前世の記憶と今の生
その街には、風車があった。
私が今生落とされた世界で、私はこの街以外をほとんど知らなかったが、風車のあるこの街は狭かろうと私の故郷であり、そして今後も骨を埋める地となるはずだった。
今生、というからには、前世があるわけで……。
ふわふわと、断片的な記憶ではあるものの、私には前世の記憶があった。
自覚したのは物心つく前で、地球の日本と呼ばれたその場所は、明らかに今生私のいるこの場所と、世界が違った。
まず、地球には存在しなかった魔術が存在した。いや、もしかしたら私が知らなかっただけかもしれないが、少なくともこの世界のように、その存在を当然とされてはいなかった。
まあこの世界でも、常識ではあるものの魔術を操るには訓練が必要で、ある程度の特権階級でなければ不可能である。文字と同じだ。文字の存在を知らぬ人はいないだろうが、地球で識字率がばらついていたように、教育インフラに恵まれていなければ魔術は身につけられない。基本的に才能ではない。環境と努力で身につけるものだ。
断片的な前世の記憶は、ふとした瞬間に現世と比較するような形で浮上したが、特にその恩恵にあずかったり逆に不便に感じることはなかった。
いや、一つだけあった。
前世、私は美容師を目指していた。幼い頃から妹を練習台にしている内に、いつしかその道を夢見ていたのだ。
残念ながら前世は専門学校への通学路で事故にあい、夢は夢のまま終わった。
現世で生まれたのは、イェルカのティリヤという国で、同じ大陸の中ではそこそこな領土の広さと勢力を誇る。イェルカは地球やアースと同じで今私が踏みしめる大地を意味する。ティリヤは国を表す固有名詞だが、語源は“小川から広がる平野”を意味するらしい。北西は海に面し、うまい具合に南東の国境沿いには山脈がはしっているらしい。気候は私が知る限り、秋から冬にかけて雨と雪がふり、春から夏にかけては晴れの日が多い。
王と領主と士族とその他三族というような身分制度で、私はかろうじて士族、という家に生まれた。
士族とは戦時には王や領主の下に馳せ参じる戦力だ。正確に言えば、士族でありトップに立ち国や領土を治める者が王であり領主である。
我が家はそんな上層からはるか遠い立場で、その他三族の商族に片足つっこんでいる。常時領主に仕えるわけでなく戦時にのみ召集され俸祿のない、末端の士族だ。似たような家はいくつもあり、それぞれ農工商族いずれかに片足突っ込み、平時の生計をたてている。我が家の場合、マルワという、クリームチーズを一口サイズに生地でくるんで上げた菓子が収入源だった。
父はそんな士族でも珍しく、領主に顔を覚えられていた。
なんでも昔、戦時に召集された際、一時とはいえ領主の側で雑務をこなす機会があったらしい。我が家の属するハルアレア侯は人の顔を覚えるのが得意で、戦後間もなくお忍びでマルワを食べにきた際に、すぐ父に気づいたらしい。偶然の再会以後、父のつくるマルワは領主のお気に入りだった。
残念ながら、私がその父の味を受け継ぐことはなかった。
8歳になった年、例年になく夏に雨がふった。異常気象のせいか、その年病が流行り、父も母も亡くなった。私だけが生き残ったのは、偶然でもなんでもなく、病が流行り出してすぐに、子どもにだけ有効な薬が見つかったからだ。発見されてすぐ、病が流行っている地域の士族に配布された。
そのため、同じようにして親を亡くした士族の子どもが何人も出た。引き取る親戚が全くない子どもについては、一時的に領主の城に預けられることになった。
その内の多くは、商族あるいは工族に引き取られていった。
そして私はというと、領主と顔見知りだった父と前世から引き継いだ特技のおかげで、ハルアレア侯の孫娘アレアの侍女として、士族のまま仕えることになったのだ。
2015/1/4 誤字修正