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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
12. 狼虎の乱
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遅効性の毒 エルジェーベト

 その夜リカードに呼び出されたのを、エルジェーベトは最初、叱責のためだと考えた。彼女はまだあの女――目障りで仕方ない側妃を殺すことに成功していない。手段を問わずと命じられ、必ずと答えたにも関わらず、だ。リカードの焦りも苛立ちも限界に達しているだろうと思われた。

 エルジェーベト自身も焦っている。王は義父が強請った通り、王妃の前では側妃の懐妊をあからさまに口にはしない。しかし、ミーナは当然聞かされているものと信じているから、危うい発言を繰り返してもいる。このままではミーナが気づくのも時間の問題だろう。


 ――力づくで、ということしかないかしら……。


 リカードに乞うて警備の兵を買収するか、ティゼンハロム家の兵を王宮へ招き入れるか。いずれも大事になるし、後始末も厄介だ。王が疑いを持たないはずはないし、エルジェーベトの無能を晒すことにもなってしまう。リカードも一層怒るだろう。


 ――でも、ミーナ様が知る前に片付けなくては。


 他の女が愛する夫の子を孕んだなどと、ミーナは知ってはならないのだ。あの方の世界を守るためなら、リカードに打たれるくらい何でもない。イシュテンの国が王とリカードの対立によって割れようとも何ほどのこともない。ティゼンハロム侯爵邸へ向かう馬車の中、エルジェーベトはドレスの生地を強く握り締めた。




 侯爵邸に着いてみると、彼女の予想は裏切られたことが分かった。


 リカードは表面は平静な表情をしていた。それどころかエルジェーベトを――いつものような彼の私室ではなく――客間に通しさえした。

 不審を顔に出さないように努めつつ入室したエルジェーベトは、室内に先客がいるのを見てほんのわずか目を瞠った。身なりの良い若者が、既にリカードと酒杯を傾けていたのだ。


「来たか。座れ」

「恐れ入ります……」


 リカードが目で示した席に掛けると、驚いたことにエルジェーベトの前にも茶が供された。今夜は、下僕としてではなく取りあえず客として遇されるらしい。ならば少なくとも痛い目を見ることはないのだろうか。先客の若者が、例の狩りであの女を獲物にしようとした者たちの同類ならば、さほど安心することもできないが。


「この者はカーロイ・バラージュ。名は知っていよう」

「はい……」

「この女はエルジェーベトといって、娘の乳姉妹だ。王宮でよく勤めている」

「噂は聞いております」


 ――私のことを聞いている? 誰から、どのように?


 リカードに促されるまま、エルジェーベトはカーロイという若者とぎこちなく挨拶を交わした。相手の表情が妙に険しく、彼女を睨むようですらあるのが気にかかる。


 この若者について彼女が知っていることは多くない。父親はミリアールトの乱でしくじって死んだということ、本人は先のマズルークの侵攻で例の裏切り者と一緒に手柄を上げたということくらいか。この屋敷に招かれた以上はリカードに与するということのはずで、エルジェーベトが目の敵にされる謂れなどない。

 疑問は多かったが、リカードはそれに一々答えてくれるような主ではない。女も子供も、その内心は預かり知らぬとでも言いたげに、酒で口を湿してから口を開く。


「ハルミンツ侯――というかティグリスか、あの者どもが乱を起こした」

「それは――」


 喘いだのはエルジェーベトだけ、カーロイは表情を変えていない。つまり、男たちは既に知っていたことらしい。


「討伐には王自らが出向く。またしばらく会えぬと、ミーナとマリカには伝えるが良い」

「はい……」

「婿殿も、今日明日中にはミーナに会う時間を取るだろうが。先にそなたから言った方が安心するだろう」

「光栄に存じます」


 ――ティグリス王子……やはり企んでいたのね。油断ならないと思っていたわ……。


 エルジェーベトの脳裏に、足萎えの王子の姿が蘇る。見た目こそ青白く貧弱だったが、言葉遣いには知性が感じられた。頭のおかしい母親、あの寡妃太后を宥める時の手慣れた様子などからも、無気力で野心はないなどという噂は真実ではないと思ったものだ。

 あの時、彼女の懸念をリカードは一笑に付した。あり得ないと思いつつ、戦いで蹴りをつけることになるなら望むところ、といった様子だったと思う。だが状況は変わっている。ミリアールトの女が側妃に収まった今も、リカードは同じ考えでいるのだろうか。

 王が不在の間に、何を求められるのか。カーロイ・バラージュは何のために呼ばれたのか。


「必ずご無事で戻られると、お慰めいたします」


 もっとも無難と思われる返答をして様子を窺うと、リカードは当然のように頷いた。とはいえもちろんエルジェーベトはこのひと言のためだけに呼ばれたのではない。


「あの女のことだが――まだ生きているようだな」


 来た、と思ってエルジェーベトは背筋を正す。カーロイも全く同じ動きをしたのがどこか可笑しかった。口元が緩んだところなどを見られれば必ず咎められるだろうから、表情には上らせなかったが。

 それに、この若者がいるからと、リカードが容赦してくれるとは限らない。


「申し訳もございません。機会を狙ってはいるのですが、あちらも警戒しているようで……毒見役がいる他、出歩くこともほとんどなく……」


 今となっては、毒の石鹸での嫌がらせは尚早かつ悪手だったと思う。あの女を怯えさせ絶望させてやろうと思ったし、その目的は確かに果たせた。しかし同時に、エルジェーベトの敵意と、離宮に介入する手段があることをあの女に教えてしまった。あの件がなければ、胎児ともどもあの女を始末するような毒を仕込むことも、まだ容易かったかもしれないのに。


 席を与えられているだけに、低く跪くことができないのが落ち着かなかった。身体を投げ出してひれ伏してもまだ、この落ち度を詫びることなどできないと思うのに。

 上目遣いに窺うリカードの表情はまだ静かなもので、いっそ叱りつけて欲しいとさえ思う。発せられる言葉も――高圧的ではあっても――淡々とした口調だった。


「王の不在の間、儂が王都および王宮の守護の役にあたる」

「では――!」


 告げられたことに、立場も忘れてエルジェーベトは声を上げ、目を輝かせた。

 王の目も届かず、王宮の守りをリカードが掌握するとなれば、先ほど考えたばかりのこと――力づくで離宮に押し入り、あの女の腹を割くことも可能なはずだ。


「だが同時に離宮の警護はあの老いぼれに命じられた!」


 しかし希望は長く続かなかった。叫びながらリカードの顔は初めて苛立ちを滲ませて歪み、エルジェーベトの胸にも影が落ちる。リカードが言うのは、イルレシュ伯の爵位を賜ったミリアールトの老将のことだろう。年齢だけを取ればリカードともさほど変わりはないのだが。無論、意味もない指摘をするほどエルジェーベトは愚かではない。


「あの女はミリアールトの元王女。旧主のためならばあの者も全力で戦うだろう。――乱が起きているというのに、王宮の内で争いを起こす訳にはいかぬ」

「王が不在の時こそ好機と存じますが……惜しいことですわ……」


 いかに権力を誇ろうと、ティゼンハロム侯爵家は臣下に過ぎない。マリカが男児を生み、リカードがその後見になれば話はまた別だろうが、少なくとも今は王に従う姿勢を見せなければならない。ティゼンハロム侯爵家と対立する家々の手前、つけ入る隙を与えてはならないのだから。


「では、乱が終わるまではあの女に手出しをするなとの仰せなのでしょうか」


 夫がいない寂しさを紛らわそうと、ミーナはあの女に会いたいなどと言い出すかもしれない。そろそろ腹も膨らんでくる頃だろうにどう誤魔化せば良いのか、エルジェーベトは胸が重く沈むのを感じながらリカードに問うた。


「そのために私が献策したのだ」

「まあ、若君様が?」


 そこへ割り込んだカーロイの声は鋭く、切りつけるようですらあった。依然、心当たりがないことだし、子供が何を言い出すのかと訝しむ気持ちもあって、首を傾げる。


「そう……この者が、策があると言い出した。しかもそれと引き換えにどうしてもお前に会いたいと」

「力づくの手が取れないのであれば、それなりの策が必要だろう。狡猾な側妃といえど、あの老将がついていようと、内に対しての警戒は甘いはず」


 リカードの視線を受けて、カーロイは自信ありげに頷いたが、エルジェーベトはいささか頼りなく見える。先日手柄を上げたとはいえ、所詮初陣から無事に帰っただけの雛鳥に過ぎない。むしろ勝利ゆえに何か自身の力を見誤っていることの方がありそうだ。


「どのようなご提案でしょうか」


 年少ながら爵位を持つ相手に、エルジェーベトが問い掛けるのは無礼だったかもしれない。それに軽侮を隠しきれたかも怪しい。けれどカーロイが気づいた様子はなかった。胸を張る少年に代わって、リカードが教えてくれる。


「毒を使うのだ」

「ああ、若様……」


 今度こそはっきりと、エルジェーベトは嘲笑を浮かべてしまった。


 ――話を聞いていなかったのね。


「毒を使うのはありふれた――幼稚な手段とさえ言えましょう。あの者どもでも思いつくほどに。あの女は周りの者を毒見役に使って自身の安全だけは保っているのです」

「そうだろうな」


 懇切丁寧に説明してやったのに、カーロイの表情は揺らがなかった。そこまで巡りが悪いのか、と。エルジェーベトは苛立ちと不快に眉を寄せた。


「そしてそれはお前の落ち度でもあるだろう。それこそ幼稚な嫌がらせで、あちらに余計な警戒を抱かせた」

「――っ!」


 苛立ちを露に叫びそうになったのを、エルジェーベトは辛うじて堪えた。


 カーロイが指摘したのは、彼女が先ほど考えていたこと、自身でも失敗と認めることでもある。だが、だからこそ初めて会ったばかりの少年に言われるのは不快だった。

 男など皆同じ、女の痛みや苦労を分かっていないのだ。エルジェーベトがミーナを守るためにどれだけ心を砕いているか。王を始め、男たちはどれほど頼りにならず思い遣りがないか。偉そうに言うこの子供に、一体何ができるというのか。


「では若様……どのようにして、あの女に毒を届けると仰るのですか?さぞや素晴らしい妙案を聞かせていただけるのでしょうね?」


 女の無礼極まりない放言を、男たちは咎めなかった。リカードは興味深げに目を光らせて酒杯を傾け、カーロイは挑戦的に口元に弧を描かせる。その余裕も、エルジェーベトの気に入らない。


 ――その自信はどこからくるの……!?


 焦らすつもりか、カーロイは彼女の問いに直截に答えることはしなかった。


「私の姉が王宮に勤めていたことがあるのを覚えているか」

「はあ」


 ――だから何なの? 何の関係があるの?


 あまりに唐突な反問に、エルジェーベトは曖昧に答えるしかできない。問われたのは、この場に合わないというだけでなく、彼女の関心から完全に外れることだったのだ。

 バラージュ家は名門だから、ティゼンハロム侯爵家に連なる他の家々のように、娘を仕えさせていたとしてもおかしくはない。ただ、侍女たちを使う際に、彼女は実家の名を気にしないようにしている。甘やかされた娘たちは気位が高く扱いづらいもの。王宮にいるからには王妃の下僕であり、そして下僕としては先達であるエルジェーベトにも従うべきだ、と。思い知らせるためにも実家の名で呼ぶことはしていないのだ。

 だから、バラージュ家の娘と言われても容姿などを思い浮かべることはできなかった。

 茫洋とした表情はあからさまだったのだろう、カーロイは苛立たしげに声を荒げた。


「お前は姉上を打ったと聞いた。王女様から目を離したのが罪だと……!」

「ああ、あの……」


 エルジェーベトはやっとある娘の顔を思い出した。同時に蘇ったあの時の怒りと恐怖は、目の前の少年にも向けられる。


「姉君様とは存じませんでしたが……恐れながら当然のことですわ! あの時、マリカ様はあの女のところに迷い込まれていたのですよ? 万一のことがあればどのように責を負われると仰いますか!?」


 ――父親がしくじっただけのことはある……姉弟揃って見当違いな!


 立場も忘れて、エルジェーベトはカーロイを睨み付けた。この子供が彼女を険しい目で見ていた理由も知れた。姉だというあの娘、務めを疎かにした不束者を打ったのが気に入らないのだろう。甘えた考えで王女を危険に曝しておいて、図々しい言い分だと言うほかない。


「だがお前などに手をあげられる謂れはない!」


 若者らしく、カーロイはあっさりと挑発に乗って椅子を蹴立てて立ち上がった。


「陛下や王妃様にならばともかく……! 下賤の生まれのくせに乳姉妹とかいう縁だけを理由に王宮でさえ我が物顔に振舞うとは!」

「ミーナ様への忠誠ならば私は誰にも負けませんわ!」


 カーロイが剣の柄に手をやったのを見て、エルジェーベトは勝ったと思った。この子供が何を考えているかはどうでも良いが、誰に対してだろうと侯爵邸で剣を抜けば明確な非礼だ。リカードへの献策など二度と許されないだろう。父親ともども永久に汚名を着れば良いのだ。


「それくらいにするが良い。この者は決して謝罪などしないと言っただろう。そもそも悪いことをしたとは思っていないのだ」

「……そのようです」


 しかし若者(カーロイ)の血気を、老人(リカード)は抑えて助けて見せた。忌々しげに舌打ちしつつも少年は剣から手を離して着席し――エルジェーベトはほんの少し落胆する。


「……それで、策とは結局何なのですか」


 形ばかりの敬意を取り繕うのももはや億劫でなおざりに問う。リカードも咎めなかったのは、この子供への期待なのか。それとも恥を掻かせて楽しもうという肚なのか。


「姉は今、側妃の離宮に勤めている」

「何ですって!?」


 声を高めるのは、今度はエルジェーベトの番だった。少年の口元が嘲りに歪むのを口惜しく思いつつ、呆然とそれを凝視することしかできない。


「お前の稚拙な嫌がらせのお陰とも言える。信用ならない召使の代わりに、と……父の汚名を雪ぐためにも王の妃に仕えたいと言ったら喜ばれたぞ」


 ――おかしいわ……!


 嘲りに胸を刺されながら、それでもエルジェーベトは少年の話の不備に気付く。カーロイが言うのは石鹸の事件のことだろう。あれは、既に何ヶ月も前のことだ。


「――ならばあの女が孕む前から入り込んでいたのでしょう! なぜ今になって言うのです!?」

「お前のやり方は拙速に過ぎる。すぐに毒を盛らせようとして失敗したに決まっている」

「あんな女、一秒たりとも生かしておけないのに……!」


 やはりこの子供は分かっていない。リカードもミリアールトに対して遠慮が過ぎた。そうして手をこまねいている間にあの女は孕んでしまったではないか。ミーナを悲しませているではないか。どうしてこうも危機感が違うのか。

 憤りに歯噛みしつつ、反論を探す――が、子供をやり込める言葉が見つかる前に、リカードの低い笑い声が響いた。


「報告が遅い、とは儂も既に叱っている。まあマズルークの件の後でなければ若輩者の話を聞こうとは思わなかったかもしれぬし、そこはよかろう」


 機嫌良く酒杯を傾ける主の姿に、エルジェーベトは何となく悟る。この老人は、彼女がカーロイと言い争う姿が見たかったのだろう。姉を思う弟と、王妃のためなら決して譲らぬ女と。いずれも激情を抱えながら、リカードの前で度を越すことはできない。その(まま)ならなさに悶える様子が見たかったのではないだろうか。


「姉の働き次第では、王女様への罪はお許しいただけますでしょうか。父のことも……!」

「そうだな。首尾よく側妃を始末して――そなたの活躍と合わせれば、父親の不始末を補うに足りるだろう」


 いっそ無邪気にリカードに問い掛けるカーロイは、自身の立場に気付いていないのかもしれない。若者らしい矜持高さを持っているようだから、気付いていたらもっと悔しげな表情をにじませるだろう。この子供はやはりまだ未熟なのだ。

 それに、男たちが交わす言葉も聞き捨てならなかった。


「あの娘に……そのような大役をお任せになるのですか」

「姉は毒見役も任されている。少なくともお前が手をこまねいている間に側妃の間近に取り入ることには成功したぞ」

「そんな迂遠な……!」

「しかし確実だ」


 お前が策を巡らすよりも、と言外に言われてエルジェーベトは唇を噛んで俯いた。ミーナのために全てを捧げることこそ彼女の誇り。元王族だろうと王の妃だろうと――世継ぎかもしれない胎児だろうと。ミーナのためなら手に掛けられる。その役を、他の者に任せなければならないとは!


「姉を、御前に――お許しいただけますか」

「よかろう」


 また彼女を無視して交わされる会話、続いた扉の音と絹のさざめきに、エルジェーベトははっと顔を上げた。そして、見覚えのある娘が呼び出されたことに気付く。


「お前……」


 顔は確かに侍女として使ったことのある女。しかし今、その娘が纏う衣装は繊細な刺繍が施された上質なもの。更に顔つきも、涙ぐんで許しを乞うていたあの時とは違い、自信に満ちた微笑みに彩られていた。


「この場に呼んだのはバラージュ家の娘としてだ。お前は礼を守るが良い」

「……はい」


 リカードに言われるがままに膝を折って腰を低い位置に保つと、会話は上から降ってくるものとなる。エルジェーベトにとっては慣れた体勢――けれど今は屈辱に感じる。


「一度過ちを犯した身に機会を与えていただき、感謝の念に堪えません」

「二度目はない。王がティグリスを討つまでに、少なくとも胎児は流れるようにせよ」


 かさかさと紙か布の音がした。毒を渡したのか、と密かに思う。


「はい。この賜り物は必ず良いように遣わせていただきます。あの方は私のお茶を気に入ってくれているのです。どうかご安心くださいませ」


 ――このために、呼ばれたのね……。


 心中に暗く燃え上がる感情は、悔しさか憤りか、それとも嫉妬か。カーロイなどおまけにすぎなかった。リカードは間違いなく彼女だけを弄ぶために呼びつけたのだろう。側妃を誰より憎んでいると分かっているだろうに、目の前であの女に罰を下す役目を奪われるのだ。彼女の誇りと忠誠を踏み躙って楽しもうというつもりなのだろう。

 その証拠に、エルジェーベトに掛けられたリカードの声は笑っていた。


「お前はもう側妃に手を出さずとも良い。ミーナとマリカが心安らかに過ごせるように専念せよ。決してあの女に会わせてはならぬ」

「はい……」


 どれほど悔しくても不本意でも、彼女に否は許されていない。せめて歪んだ表情を見せまいと顔を伏せると、バラージュの姉娘の笑い声が軽やかに注いだ。


「見事やり遂げた暁には、また王妃様にお仕えしたく存じます。そこの方は王女様に甘すぎ、馴れ馴れしすぎですもの。自分の息子を遊び相手にだなんて……王女様はもっとおしとやかになられねば」


 ――この、小娘! 私の役を全て奪うつもりね……!


 ぎし、と歯を軋ませたエルジェーベトを、リカードは更に嬲る。


「大役を頼むのだ。ミーナを想うならば、お前からもひと言あって良いだろう」


 バラージュ姉弟が笑う気配がして、エルジェーベトは憎しみに心が灼ける気がした。王妃のためなどとはとんでもない、このふたりは彼女に意趣返ししたいだけではないのか。


「ミーナ様のため……必ずやり遂げてくださいますよう。お願い申し上げます……」


 ――ミーナ様のためだわ……。


 荒ぶる心中を、愛する主人の姿を思い浮かべてどうにか宥める。ミーナのためなら、彼女は何でもできるはず。生意気な小娘どもに頭を下げることだって。


 ただ――これだけ大口を叩いておいて――万が一にも失敗したら。その時こそは目にもの見せてくれよう。そう念じることだけが、彼女の一筋の支えだった。

今話で100話目でした。いつもお読みくださりありがとうございます。

100話記念ということで、番外編集にファルカスとミーナの馴れ初め話を掲載しています。全4話くらいになるかと思いますがよろしければ併せてお楽しみください。

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