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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
12. 狼虎の乱
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見えない真相 ファルカス

「ティグリスはどのようにしてあの罠を巡らせた? あれだけの規模だ、そなたも知って――関わっていたのであろう?」


 引き出された者を見下ろして、ファルカスは質した。額に汗を滲ませ、恐れと焦りで目を泳がせるその男が発する答えを、半ば予想しながら。

 ハルミンツ侯爵の屋敷。ティグリスが反乱に加わった諸侯を迎えたという仮の玉座は、今は正統なイシュテン王が占めている。王宮のものではないという点で仮には違いなくとも、少なくとも国を割った内乱は収束したのだ。


「臣は、何も存じませんでした!」


 そして案の定と言うべきか、やはり予想通りの訴えが返ってきた。既に何度もあったことだから、さほど落胆することも苛立つこともなく、次の問いに進むことができる。


「だが、キレンツ河の堤防を切り、水をこの平野に導くほどの事業だぞ。何も見聞きしなかったはずはあるまい」

「誓って何も! ティグリスもハルミンツも、結局のところ我らを信用していなかったのです。あのような卑劣な策を企むなどと……知っていれば、決して従いなど致しませんでした!」


 男が悲愴なほどの必死さで述べたのは、これもまた既に聞き飽きた言い訳だった。男はティグリスに従って内乱に加担した諸侯のひとり。ブレンクラーレと組んでいたらしい異母弟の、企みの全容を探ろうとしての尋問なのだが――これが、うまく進まない。


 捕らえた者のことごとくが、何も知らなかったと口を揃えるのだ。


 ――報復を恐れているのだな……。


 反乱に加わった者の全てが死を賜るなどあり得ない。そのようなことをしていてはイシュテンの貴族は遠からず死に絶えてしまう。乱の失敗でティグリスやハルミンツ侯爵に殉じるのは特に近しい者だけ。多くの者は、領土か財産を差し出せばとりあえずは赦される。当分冷遇されることにはなるが、その程度なら安いものだと言えるだろう。戦いを好むイシュテンであればこそ、身内や親しい者の生死に関わる遺恨を水に流すことにもある程度は慣れている。


 だが、今回に限っては、生き残った者たちの表情は安堵からほど遠い。


 原因は、ティグリスの策のあまりの非道さ卑劣さ、それに対する臣下の憤りの激しさだ。王位を巡る争いは正面から戦うものと信じていたところに、罠に嵌められて泥に塗れさせられ、獣のように矢で射られた。そのことへの怒りと恨みが、今、ティグリスについた者たちへ向けられている。戦いが終わったとはいえ、ただでさえ常よりも張り詰めた緊張が陣内を覆う中、あの策を事前に知っていた――あるいは手を貸していたなどと打ち明けたら、私刑の対象になりかねないと、誰もが恐れているのだろう。


「……ならばティグリスが何者に命じたか、も知らぬのだな?」

「そ、それは……」


 念のために確かめると、相手は言いよどんだ。が、恐らくは仲の悪い者を挙げても問題かないか、露見しないかどうかの打算を巡らせただけ、何も知らなかったと述べたこととの矛盾を突かれないか、だけがこの者の懸念なのだろう。これまで他の者を尋問した経験から、ファルカスは諦めと共に悟っている。


「……ハルミンツ侯爵の手勢を使ったのでございましょう。恐らくは離反を恐れて、内々にことを済ませたに相違ございません」


 やがて男が答えたことは、他の者の証言とも一致していた。つまり、死んだ者たちに罪を押し付けたのだ。


 ――実際、ティグリスやハルミンツ侯はこの者たちを信じてはいなかったのだろうが……。


 最後までティグリスに従っていた者たち、ハルミンツ侯爵の腹心は、ほとんどが戦いを生き残ることがなかった。ティグリスの暴挙――敗れた後に暗器で王を狙ったこと――への臣下の怒りは凄まじく、一度は収められかけた剣先が上がるのにも十分だったのだ。

 辛うじてティグリスを守る――殺すべき敵に対して、腹立たしいほどおかしな表現だ――ことには成功したものの、ファルカスの制止は遅きに失した。ハルミンツ侯については間に合わなかったからこそ、ティグリスの策の全容を知る者を生かしておかなければならないと思っていたのに、その機会は失われてしまった。ティグリスを捕らえることを優先したばかりに痛恨の過ちを犯したことになる。


「そなたの言い分は理解した。下がって良い。処分は追って沙汰する」

「は……っ」


 身を(さいな)む怒りと後悔に顔を歪めた王のことを、どのように解釈したのだろう。男は引きつった表情で平伏して退出していった。ファルカスの怒りの対象は、何よりも自分自身なのだが――だが、相手は一度彼の命を狙った者だ。やすやすと安心させる言葉を投げてやる気にはなれなかった。




 続いて呼び出したのは、反逆者ではなく彼の側近――ジュラだった。主の顔色から尋問が順調に行っていないのを悟ったのだろう、同情するような宥めるような視線を向けてくる。


「お疲れのご様子でございますね。……我らも頼っていただきたいものなのですが」

「大事ない。それに、俺が聞いても答えぬならば、お前たちでも同様だろう」

「口を割る者はおりませんでしたか。降伏した上で陛下のご下問にも答えぬとは」


 アンドラーシなどよりは穏やかに見えるが、この男も王への忠誠が篤いのだ。敗北し、王に帰順ながら求められた問いに答えぬ者たちへ、憤りを感じているのを隠そうともしていない。ままならないことが続いたなか、臣下の衷心を確かめられる機会を得て、ファルカスは僅かに微笑むことができた。


「とはいえあの者どもが何も知らぬのは事実なのだろう。……何も知らぬということを、確かめたくもあるのだ」


 ファルカスとしては、ブレンクラーレの介入を公にはしたくなかった。臣下の怒りは、今はティグリスとハルミンツ侯爵に向けられているが、かの大国がティグリスに陰にいた、などと知れたら、ブレンクラーレも復讐の対象として憎まれるのは目に見えている。怒りと憎悪が燃え上がった結果、ブレンクラーレ討つべしとの声が上がるのも。だが、今のイシュテンにはその余裕がない。リカードとの対決を控えていることに加えて、今回の乱でも死者が多く出た。摂政王妃(めぎつね)アンネミーケを頂点に揺るぎない体制を築いているブレンクラーレと、まともに戦える状況ではないのだ。


 しかし、イシュテンの戦馬の神を侮るかのような策を仕掛けられて何もせずに済ませたとなれば、王への不信と不満を招く。そのような事態を防ぐため――内通を裏付ける証言が出ないのは、その点だけならば喜ぶべきことではあるのだ。


「はあ」


 無論、側近に対してさえもそのような事情は明かせないから、ジュラは釈然としない様子で曖昧に頷いた。


「例の一団についても分からぬまま、でしょうか」

「……あれは雪の女王の使者だ。もう、それで通すことにした」

「左様でございますか……」


 ジュラが言うのは、突如現れて王の軍に道を示した騎馬隊のことだ。帰順した者たちもやはり何も知らぬと口を揃え、正体を知ることはできなかった。

 ファルカスも把握していない集団となれば、残る可能性としてはブレンクラーレが絡んでいると疑えるし、実際反乱軍の中心であるティグリスとハルミンツ侯も動揺していようだった、との証言は得られたが――ブレンクラーレの裏切りなのか、何か不測の事態が起きたのか、依然不透明なまま。それもまた、ファルカスの胸の(しこ)りとなっている。


「クリャースタ様も、お慶びになるのでしょうか」

「そんなはずはない」


 側妃の性格を全く分かっていないらしいジュラの言を、ファルカスは即座に否定した。目を疑うほど馬術が不得手なあの女のこと、雪の女王が騎馬の形で使者を遣わすなど信じはしないだろう。そもそもあの女は彼もイシュテンも憎んでいるはず。祖国の女神を騙ったと、怒り狂うほうがありそうだった。しかも、彼自身でさえ納得とはほど遠いのだ。


 ――雪の女王の遣いなど……どのような顔で口にすれば良いのだ!


 あの一団が神の使者などではなく、地上の何らかの陰謀が現れたものだということは分かりきっている。にも関わらず、真実を知る者がいないためにバカバカしい絵空事で取り繕わなければならないとは。懐妊中の側妃の立場を高めるため、ひいてはリカードの牽制のためとはいえ、アンドラーシの戯言を結局採用することになったのも、腹立たしくてならなかった。


「臣をお呼びいただいたのは――ティグリスの件だと存じますが」


 機嫌を傾ける一方の主を案じたのだろうか、ジュラがやや差し出がましく口を開く。


「そう――もはやあの者を問い質すしかなさそうだ」


 臣下に気を遣わせたことを気まずく思いつつ、ファルカスは首肯した。元々は乱に加担した者たちの証言を揃えた上でティグリスの尋問にあたりたかったのだが、まともに全容を知る者がいないのでは仕方ない。


「それなりに回復したのだろうな。尋問にも耐えられそうか?」


 ジュラにはティグリスの警護を任せていたのだ。近々首を刎ねるべき罪人を守るとは、まったくおかしなことではあるが。だが、必要なことだった。特に信頼できる者でなければ、恨みに任せて囚人を害しかねなかった。それほどに、ティグリスのしでかしたことのへの怒りと憎しみは深い。側妃をミリアールトからイシュテンへ連れ帰った時よりも、更に厳重な警護が必要になるかもしれないとは。どうも彼には敵を守護する巡り合わせが多いのは皮肉なことだ。


「は」


 カーロイ・バラージュを毒刃で襲った後、ティグリスは高らかに、愉しそうに哄笑した。その異様さに気を呑まれたのも一瞬のこと、卑劣な行いを悪びれない態度は周囲の者たちの一層の怒りを買った。カーロイを支えながら、ファルカスが声を張り上げて制止しなければ、ティグリスはあの場で殴り殺されていただろう。尋問の合間にも、いつまで生かしておくのか、早く首を刎ねてやれと訴える者が引きも切らずに現れるほどだ。いや、一瞬の死など生ぬるい、皮を剥げだの八つ裂きにしろだの進言する者さえいた。


「精々が打撲と、骨に(ひび)が入った程度です。あの少年に比べればどうということもないのですが――」


 文句なく王命に忠実に従っているとはいえ、ジュラも内心ではティグリスへの怒りを抑えがたく思っているのだろう。淡々とした声とは裏腹に、表情は珍しく険しく強ばっている。カーロイの腕のことも知れ渡っているから、その身の上を比較してしまうのも当然のこと。


「頑として食事を摂ろうとしておりません。無理に飲み込ませるのも限度がありますから……」

「俺が毒を使うとでも思っているのか」


 そしてジュラの報告を聞いて、ファルカスの声も尖る。

 自らの剣のみを(たの)む彼にとって、毒など最も忌避すべき手段だ。ティグリスの母である寡妃太后(かひたいこう)が王妃のミーナの命を狙ったことも、今はもうひとりの妻となったあの娘がその毒を受けて倒れたことも、決して忘れも許しもしない。


 ――あれだけの死者を出しておいて、自らの命は惜しむのか!?


 彼と剣を合わせた時に、覚悟が定まっていたように見えたのは思い違いだったのか。母親と同じに常軌を逸した精神によって、恐怖を感じなかっただけなのか。


「いえ……私も同じことを質したのですが」

「何と答えたのだ」


 重ねて問うと、ジュラは一瞬口ごもった。王の問いに即答しないのも、この男にしては珍しい。


「……捕虜を餓死させたなど、陛下のご気性からして受け入れがたいだろうと……」

「命を賭けてまで、俺への嫌がらせをするというのか!? どうせ死ぬならば、ということか……!?」


 怒りというより呆れによって、ファルカスは思わず声を上げた。確かに、和解し難い敵、死に値する反逆者であっても不要の苦痛を与えるのは彼の好むところではない。王位争いに際して殺した異母兄も、ミリアールトの王族たちも。彼は常に剣の一閃で首と胴とを分かってきた。ティグリスがその評判を聞き及んでいたとしても、不思議はないのだが。だが、国を揺るがす乱の帰結としては、あまりに器の小さい嫌がらせではないか。


「それも違うのです」

「では何だ」


 睨むようにジュラを見据えて、気付く。常に果断な行動を持って良しとする臣下の顔に、今に限って当惑の色が濃い。主君の顔色を窺うような気配さえある。何か非常に言いづらいことを言おうとしているかのような。


「捕虜を衰弱死させた、などという評判を避けたいならば、陛下と話をさせろ、と……。それもふたりきりで。あり得ない、と。これまでは言ってきたのですが」


 ――あの者の願いを叶えてしまう、ということになるのか。


 臣下が言外に言わんとすることを察して、ファルカスは軽く額を抑えた。


 ジュラもティグリスを許すことができないのだろう。例えファルカス自身が命じたことでも、乱の全貌を明かすのに必要なことでも、ティグリスの望みが叶えられるのは耐え難いのだ。だから、できれば一対一での対面などせず、さっさと首を刎ねて欲しいと願っているのだ。ファルカスとしても、何を考えているのか理解できない異母弟とはなるべく会わずに済ませたい。捕らえた者たちから有力な証言がないかと探っていたのは、そのような本音も関わっていた。だが――


 ――ブレンクラーレについて質すならば、余人に聞かせる訳にはいかぬ……。


「武器は全て取り上げたのだろう。ならば警護もいらぬ。俺が直々に会ってやろう」


 うんざりとしながら、ファルカスは諦めた。今回の乱では、最初から最後まであの異母弟の思い通りにことが運んでいるように思えてならなかった。

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