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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
3. 狩猟の季節
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狩る者 ファルカス

本日二回目の更新です。

 雄鹿が吊るされ、肉と皮とに解体されようとしている。狩りにはよくある光景だ。普段と違うのは、鹿の頭部が無残に潰れ、角も折れているところか。


 ――自分でしたことながら、何と無様な。


 ファルカスは心中で舌打ちすると、鹿の死体から目を背けた。自身の技量ではなく馬力に任せて踏みにじるなど、狩りの作法としては下の下も良いところだ。常であれば決してそんな真似などしない。だが、槍一本では止めを刺すのに時間が掛かってしまうとあの刹那に判断した。だから仕方がないとは思うが、決して愉快ではない。


 不快な思いは呑み込んで、愛馬の「影」号(アルニェク)の脚の様子を見ようと地に膝をつく。強靭な戦馬とはいえ、鹿の硬い頭蓋と角を踏ませたから念のためだ。

 彼はすぐにもバカ共の後を追うつもりだった。咄嗟に元王女を捕らえよと叫んだものの、彼らのことをあてにしてなどはいない。その場にいるのが信頼できる側近であるかのように命じてしまったのは、認めたくはないが彼も慌てていたのだろう。


 考えるほどに状況はおかしかった。訓練された猟犬が獲物をよそに人の乗った馬を襲うなどまずありえないし、何より奴らは彼が命じる前に飛び出していた。

 なぜそのような暴挙に至ったかは理解できないが、元王女の馬に犬をけしかけて暴走させたのはあの度し難い若造共と見て間違いないだろう。


 ――狩りの褒美にあの娘を望む手筈だったのだろうに、どういう訳だ?


 横目で義父のリカードを睨むと、相手も同じく動揺。


「なぜ犬が馬を襲うことがあるのだ!? 貴様の躾の不始末だろう!」


 猟犬係を怒鳴りつける様子から、リカードも関知していなかったことのようだと思う。冷静さを欠いた姿は良い気味だが、計画されたものではなく、無思慮なバカの暴走の結果だとすると事態はより深刻だ。


 ファルカスは立ち上がると、従者に命じてマントを取ってこさせた。

 リカードが無為な時間を費やすとは珍しい、と思う。猟犬係を責めたところで得るものはないというのに。この数日で見た限り、彼はむしろ良い仕事をしていた。

 あの時犬を抑えていたのが若造共の一人である以上、さっさと捕まえて締め上げた方が話が早い。


 しかし、そこへ平伏した猟犬係の震える声が耳に届いた。


「あれは若様の犬で……人も襲うように教えられています」


 そしてその答えは聞き捨てならないものだった。


「この辺りでは獣の代わりに人を狩るのか?」

「まさか。我が一族の者がそのようなことをするはずがございません。そうだな?」


 不快感も露わに問い質すと、代わって答えたのはリカードだった。静かな口調に恫喝の響きが混ざっている。


 王と、直接の主人と。両者に睨まれて縮こまった男がやっと発した答えは、消え入りそうな小さな声だった。


「密猟者が出るので……その、取り締まるために、と仰って……」

「……なるほど」


 頷いたのは、この場で追及する無駄を知っているからというだけ。納得したわけでは断じてない。ファルカスは不快に唇を歪めた。

 確かに禁猟区を設けるのは貴族の特権。そしてそれを侵す密猟者の処断は領主の裁量にある程度任されているのも事実。とはいえ、そのためにわざわざ犬を調教するなど割に合わない。人を襲うのに抵抗のない猟犬など害悪でしかないし、それほど密猟が頻発しているなら領地の管理が杜撰な証拠だ。となると考えられるのは――


 ――あのバカ共、どこまで腐っている。


 ティゼンハロム家の若者は人間を狩ることを嗜んでいる。ファルカスの中でそれはほぼ確信となった。悪趣味極まりないが、彼らの傲慢さを間近に見た今、信じられないことではない。

 奴らに問うべき咎が増えた、と思いながらマントを羽織り、告げる。


「アルニェクの脚に問題はない。俺も様子を見てこよう。……あの娘を密猟者と同じに扱われては堪らない」

「陛下のお手を煩わせることでは……一族の者が追っております」


 リカードは苦い顔で答えた。とりあえず婿の言うことに反対するのがこの舅の習いになってはいるが、今回はさすがに説得力がないのは承知しているようで、いつになく語気が弱い。


「あの者たちのためでもあるのだが。万が一にも人質を死なせることがあっては、あれらの命を全て合わせても埋め合わせることはできぬ」


 彼らの狙いは元王女の命ではなく肉体だろうとは思うが、何かの弾みということもある。

 あの女が慮外者を拒絶するのにいちいち言葉を選ぶはずがない。何しろあの女は武装した男の群れを前に首を刎ねろと堂々と言ってのけた。普通、若く美しい娘が一番に心配するのは貞操ではないのか。賢いようで元王女の感覚はどこかおかしい。ミリアールトの前王たちは娘の躾を間違えたに違いない。祖国でならば良かったのだろうが、イシュテンにおいて、とりわけ今この場においては彼女の強気は命取りになりかねない。


 バカ共の理性に期待できないというだけではない。落馬して頭を打つ、獣に襲われるなど森の中でか弱い女が命を落とす可能性はいくらでもある。バカの考えを推し量るなど時間の無駄だが、彼らの行いは徹頭徹尾思慮に欠けているとしか言いようがない。


「例の誓いとやらですか。陛下の名誉を案じていらっしゃると」


 渋面のファルカスに対し、リカードは苦笑と冷笑を同時に浮かべた。敗者との約束を愚直に守るなど甘い、とでも言いたいのだろう。


「仮にあの娘が死んでいたとして、何も正直に事実を教えてやる必要はございますまい。

 あの見事な金髪のひと房なりと回収できれば交渉には使えましょう。ほとぼりが冷めてから病を得て死んだとでも言えばよろしい」

「大変賢明な助言だな、舅殿」


 ファルカスは唸るように答えた。無論本音は逆である。

 よくも臆面なく姑息かつ誠意のないやり方を提案するものだ、と思う。しかもそれが露見すれば、王である彼の意思で行われたと理解されるのだ。人質が本当に事故や病で落命したならともかく、なぜ暴走した臣下のために汚名を被らなければならないのか。

 娘ひとりの身柄で一国が抑えられるなら安いものだというのに、同じ勘定ができる者があまりに少なすぎる。


 これ以上の問答は時間の無駄と判断し、ファルカスはリカードに背を向けると愛馬の方へ向かった。リカードが追ってくる気配がするが、無視を決め込むつもりでいる。

 そこに走り寄る人影があった。


「ファルカス様、お父様」


 艶やかな黒髪をなびかせる細身の姿は、王妃ウィルヘルミナだった。父と夫の険しい顔に緊張した面持ちの彼女は、硬い声で訴える。


「シャスティエ様を探しに行かれるのですね? 私もお供します。……お許しいただけますか?」


 ――冗談だろう。


 真摯だが無意味な提案に思わず額を抑える。付いて来たところで何をするつもりなのだろうか。妻がいかに乗馬の名手とはいえ、横乗りでは動ける範囲は知れている。しかし、あいにくミーナの瞳は本気だと語っていた。確かに妻はなぜかあの娘を気に入っているようだったが、王妃がわざわざ人質のために動くなどあって良いことではないではないか。


「やめておけ」

「やめなさい」


 非常に稀有なことに、義父と意見が一致した。背後からリカードのため息が聞こえる。


「ミーナ」

「はい」


 余計な手間を取らせる苛立ちを隠して言葉を探す。彼を見上げる妻の瞳は子供のように真っ直ぐで――自然、言い聞かせる口調は幼い娘に対するのとあまり変わらないものとなる。


「あの娘は、俺が必ず見つけ出す。お前が来ても邪魔になるだけだ。だから、ここでおとなしく待っていろ。良いな?」

「でも……」

「ミーナ、陛下の言うとおりにしなさい」

「お父様! でも、シャスティエ様が――」


 父娘が言い合うのを幸いと、騎乗する。既に大分時間を無駄にしてしまった。


「ミーナを頼んだぞ、舅殿」


 言われなくても後を追わせたりなどしないだろうが。リカードは末娘に対してとにかく甘い。

 更に、馬腹を蹴って走らせ始める瞬間、風に紛れさせるように低く呟く。


「言い訳を、考えておけ」


 ――一族の者の不始末は家長の責任。


 言外の意図を正しく読み取ったのだろう、リカードの顔が怒りと屈辱に歪む。だが、それも一瞬で後方に流れ去っていった。




 足跡を頼りに進む。折れた枝や踏みにじられた茂みなど、道など考えずに暴走した馬の跡を追うのは容易いが、後続の騎馬が一定の距離を保って追跡した形跡があるのが気にかかる。彼らが好んで人を狩っているという不快な推測は信憑性を増す一方だ。


 ――あれに追いつけないほど無能という訳ではないだろう……。


 元王女の大層下手な騎乗ぶりを思い出す。逃げることはもちろん、いらぬ口を叩く余裕もないだろうと遠目に見てとって安心していたのだが。まさか自身の――できることなら否定したいが――臣下に足元を掬われるとは。

 彼らの文字通り想像を絶するバカさ加減を予見できなかったのが悪いとは思えない。いちいちそこまで想定していては時間も人手もいくらあっても足りない。

 とはいえ一族の者の不始末は家長の責任と言うならば、臣下の不始末は王の咎だ。

 臣下の暴走を許したと知ったら、あの女はさぞ嘲り嗤うだろう。誓いを破ることよりも、それによって名誉を損なわれることよりも、元王女の嘲笑が彼には耐え難く感じられた。


 女を黙らせるため。何より彼の名誉と矜持のため。奴らの処分を加減してやるつもりはない。


 ――言い訳の内容次第では斬り捨ててやる。


 決意を胸に、ファルカスは森の更に奥へと馬を走らせた。

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