていた。


「王の意思だと……!? 娘ひとりのために、そこまでするはずが……!」

「クリャースタ様のお望みを叶えるために決まっているだろう」


 地上に立ち竦む相手を馬上から見下ろすのも、無知を正して嗤ってやるのも、大層楽しいことだった。


「気に入りの侍女をつまらぬ男には渡したくない、守ってやりたいと陛下に強請られたとか。王の御子の母たる御方の不興をも買いたくはあるまい? そら、委任状もここに」

「ぐ……」


 王と側妃の名で脅されて、紅潮していた男の顔が瞬時に青褪めた。リカードは書簡に施す封印を使い分けて嫌疑を言い逃れたというが――それさえも、封印を偽造したということではなく、しかも自家の紋章の話だった。王の名を騙ることは、それ自体が大罪だから、それこそ娘ひとりのために、命を賭して反逆の罪を犯す者はいない。その一点が、彼の言葉に重みを与えているはずだった。


 ――さっさと尻尾を巻いて逃げれば良いのだ……。


 エシュテルはまだ男の傍に、そして敵側の手勢に囲まれているから、油断はせずに手は常に剣を意識しつつ。アンドラーシは相手に人の言葉が通じることを願った。まともに考えることができるならば、非を詫びて許しを乞いながら引き下がるべきなのだが――


「お、俺はただ結婚の申し込みをしているだけだ! あの若ぞ――弟では埒が明かないから、直接話せる機会を求めただけ、なぜ非道を働いているように言われなければならぬ!?」


 吃りながらの相手の言い分はあまりに苦しく無理があるもので、アンドラーシは呆れ返った。何しろエシュテルは短剣を握りしめている。それはこの男の手に落ちるくらいならば命を断つという覚悟の現れなのだろうし、男が言い募る間にも彼女は露骨に顔を顰めて首を左右に振っていた。


「……どう見ても嫌がっているようだが。返事はどうだったのだ?」


 体面を繕おうとしているにしても、あまりにも杜撰な言い訳だった。エシュテルがはっきりと断りの言葉を述べたなら、この場は退かざるをえなくなるはずだというのに。


 ――はっきりと、振ってやれば良いのだ。


 彼の呆れはエシュテルとも正しく共有できたらしく、アンドラーシの目に応えてエシュテルは微かに頷いた。

 手酷い拒絶を吐くべく娘の胸が大きく上下して、唇が開く。が、言葉が実際に紡がれることはなかった。


「――そこで、何をしている!?」

「――え!?」


 突如響いた声に、娘の目までもこぼれ落ちそうに見開かれ、元々の意図とは違う、驚きの叫びが飛び出したから。

 声のした方――アンドラーシが来たのとは逆の方を見れば、彼と()()求婚者に加えて、三つ目の騎馬の一団が駆けてきている。先頭の初老の男の顔も名前も、彼は知らなかったが――


「あ……小父様!?」

「ジュハース殿!」


 エシュテルの、ついでに男の叫びが、現れた者の名前と立場を教えてくれた。


「勝手に我が領地に立ち入りおって……しかもそこにいるのは我が一族の娘ではないか! 貴様、何をしようとしていた!?」


 更に、第三の男自身の言葉でもその立場は知れた。つまり、この男はバラージュ家の親族のひとり。リカードに持ち込まれた縁談をありがたがって、強姦魔まがいの男にエシュテルを委ねようとした男だ。一応は親族の娘に対する情もあるようでもあり、単にリカードらの為人(ひととなり)や王との確執をよく知らないだけかもしれないが。だが、それはこの場において何の慰めにもならないだろう。


 やたらと行動が早い気がするのは、リカードが邪魔が入ることを見越して何か言い含めていたのか。エシュテルを迎えるべく待ち構えていたのか。あるいは別の場所に向かった朋友たちが何か騒ぎでも起こしたか。……それもまた、今考えてもどうしようもないことだった。


「俺は、陛下の――」


 アンドラーシが言おうとした言葉は、低い位置からの声――下馬してエシュテルに手を伸ばそうとしていた男の――によって遮られた。


「わ、私が姫君に求婚しようとしていたところへ、突然襲いかかってきたのです! 大方、姫君を攫ってバラージュ家を取り込もうとしたものに相違ありません!」

「何と不埒な――!」


 ――それはお前だろうが……。


 ジュハースとかいう男の、彼に対する目が険しくなるのを感じて、アンドラーシは心底うんざりした。言いたいことは山ほどあるが、一見したところでは確かに彼の方が先に手を出したように見えるかもしれない。そして、エシュテルには悪いがこの男に人の話を聞くことができる度量があるとはとても期待できなかった。


 ――何と、面倒な。


 溜息を堪えつつ、アンドラーシは密かに相手方の人数を数えた。ジュハースが引き連れてきた手勢も合わせると、彼の方がやや不利だろうか。王の委任状を見せて黙れば良し、問題はそれを見ようともしなかった場合と、口封じをすれば済む、などという発想に至った場合か。その時は、不利な戦いを強いられることになる。

 凄惨な予感にアンドラーシは一瞬顔を顰めるが――すぐに思い直して、嗤う。


 ――ま、いつものことか。


 ジュハースが現れたからには、名も知らぬ()()()がエシュテルに暴行を働く恐れはなくなった。血縁の娘のことならば、頼むまでもなく守ってくれるだろう。つまり、彼は全力で暴れることができるという訳だ。相手に不足はありすぎるが、そこは人数差によって良い勝負にできるのではないだろうか。


「どうとでも思うが良い!」


 説得を試みるだけ、無駄。そう思い切ると、アンドラーシは剣を抜いて高らかに叫んだ。

 年嵩のジュハースはさほど恐れる必要もないだろうし、腕に覚えのある者が女に無理強いして財を手に入れようとするはずもない。要はエシュテルが無事ならばクリャースタ妃の願いは叶うのだ。過程が力づくになったとしても、あの方も不満に思わないだろう。


「貴様のような小者にその娘は渡さない。欲しいのならば剣に訴えてみろ。せめて馬上で死なせてやろう!」


 ならば剣の力で解決した方が早い。そうと決めての挑発に、相手は見事に乗ってくれた。


「生意気な……! 貴様も結局それが狙いか!」


 訳の分からない呻きは捨て置いて、相手が騎乗する時間を許してやる。まずは首尾良くエシュテルから気を逸らすのに成功したようだったから。男が背を向けた隙に、エシュテルは素早くジュハースの方へと駆け寄っていた。


「小父様、あの方は――」

「案ずるな、エシュテル。ティゼンハロム侯爵が選んでくださった方だ、無礼な若造などに遅れは取るまい」

「いえ、そうではなくて……」


 ――なんだ、やはりこの方が上手くいったではないか。


 これで娘の安全はとりあえず確保されただろう。後は流れ矢などを当てないように注意しながら相手を抑えれば良いだけ。ジュハースがエシュテルについているなら、数の差さえも大した問題ではなくなった。

 と、そうこうする間にも彼の敵手は何とか騎乗して戦う体勢を整えている。


「姫君、待っていてください。こんな男よりも私の方が貴女に相応しいと――すぐに、ご覧に入れましょう……っ!」


 男の妄言は聞き流しつつ、その剣を受ける。アンドラーシの手に伝わる衝撃は思いのほか重くて、大したことがないだろうという見積もりを、わずかに上に修正してやる。


 ――とはいえ負けはしないがな!


 命を賭けた戦いを前に、彼が感じるのは怯えなどではなく血が沸くような高揚だ。軽い革鎧のみの頼りない防御も、動きやすくて良いとさえ思える。一撃が致命傷になるかもしれない危うさ、皮膚がひりつく感覚が、この上なく楽しかった。


 また一合打ち合う。今回もお互いに命を拾い、相手の隙を窺って距離を取り睨み合うことになる。主人に加勢しようと、それぞれの家臣も武器を構えるが――アンドラーシの相手は、わざわざ余所見をしながらそれを制した。


「お前たちは手を出すな! 男同士の決闘だ!」

「余裕だな! 助けを求めても良いのだぞ!?」


 それを好機とみて斬りかかった剣の一閃は、相手の髪を数本切り飛ばすにとどまった。兜さえつけていないのも、この勝負の面白いところだ。


「そのような卑怯な真似はするか!」

「その口で言うか……」


 女を力づくで我が物にしようとしていた男の言い分に、思わず苦笑する。無論それで相手の剣を受け損なうこともなかったが。


「妻は自力で勝ち取るのがイシュテンの倣いだろうが!」

「リカードの手先が何を言うか!?」

「ぐっ……」


 彼の指摘が相手の面の皮を貫くことができたということもないだろうが――面倒な騒ぎを起こしてくれた鬱憤を込めての一撃は、相手をよろめかせることに成功した。


「おのれ……!」

「甘いな!」


 そして、そこからは勝負は早かった。相手もよくしのいだが、しょせん時間稼ぎにしかならず。数合のうちに、アンドラーシは地に叩き落とした相手を見下ろしていた。


「俺の、勝ちだな」

「くそ……っ」


 斬ったのではなく、騎馬の体当たりで落馬させただけのこと。大した怪我ではないだろうが、矜持は砕け散っているだろう。

 悔しげに拳で地を殴る男にはもはや一瞥もくれず。アンドラーシは勝負を見守っていたジュハースの方に向き直った。初老の男が彼を睨んでくるのは相変わらずだが、実力を見せつけた今では多少は話は変わっているだろうと期待している。


「さて、話を聞いていただけるとも思えないが――とにかく、そちらの姫君は連れて帰らせてもらう。姫君もそう望んでおられるだろう」


 半ば宥めるように、半ば脅すように。にいと笑って見せると、ジュハースの目が険しさを増した。

 

 ――こいつも剣を抜くか……?


 親族と争うことになってはカーロイに対してもエシュテルに対しても気が咎める、と。さすがに今度は楽しむという訳でもなく戦いに備えて身構えた、その瞬間。ジュハースが、噛み締めた歯の間から絞り出すように呟いた。


「見事であった……!」

「うん?」


 場違いとしか思えない一声に聞き違いを疑って、アンドラーシは間抜けな声を漏らしてしまう。だが、それには気付かないとでもいうかのように、ジュハースは深々と頷いている。


「妻を得るのに剣で戦うのは確かにイシュテンの男にあるべき姿……こうまでされては認めざるを得ないか……」


 ――おい。バカな……!


 不意に、アンドラーシはとてつもない誤解に気付いた。求婚の体を取ってエシュテルを攫おうとしていた男を止めた、彼の言動――もしや、傍から見れば彼もエシュテルに懸想していたように見えるのだろうか。彼は、単に言葉を尽くしての説得が面倒だっただけなのに。というかこの男はエシュテルの親でもないだろうに、何を偉そうに話を進めようとしているのか。


「待て、ちゃんと話を聞け――」


 王とクリャースタ妃の意を正しく伝えなければならない。そう思って委任状を見せつけようと懐を探る。が、彼がもたついている間にもジュハースの舌は滑らかに動いていた。


「エシュテル、この若者はお前も望んでいると言っているが本当に、そうなのか?」

「バラージュの姫……っ!」


 アンドラーシは焦ってエシュテルに呼び掛けた。このようにバカげた誤解は早急に正さねばならない。この娘としても彼と同じ思いだろうと思ったのだが――


 非常に信じ難く、また訳の分からないことに。エシュテルは、頬を染めて小さく頷いたのだった。

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