人間狩り ティゼンハロム家縁の若者
今回の視点人物は差別的・半倫理的な言動連発ですが
そういう世界観ですので悪しからずご了承ください。
女たちは狩りの最終日に合流した。
数日がかりで獲物を見定め、追い詰め疲れさせる過程の全てに貴婦人を付き合わせるわけにはいかない。だから、華となる止めの場面だけを見せるのだ。
白馬を優美に乗りこなす王妃を先頭に、一族の女たちの見知った顔が続く。その中にひとり、目立つ金髪を煌めかせるのが今回の狩りの賞品であるミリアールトの元王女だった。
「あれが、例の女か」
「噂通りというか噂とは違ってというか……」
「王が隠したがるのも無理はない」
「まったくだ」
賞品を初めて目の当たりにして、彼は兄や従兄たち――ティゼンハロム家ゆかりの青年たちと顔を見合わせて笑った。
その女こそ、一族の長でありこの国最高の権力者であるリカードが彼らのために用意してくれた褒美だった。血筋の良さは折紙付きだったが、その容姿については今までは確かなことはわからず、実際に会ったことがある者の話から想像するしかなかった。つまり、王妃と同じ年頃の、彼らにとっては姉や従姉や叔母にあたる女たちである。
彼女たちの証言は様々で、彼らを混乱させた。美しいのだけは認めざるを得ないと悔しげに語る者もいれば、王妃様には及ばないと濁した者もいた。毛色が珍しいだけで大した顔ではないと断じる者さえいた。
実際に元王女を見てみれば女の嫉妬の醜さを嗤わずにはいられない。
金の髪も碧い瞳も、色合いが珍しいだけではなくそれ自体が高価な宝飾や貴石のよう。人形のように整った顔立ちに白磁の肌。間違いなく類まれな美貌と言える。
何を持って大したことがないなどと言えたのか。今後誰の言葉を信じるべきか、今回の件で明らかになった。
「女たちが来たからといって浮かれるな。忘れるでないぞ、王が褒美を賜るのはそれだけのことを為した者にだけだ」
苦言を呈したのはティゼンハロム侯リカードその人で、「影の王」の言葉にはさすがに彼らも口を噤んで恭しく頭を垂れた。
しかし、その言葉に心底納得したわけではない。伏せた顔の影に隠れるように、彼らはこっそりと視線を交わし合った。
「王は褒美を本当に寄越すつもりだと思うか?」
誰かが言ったそれは、彼ら全員に共通する思いだったからだ。
そもそも王は最初から彼らに対して非常に点が辛かった。
狩猟は武芸の腕を見せる場、といい、彼らも当然そのつもりだった。彼らにとってそれは森から狩り出された獣を槍や弓で仕留めることを意味した。獲物を誘い出し疲れさせるのは使用人のする雑事であり、彼らの仕事ではない。
だが、王は全て自分自身でやれ、と命じた。
全てとは、糞や足跡を頼りに獲物を探し出し、犬と勢子を使って森中追い回して疲れさせる行程をも含む。地を這い泥にまみれろとの命令に彼らは反発したが、
『戦で必要なのが剣の腕だけだと思っているのか。
持久力、忍耐力、指揮力――お前たちがどれほどのものか見せてみよ』
その言葉には――正確にはそれに頷いたリカードには従う他なかった。
今までのところ、王は彼らの成果に満足した様子を見せていない。それどころか何かにつけて実戦を知らぬ青二才と見下してくる。そのくせ猟犬係や馬丁などとは仲良く談笑する始末で彼らを大いに悔しがらせた。
彼らが武功を立てたことがないのは、王がミリアールト遠征に遊び仲間だけを選んで連れて行ったからだというのに。王の依怙贔屓がなければ、彼らだとて相応の活躍を見せたに決まっている。大した領地も爵位も持たない者共に遅れを取ったりなどするものか。
王の母親は王妃ではない、取るに足らない身分の女だった。卑しい生まれの者同士で水が合うのだろうと揶揄し嘲ったところで、傷ついた自尊心はそう簡単に癒えるものではない。
彼らの裡に溜まっているのは疲れだけではない。不満と鬱憤も蓄積されているのだ。
噂通り、王は元王女を側妃にするつもりではないのか。見せびらかすだけで、臣下に下賜する気などさらさらないのではないか。その推測は、元王女の美貌を前に信憑性を増してきている。
この数日の仕打ちがそのための布石だとしたら、仮にも王を名乗る者が器の小さいことだ。
「そのつもりがなくても、いただくさ」
彼はそう嘯いた。
例え王が許さなくても、リカードは既に彼らに許したのだから。彼らの間で競うことはあっても、女を渡さないなどと言わせない。
王に目をやると、当然のように王妃がその傍に寄り添っている。猟犬や武装した大勢の人間がいるせいで馬も気が立っているというのに、不安定な横乗りだというのに見事な手綱さばきだった。
元王女とは種類が違うが、王妃も美しい女だ。黒髪黒目と言えばありきたりだが、ゆるく波打つ髪の艶と輝きはそこらの女とは比べ物にならない。形よく大きな黒い瞳は表情豊かで三十近くなっても少女のように若々しく可愛らしい。
王妃に何やら話しかけられて表情を和らげている王を見ると良い気なものだと思う。
あの男はたまたま王妃に見初められたから王位に就けただけ。女とティゼンハロム家のおかげで今があるというのに、よくも偉そうに彼らに命令できたものだ。
「否と言うなら?」
誰が誰に言うでもない。彼らは皆同じことを考えているはず。彼らは誇り高く高貴な家の血を分け合っている。
――言わせはしない。力づくでも、女を奪ってやる。
隙を見て元王女を人気のない場所に連れ出そう、と彼らは取り決めた。王が目を光らせているといっても一人では限界がある。彼らは人数もいるし、王が命じた雑務のおかげでこの場のあちこちに顔を突っ込むことができる。
彼の担当は女たちの誘導だった。森の中に開けた広場に獲物を追い込むことになっているので、彼女らが危険のない距離で見物できるように並べさせるのだ。まさしく雑事というべきでうんざりするが、おかげで賞品を間近に見る機会を得ることができた。
広場は既に、王家の戦馬の紋章や、ティゼンハロム家の太陽の紋章の旗に彩られていた。そこにさらに女たちの衣装の華やかさが色を添える。特に、元王女の金の髪は陽光の下でひと際眩しく輝いていた。
近くで見ると元王女は大層下手な騎手だった。周囲の物々しい雰囲気に落ち着かなさそうに地面を引っ掻く芦毛の馬を、どうにか宥めすかして歩ませるのに苦慮している様子だった。
「馬に慣れていないのか?」
声をかけると、元王女は顔をこちらに向けてきた。碧い瞳は凍ったように表情がなく、全身から冷たい空気を放っている。気取った女だと思う。
「乗るより乗られる方が性に合うんじゃないか? 手ほどきしてやろうか?」
元王女は卑猥な冗談に特段の反応は見せなかった。言葉が通じていないのか、と思ったが、一応理解してはいるらしい。不快げに目をすがめると、ふいと顔を背けてみせた。お前など相手にしない、と言わんばかりの態度が王のそれと重なって憎たらしい。
――絶対に、悲鳴を上げさせてやる。
心中で誓ったところに、くすくすという笑い声がかけられる。
「振られてしまったのね。気にすることはないわ。あの方、いつもあの調子なんだから」
微笑むのは割と親しい従姉の一人だった。元王女の容姿について大したことはない、と言った――つまりは見栄っ張りで愚かな女だ。
「危なっかしいな。よくここまで来られたものだ」
元王女は彼らから遠ざかろうとしている、らしい。馬が言うことを聞かないようで方向が今ひとつ定まっていないが。
イシュテンの者なら、女だろうと子供だろうともう少しまともに馬を扱う。森の入口までは馬車で来たのだろうが、それにしても新鮮に感じるほどの拙さだった。
「皆で囲んで誘導したのよ。何しろ逃げられるわけにはいかないし。
お勉強は、素晴らしくおできになるらしいけど。それだけではね……」
従姉の口調から、嫉妬の原因は容姿だけではなさそうだと思う。あくまでも頭の片隅で、だが。彼の関心を占めたのは別のことだ。
あの気位の高そうな女を言いくるめるのは難しそうだ。だが、彼らはあの女より遥かに馬の扱いに長けている。彼女の乗騎を操ることができれば……。
「獲物を追い込んだとき、あの女を前に出して欲しい」
声を低くして囁くと、従姉は不服そうに唇を尖らせた。
「特等席というわけ?」
あの女が特別扱いされるのが気に食わない、とその表情が語っている。
――これだから女は。
心中の嘲りは表に出さず、宥めるように付け加える。
「驚かせてやりたい。落馬でもしたら、見ものだろう?」
すると従姉は軽く目を瞠った後、満足そうに頷いた。
仲間に彼の考えを伝えると、皆面白い、と笑った。王を出し抜く計画だ。
懸想した女を横から攫われたら、王も顔色を変えるだろう。慌てるか、悔しがるか。その様を嗤って勝ち誇るのは、きっと楽しいだろう。
それぞれの分担と手はずを決めて持ち場につく。
今こそ狩りが、始まるのだ。
王が指定した獲物は雄鹿だった。程よい大きさのを数頭、既に近くまで追い込んでいる。一頭ずつ広場に誘い出して剣や槍で仕留めることになっている。
「最初の一頭は陛下のお手並みを拝見したく」
跪いて槍を捧げると、試すような言葉を不遜に取ったのか、王は軽く眉を寄せた。が、結局その槍を受け取った。偉そうなことを言っているからには、断ることなどできはしまい。イシュテンの王を名乗る以上は誰もが認める武人でなければならないのだから。
その場の全員が見守る中、広場に雄鹿が追い込まれてきた。
草食の獣ではあるが、成長した雄ともなれば、立派な猛獣だ。枝分かれした角の先は、それこそ槍の鋭さを誇るだろう。犬に追われて疲れているが、怒ってもいる。頭を低く下げて角を突き出し、うるさい奴を蹴散らしてやろうという構えだ。
対峙する王は黒馬に騎乗している。ミリアールト遠征にも伴ったという生粋の戦馬は、雄鹿の殺気にも動じず、王の意のままに雄鹿の突進を躱す。
雄鹿の殺意を引きつけながらぎりぎりのところで角を避ける。王の馬術は確かに見事なものだった。獲物が手に余った時のために彼らも武装して待機しているが、王は出番を寄越す気はなさそうだった。
――このままいくなら、だが。
嗤いを噛み殺しつつ元王女の方を見ると、眼前で繰り広げられる戦いに、彼女が騎乗する芦毛は一層落ち着きを失っていた。元王女も、馬上で均衡を保つのが精一杯で王も鹿も目に入っていないようだった。
――そろそろ良いだろう。
猟犬を任された従弟に目配せすると、相手は心得たように頷き、犬を放した。
王が何度目かに雄鹿を躱し、女たちから歓声が上がる。それに被せるように、犬の吠え声と馬の嘶きが響いた。
「きゃ――」
そして、抑えた女の悲鳴が。犬に吠えかけられて、芦毛は後脚で棹立ちになっている。
これこそ彼が考えたことだ。元王女を保護する王は鹿にかかりきりになっている。馬を抑えようにも、いまだ戦意を残した鹿に止めを刺してからになる。
――そんな時間は与えない!
恐慌状態になった芦毛の尻に、犬が噛み付く。馬は本来臆病な生き物だ。襲われている、と認識した芦毛は、背にしがみつく女を乗せたまま、脱兎の勢いで森の奥へと逃げ出した。
王も、リカードも、事前に示し合わせた彼ら以外の全員が呆然とした顔を晒した様は痛快だった。疾走に備えて手綱を引きながら、彼の口元はこらえきれずに快笑の形に歪んだ。
我に返るのは流石に王が一番早かった。槍の一閃で雄鹿の首を貫くと、獲物が崩れ落ちるのを待たずに黒馬を体当りさせてその体躯を踏みにじる。そして、叫ぶ。
「逃すな! 捕らえよ!」
命令を待つまでもなかった。女を乗せた芦毛を追って、彼らは馬を駆り立てた。
「やったぞ! それ見たことか!」
風の流れと馬体の振動を感じながら彼は声を立てて笑った。
この上なく愉快だ。ことは思い通りに運んだ。元王女を王から引き離すことに成功した。
王は後から追ってくるだろうか。いくら馬術の名手といえども先に駆け出した彼らに追いつくのは分が悪いはず。
――その前に女をモノにしてやる。
王が直々に命じた通り娘を捕らえてやろう。ただし、楽しみをすぐに終わらせたりはするものか。いつもやっているようにさんざん追い回して恐怖を味わわせてからだ。獣と違って意味をなす悲鳴と哀願は耳に心地良い。あの氷の人形のような女が発するものならなおのこと。
王女を乗せた芦毛は疾走を続ける。最初は鹿に、次いで犬に噛まれて驚かされ、今は複数の騎馬に追われて恐怖に駆られている。全力とはいえ無我夢中でしがみつく女は荷物にしかならない。彼らになら、いつでも追いつける。
彼は周囲を見渡し、一群の先頭にいることを知ってほくそ笑む。獲物は最初に捕らえた者の思い通り、というのが彼らの間の暗黙の了解だ。ここまで手間をかけたからには他の者に譲るのはいかにも惜しい。
芦毛は岩場も沢も構わずに駆ける。続く身としては速度を保ちつつ足場に注意を払わなければならず、苛立ちが積もっていく。
――そろそろ決めるか……。
距離を一気に詰めようとしたその時、前方の芦毛の姿が消えた。
――崖か!
気づくと同時に、彼は馬を踏み切らせた。どれほどの高さを落下するかわからないのに。全身の血が下がる感覚に心臓が冷えた。
馬身から衝撃が伝わる。が、どうやら無事に着地できたようだ。荒い息をつく。結果を見れば崖というほどのものではなく、人のひとりの身長程度の段差だった。
だが、芦毛は彼ほど幸運ではなかった。脚を折ったのか立ち上がろうとしてはかなわずに崩れおち、苦痛の声を上げている。
女は、と探すと、芦毛の傍、こちらに背を向けて倒れる華奢な姿が目に入った。
鞍から放り出され叩きつけられた痛みからだろう、かすかな呻きが聞こえてくる。とはいえ見たところ大きな怪我はないようでひとまず安堵する。
「お前の勝ちか」
頭上からの声に振り仰ぐと、崖上に仲間と犬たちがいた。崖を飛び降りたのは速度に乗っていた彼だけで、後続は足を止めてしまったらしい。
芦毛も走れなくなった以上は、元王女を好きにする権利は彼のものだ。
「悪いな」
落下の緊張が緩んだ反動と期待が相まって、返した声は弾んでいた。
「せいぜい楽しめ」
「後で感想を教えてくれよ」
仲間たちは口々に言うと去っていった。順番を待つ間、彼らは王や他の追手の目を眩ませてくれるはずだ。多くを語らずとも、目線だけでも彼らは通じ合っているのだ。
下馬して近づいてみると、芦毛はやはり足が折れているようだった。前脚がおかしな方向に曲っていて、目には涙が浮かび、叫び続けた口からは泡が噴いている。
女も足を痛めているようだった。半身を起こした体勢で、手で這うようにして暴れる馬から離れようとしている。
――殺すしかないな。
帰りは女を彼の馬に乗せれば良い。その頃にはおとなしくなっているだろう。
女に見せつけるように抜剣する。陽光を反射して輝く白刃に女が身じろぎするのを視界の端に見て、嗜虐心を煽られる。この場の誰よりも優位にあることに酔いしれながら、馬の頚動脈を無造作に断つ。肉が裂ける感覚と共に鮮血が溢れ、彼と地面と女を汚した。
「気分はどうだ? 歩けるか?」
血濡れた剣先を女に突きつけて、問う。できれば逃げ惑ってくれた方が楽しめるのだが。
女は目を見開いて硬直している。崩れた髪が頬に掛かるのが艶かしい。呆けたように僅かに唇を開いているのも。だが、そこから言葉が発せられることはない。
「あまりの恐怖に言葉も出ないか」
笑いながら剣を鞘に収める。脅かしすぎたか、と思う。仮面のような無表情を崩せたのは良いが、何も叫ばないのではつまらない。安心させてやろうと元王女に手を差し伸べながら距離を縮める。放心から脱すればもっと面白い反応を見せてくれるだろう。
そこへ、凛とした――ふてぶてしいほどの声が響く。
「怖いからではないわ」
「何だと……?」
追い詰められた状況で発するものとしては、およそ似つかわしくない傲然とした口調。眼前の女が発したものとは信じがたくて思わず動きを止める。
元王女はそれを見てなぜか勝ち誇った笑みを浮かべた。
「お前にもわかる言葉を探していただけ。獣に人の言葉が通じるのかしら?」
女の瞳に映るのは期待していた怯えなどではなかった。
激しい怒りと侮蔑が碧く燃えているのを見てとって、彼は言葉を失った。