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雪の女王は戦馬と駆ける  作者: 悠井すみれ
12. 狼虎の乱
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牙を剥く狼 ファルカス

 ファルカスを狩りから呼び戻したリカードは、心中を隠しきれていない、何とも複雑な顔色をしていた。


「お楽しみのところを申し訳もございませぬ、陛下」

「話は聞いた。これで呼ばれぬ方が問題だろうよ」

「ハルミンツ侯がティグリス殿下を擁して乱を起こしましてございます」

「逆ではないのか。王位を狙っているのはティグリスなのだろう。敵というならばティグリスをそう呼ぶべきだ」

「……仰せの通りと存じます」


 慇懃に答えた義父の目は、どちらでも良いだろうと雄弁に語っていた。リカードが敵として認識していたのはハルミンツ侯だけ、ティグリスは叔父に利用されるだけの存在としてしか見ていなかったのだろう。だが、事実は恐らく違う。


 ――あの者も、(ティグリス)の名を持つだけのことはあったのか。


 彼自身も数えるほどしか会ったことがない異母弟だから、その為人(ひととなり)についてはファルカスもさほど知っている訳ではない。しかし側妃の話によると、ティグリス自身が暗躍してあの女に接触し、逃がそうとしたのだという。しかもブレンクラーレと結んでいると仄めかして側妃を脅しすらしたということだ。人任せでなく自らそこまで動くからには、弟は操られているのではなく自身でも王位を望む野心があったということなのだろう。


「身体はどうあれあの者も王族なのだ。戦いを望んでいるならば応えてやるのが道理だろう」

「は」


 表向きは従順に頷きつつ、リカードの目に不穏に渦巻くのは、不審と打算と疑いだ。


 不審は、最近ファルカスは国内の乱を警戒する発言を繰り返していたから。それも、側妃の懐妊が発覚する前から。リカードにとってはティグリスなど敵のうちに入っていなかったのだろうから、どうして予測していたのか、偶然なのかと疑っているのだろう。

 そして打算は、今回の対応でどれほど王に協力するか、というもの。ファルカスが敗れればミーナもマリカも命が危ないのは当然承知しているだろうが、無条件に兵を出しても良いものか、何かしら彼に譲歩をさせるか恩を売るべきかは思案のしどころのはずだ。

 更に、降ったばかりのミリアールトは信用しても良いものか。先ほどまで共に狩りに興じていたカーロイ・バラージュにしても、忠誠の先がティゼンハロム侯爵家なのか王なのか。疑い悩むことも大いに違いない。


 ――思い悩むだけ対応は遅れ動きは鈍るものだろうに。老人は愚かなものだな。


 内心の嘲笑は無論顔に出すことはせず、ファルカスはリカードに向けてあえて笑ってみせる。余裕があると見せつけるのも、戦いのうちだ。彼の敵は、戦場だけにいるとは限らないのだ。


「諸侯に参集はかけているのだろうな? どれだけ集まるか、見ものだな」




 その後数日に渡ってファルカスは多忙だった。


 反乱の報を聞いて不安に思っているであろうミーナとマリカも、懐妊中の側妃も。見舞ってやりたいのは山々だったが、妻子を訪ねる暇など許されなかったのだ。

 王位継承権を持つ王子が起こした反乱だ。イシュテンの国土が戦場となる分、マズルークの侵攻よりも事態は重く受け止めねばならぬ。外敵ならば誰も退けるのに異存はなくとも、内部の敵には種々の(しがらみ)がついて回るのだ。


 だから、参集をかけた諸侯が命令通りに集まらないのも予想の範囲だった。むしろ――


「意外と揃ったものだな」


 玉座の高みからイシュテン王宮の広間に集った諸侯を見渡せば、欠けた者の方が少ない。ファルカスが即位した直後に先王の第一王子と争った時などは、彼に敵対しなかった者のうちでも半数近くが何かと理由をつけて領地に篭っていたものだったが。


「ティグリスなどを王に戴く者などおりませぬ。恐れる者も。この場に現れなかった者は後々までも怯懦の謗りを受けることになりましょう」


 リカードが粛々と述べるのは――本人にも分かっているだろうが――事実の一面でしかない。イシュテンでは国や王を思って動く諸侯は少ないのだ。第一に考えるのは自領のこと、そこへ戦禍を呼びかねない行動は慎みたいと考えるのも無理はない。つまり、反逆と咎められない程度に言い訳を用意しておいて、静観を決め込むということだ。

 そして勝敗が見えた時になって初めて動く。彼が勝つなら彼の方へ、異母弟が勝ちそうならそちらの方へ。今回始めから王につく者が多かったのは、ティグリスが勝つ見込みがそれだけ低いと思われているというだけだ。勝利に貢献したことで王に恩を売ろうという――忠誠とはほど遠い動機なのだろう。


 もちろん分かりきったことを口にしても益はないので、ファルカスはただ集った諸侯を労った。表向きは王の呼び掛けに応えてくれたということなのだから、彼の方でも建前を守るのは重要なことだ。


「貴公らの忠誠に感謝する。ティグリスめを討った暁には正しく報いられるだろう」

「ハルミンツ侯も悪あがきをするもの。よりによって不具の若造を担ぐとは」

「大人しくしていれば寿命を全うできたものを、ティグリスも不運というか――見通しが甘いことでございます」


 おもねるような言葉が広間のあちこちから聞こえてくる。いずれも、リカードと同じくティグリスはハルミンツ侯のおまけに過ぎないと考えているようだった。


 ――見通しが甘いのはどちらかな……。


 異母弟がブレンクラーレと結んでいるとの事実は、この場で口にすることはできない。側妃がティグリス本人から聞いたなどと言っても確たる証拠とは見なされないだろう。それでリカードあたりと揉める方が面倒だった。

 ただ、大国との密約を知っていたらこの場に集った者の幾らかはティグリスの方へ参じていたかもしれない。そう思うと王への忠誠の不確かさに自嘲の笑みを禁じえない。


 ――あるいは裏切るために来た者もいるか……?


 ティグリスはブレンクラーレの後援をどこまで明らかにしているのだろう。王位争いに他国の介入を許すのは、流石に屈辱、あるいは売国だと感じる者もいるだろうから、漏らす範囲は限っているだろうが。もしも密かに明かした者がいるならば、戦場で敵味方を取り替える腹積もりの者もこの場にいるのかもしれない。


 とはいえ、それは今思い悩んでも仕方のないこと。今考えるべきは、ティグリスといかに戦い、彼の王位をいかに保つか、その策だ。


「意気盛んなことで結構。――ではティグリスの動きを教えよう」


 軽く笑って頷いてから口調を改めると、追従のさざめきも収まった。諸侯の視線が矢のように刺さるのを感じながら、ファルカスは玉座の高みから降りる。

 諸侯は壁に沿って並び、広間の中央に空間を作っている。そこに広げられたのは、イシュテンの地図だ。このような多くの者が一同に会する時のために作られたそれは、もちろん紙に記されているのではない。いかにつなぎ合わせたところで、紙は脆くて取り回しが悪すぎる。王が所蔵するイシュテンの地図とは──森は黒に近い色で、草原はより鮮やかな緑で。河は青く岩場は砂の色で織り上げた一幅の織物(タペストリ)だ。織り上げた職人の腕自体も見事なものだが、諸侯から領地の情報を集めたのは代々のイシュテン王の偉業と言って良い。

 この地図があるからこそ、先のマズルークの侵攻の際は最短距離で戦場に至る水路を検討することができた。そして今回も。ティグリスが弄しているであろう策を窺うことが可能だろう。


「あの者はハルミンツ侯爵領を戦場に選ぶつもりらしい。王都に攻め入ることはせずに陣を構えるつもりのようだ」


 鞘から抜いた剣の切っ先で示すのは、イシュテン東部の平原だった。ハルミンツ侯爵家の本拠地、イシュテンが国の形を取る前にかの家が王のごとき権勢を誇った地でもある。そこで、異母弟は彼を待っているらしい。


「誘い込もうということですな……」

「自領を戦場にしようとは」


 どこからともなく溜息のような声が漏れる。前者は苦渋を、後者は驚きと、微かな喜びか安堵を滲ませて。

 敵に地の利があるところで戦うのは憂鬱なもの。一方で戦馬の蹄が踏み躙るのが自身の領地でないのは歓迎するところ。いずれもイシュテンの諸侯としては至極もっともな反応だった。

 ファルカスとしては案じる声に同調したい。多くの者が信じているであろうこととは違って、ティグリスは自暴自棄などではなく何らかの勝算があって挙兵したのだと彼は考えている。何よりハルミンツ侯爵領はブレンクラーレと隣接しているのだ。謀がないと信じる方がどうかしている。


「乱を起こしながら討たれるのを待つばかりとは、惰弱の極み」


 しかし彼はあえて断じた。王とは強く憍慢であらねばならない。しかも相手は不具の異母弟。必要以上に弱気を見せるのは王の気質の不足と認識されるだろう。

 決して彼に心からの忠誠を誓ってはいない諸侯に覇気を見せるべく、ファルカスはひとりひとりの顔を力強く見渡した。


「思い上がりは一刻も早く正してやるべきだろう。見逃してやっていたのにわざわざ挙兵したからには容赦はしない。全力で叩き潰してくれよう」

「指揮官には誰を任じるおつもりでいらっしゃいますか?」


 上座の方からの問い掛けは、例によって王を試すためのもの。王位を狙う者を相手に、臣下に任せ安全なところに引きこもるつもりではないだろうな、と揶揄しているのだ。


「獲物を他の者に譲るとでも?」


 無礼な問いをした者に対して、獰猛に笑いかけてやる。彼にはイシュテンの王たる資質があるのだと、諸侯に見せつけなければならない。戦いを避ける怯懦は、この国の武人が最も嫌うものなのだ。


「イシュテンにいながら(ティグリス)を狩ることができるとは思わなかった。爪も牙も折って――屍を城壁に飾ってやろう」


 高らかに宣言すると、おう、という応えが地響きのように低く強く広間を揺らした。士気は十分――ただしこれはファルカスの有利を意味しない。

 王自らが陣頭に出ることは、ティグリスも予想し期待していることだろうから。ブレンクラーレがどれだけの援助をする気かは不透明だが、兵の数はこの際問題にならない。


 ファルカスを討つことさえできればティグリスの目的は果たせるのだ。現在イシュテンの王位継承権を持つのはあの異母弟ただひとり。マリカは女児ゆえに本来は継承権を持たず、マリカの子を次の王に、などとはリカードの権力任せの無理筋に過ぎないのだ。


 ゆえに彼が戦場に出ればティグリスは真っ直ぐに彼の首を狙ってくるだろう。


 それを分かっていながら虎の牙に飛び込まなければならないのは癪だが――一方で、血が沸き立つ思いもある。ミリアールトへの侵攻などは、勝てると思ったからこそ実行したのだ。命を賭して戦うのは、彼としても久し振りのことになる。

 ましてあの異母弟が全力で、他国を頼ってまで挑んでくるのだ。どのような策を巡らせているのか、いっそ楽しみですらある。


 ハルミンツ侯爵領から戻っていた斥候に、ファルカスは問いかけた。


「敵の数は? どの家がティグリスについたのだ」

「はっ――」


 斥候が挙げた家や紋章は、ハルミンツ侯家に連なるものだけではなかった。敵の敵は味方――とでも言うのか、ティゼンハロム家と不仲な家も参戦しているようだった。そして広間の空席と照らし合わせれば、王に明確に敵対した者、日和見を決め込んでいる者が取りあえず分かる。


「反逆を明らかにしているのはそれだけか。意外と少ないな」

「伏兵を懸念しておられるのですか? 遅参している者どもも戦禍を避けたいだけ、叛意があるとは考えづらいと存じますが」


 思わず漏れた本音の呟きは、リカードによって聞きとがめられた。心配しすぎだとでも言いたげな口調に、ファルカスの声は尖る。


「臆病者どもを恐れるものか」


 義父がしたり顔で言うのも、一応事実ではある。領地の配置も考慮すれば、欠席した者たちはハルミンツ侯爵領から比較的遠方の領地を得ている。ティグリスと共謀して挟撃を狙うにしても、密な連絡を取り合うのも時機を測って戦場に現れるのも難しく、ならば本当に戦いたくないだけなのだろう。

 だが――


 ――ブレンクラーレをどう使うつもりなのだ?


 報告された敵の数は、反乱に参加した家々の勢力を考えるとごく妥当なものだった。つまり、現在ティグリスの下に集っているのはイシュテンの兵のみ。装備や糧食など金の方面での支援も考えられるが、大国がわざわざ介入したにしては規模の小さいことだと思う。

 伏兵というならば、敵の数を把握したと思って油断したところにブレンクラーレの軍が現れたらこちらとしては浮き足立つだろうか。他国の軍を招き入れたなどと、ティグリスは明らかにするつもりなのだろうか。


 とはいえ、今の段階では彼の懸念を臣下に対して明らかにすることなどできない。


「手の内を明かしすぎにも思えたが――正面からの戦いを望んでいるということだろうな」

「不具の身で思い上がったことと存じます。踏み躙ってやれば、陛下のご威光をイシュテン全土に示すまたとない好機となりましょう」


 信じてもいないことを宣言すると、リカードはすかさず追従してみせた。ティグリスさえ排除すれば、マリカの子を王位につけるという野望が叶うと思っているのだろうか。傀儡の、()()()の王位など、彼が(よし)とするとでも思っているのだろうか。ティグリスを完全に侮っていることといい、耄碌(もうろく)したことだと思う。


 ――異母弟(ティグリス)(たお)したら、次はお前だ。


 驕り高ぶったリカードよりも、異母弟の方が手強い敵ですらあるかもしれない。ファルカスの念頭には、先のマズルークの侵攻で、水路を使った移動を進言してきた側妃のことがある。あの賢しい女が述べたのは、今までのイシュテンにはなかった発想だった。そして人質だったあの女に近づいて絡め取ろうとしたティグリスの行動も、今までならば唾棄されるべき小細工に相当するだろう。


 だが、実際の戦いで手段を選んでなどいられないのだ。力だけで全てを勝ち取るなど時代遅れになるのだろう。ティグリスが、その背後にいるブレンクラーレに対抗するなら、ファルカスも狡猾さを覚えなければならない。懸念など見せず、その実(はかりごと)を見通して、勝ち抜く。生き抜く。


「イシュテンの王、イシュテンを導く者は俺を置いて他にない。ティグリスが何を企もうと構うものか。戦馬の神は俺と共にある。神の蹄に砕かれることこそ反逆者への最後の恩寵としてくれよう!」


 アンドラーシ、ジュラ、それにカーロイ。彼の檄に目を輝かせる若者たちがいた。この者たちとは、共に永く進むことになるだろう。リカードやハルミンツ侯爵のように旧弊に捕らわれた者どもとは違う、新たな知見を得た――これから得る者たちだ。異母弟が何を企もうと、負けてはならないと思わせられる。


 そう、ティグリスが何を企もうと構うものか。どの道、知勇を尽くした戦いになる。臣下を叱咤しつつ――戦いの予感にファルカスの血は(たぎ)っていた。

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