揚げ菓子と砂糖菓子 アンネミーケ
ブレンクラーレ王妃アンネミーケは、息子とその婚約者と昼食を共にしていた。初秋の晴れた日のこと、穏やかな日差しが心地良い。堅苦しい席ではないからと庭園に席を設けさせたので、色づき始めた木々の紅や黄色が目に鮮やかだった。
「王宮での暮らしには慣れたか? ギーゼラ殿」
王妃に話しかけられて、息子の婚約者となった娘は慌ただしく頷いた。ふっくらとした唇が震える声を紡ぎ出す。
「は、はい。お義母様。ありがとうございます」
正式な婚姻はまだである以上、母と呼ばれるのはいささか不躾だった。ここは、臣下がするように、摂政陛下と称するのが正解だっただろう。しかし、緊張して冷や汗さえかいていそうな娘に悪意がないのは明らかだったので、アンネミーケは鷹揚に微笑んだ。実質的に国の頂点に立つ者を目の前にして、若い娘が平静でいられないのは無理もない。近い将来その者が義理の母になるのならなおのこと。
「それは良かった。食が進んでいないようなので心配したのだ。冷めないうちに召し上がると良い」
「は、はい。お気遣いありがとうございます」
ミリアールトの滅亡によってかの国の王女との縁談が白紙になった以上、王太子妃は他から見繕わねばならなかった。そこで国内の名家から選んだ娘がギーゼラだ。ふくよかで艶々とした頬をしているので、密かに揚げ菓子のようだと思っている。
少々気が弱くおどおどとしているように思うが、とりあえず健康で従順だ。息子は彼女の夫君とは違って妻の助けが必要なほどの虚弱でも暗愚でもない――多分。望むらくは――ので、世継ぎの母となってくれれば十分だろう。彼女の言うことを一つ一つよく聞いてくれるので、まずまず上手くやっていけそうだと思っている。
婚約者が牛肉の煮込みを切り分ける間に、沈黙を避けるように王太子のマクシミリアンが口を開く。
「そういえば、母上。イシュテンの情勢ですが。ミリアールトの王女は人質として攫われていたそうですね? 何でも王宮に大事に保護しているとか」
「聞いておる」
婚約者の前で元婚約者候補の話題を出すという無作法を働いた息子を、アンネミーケは剣呑な眼差しで見た。それ以上は言うなという無言の圧力は、しかしどこまでも大らかな息子には通じず、彼はへらへらとした笑顔で続けた。
「王の専用ということですよねえ。やはり美人というのは本当だったのかな。一度見てみたかったなあ」
揚げ菓子がしぼむように、ギーゼラの表情が曇った。彼女の容姿は十人並み、あえて褒めるとしたら愛嬌がある、くらいしか言えない。マクシミリアンの発言は、婚約者に対してあまりに配慮がない上に、露骨に品性を欠くものだった。
――怒鳴りつけたい。
しかし、そうしては未来の嫁を萎縮させてしまうのは明白だった。なので、アンネミーケは努めて抑えた口調で指摘した。
「イシュテンにわざわざ他国から嫁ぐ姫は稀だ。まして王家からとなれば前例は皆無だったはず。それに、ミリアールトの姫は金髪碧眼という話だ。物珍しさで多少の難は隠れたのだろう」
そう言いながら、彼女はイシュテン王が本当に件の姫の美貌に目が眩んで囲っているのだとは信じきれていなかった。
実のところ、ミリアールトの元王女を人質として抑えるというのは大変理にかなった対応ではあるのだから。女子にも王位継承権を認めるミリアールトの民にとっては、元王女は今や女王。国主の身と引き換えとなれば大抵の者は服従せざるを得ない。
とはいえ、イシュテンの王がその発想に至るとは考えづらいのもまた事実。かの国では王とは必ず男であり、しかも強く軍を率いる者でなければならない。たまに国同士でやり取りが生じる時も、王妃の署名のみでは拒否されるので、いちいち病床の夫君に筆を握らせる手間を掛けさせられている。
――毛色の変わった女を侍らせているだけか、元王女の重要性に気づいているのか……。
アンネミーケにとって、元王女の処遇はイシュテン王の器を測る貴重な材料だった。ことによると、かの王は意外に目端の利く男なのかもしれない。元王女を抑える意味に気付いた上でのことだとしたら、厄介な相手と言えるだろう。
一方、不肖の息子は母の思索には気づかずに得心したように頷いた。
「確かに。本当に気に入ったなら側妃にするはずですね。美人を何人でも妻にできるとは、まったくかの国の王は羨ましい」
――このバカ息子、まさかわざとやっているのではないだろうな?
ギーゼラの手が完全に止まってしまっているではないか。
婚約者を傷つける発言を繰り返す息子を、アンネミーケはいっそ奇異の目で眺めた。
しかし、すぐに否、と思いなおす。妻には礼儀を保って接するようしつこく言い聞かせてあるし、実際ギーゼラに対する態度は基本的には丁寧だ。単に性根から無神経なだけなのだ。
息子の性質は砂糖菓子に似ている。色鮮やかで美しいのは見た目だけ、囓ってみると中は一様に真っ白で単調で底が浅い。厳しく育てたつもりなのに一体どうしてこうなったのか、アンネミーケにとっては数少ない、だが切実な頭痛の種だ。
「であればイシュテン王に尋ねてみるが良い。妻を複数持てるとはどんな気分がするものか」
「は?」
目を丸くしてぽかんと口を開けた息子の顔はいかにも間抜けなもので、母の苛立ちはいやました。
「友好国ばかり訪ねたところで益は少ない。長年争う国を訪れてこそ君主の器が磨かれよう。我が夫君の名代としてかの国に赴き、イシュテン王の人となりを見て参れ。
運が良ければ美貌と噂の王妃や件の姫にも会えるかも知れぬ」
苛立ちと勢いに任せた命令は、口に出してみると思いのほか都合が良かった。いかに軽薄な息子ではあっても、他国の、それも不仲な国の王宮では後先考えてから口を開くだろう。それに、イシュテン王と会うことで元王女の処遇に関する疑問を解く手がかりが得られるかも知れない。
更に言うなら、アンネミーケはかの国に仕掛けを施している最中だった。兵を動かさず国を動かす術を、間近で息子に見せてやるのも良いだろう。
まあ、愚息が薄絹まとった美姫のたむろする、遥か海を越えた国にはあるという後宮めいたものを想像しているなら、期待はずれに終わるだろうが。当代のイシュテン王には妻は王妃ただ一人。義父の影響力が強いのが理由だそうだから本人の胸の裡は分からないが、形だけ言えばアンネミーケの夫君などよりよほど誠実な男だった。
とはいえ今ここでそれを息子に教えてやる必要はない。王とはいえしばしば己の意のままにはならぬものだと、自分の目で見て分からせなければ意味がない。
「……婚約者を置いて行けと仰いますか」
マクシミリアンがちらりとギーゼラに目を向けると、揚げ菓子の娘は頬を染めてうつむいた。それさえもアンネミーケには腹立たしい。おっとりとしているのは本来ならば美質と言えるだろうが、この娘はもう少し息子に対して憤りを見せても良いのではないか。まったく、見た目が良いというだけで嫌われずに済んでいるのは幸いだった。
「無論、手紙は毎日書くのだ。決して寂しがらせることなどないように。
そなたが不在の間は妾が婚約者殿に宮廷での振る舞いを教えよう。ことに、そなたと親しい令嬢方との付き合い方を」
アンネミーケは夫君の愛人たち相手に散々苦杯を嘗めさせられた。嫁に同じ思いをさせる気はない。ギーゼラが気弱すぎるのであれば、代わって息子を諌めるのが母の役目だ。
愛人関係を整理しろと暗に言われて、さすがに口を噤んだ息子に満足すると、アンネミーケは改めて食事を平らげにかかった。
――イシュテン王とはどのような男なのだろう。
汁気豊かな肉塊を咀嚼しながら考える。
尚武の国を率いているのだ。砂糖菓子ということはないだろう。それは分かりきっている。
願わくば、かの王と会うことで愚息が何か得るものがあると良いのだが。