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奇し世に戯る

黒狐、鬼と語らうこと

作者: こなゆき

 神無月を明日に控えた、よく晴れた昼下がりのこと。

 つい先程灯華と鏡夜が出雲へ向けて発ち、それを見送った豊と実も里に用事があるとの事で稲荷大社を後にした。

 そんな訳で文字通り「無人」となった神社に、一人の――否、一柱の客人があった。


 「そっか、明日から神無月だもんね。あたしも出雲に行っちゃおうかなー。参拝客のフリしてさ」

 両手に土産物を抱え、からからと脳天気に笑う小柄な少女。

 蝶結びにした稲穂色の天衣を秋風に揺らしながら現れた彼女もまた、八百万の神の一柱。茶吉尼天と呼ばれ崇められる異国の神である。


 刀羅が灯華たちの留守を告げると、茶吉尼天はいささか残念な素振りを見せたがそれを引き摺ることもなく次々に土産物を渡した。

 「これは山葡萄酒。この包みは稲荷寿司と蜜柑。お寿司は足が早いからみんなで食べちゃって」

 「かしこまりました」土産物を受け取りながら、刀羅は事務的に答えた。

 「あと、灯華が帰ってきたら『霜月の初めにまた来る』って伝えといてくれる?」

 「かしこまりました」

 「ところで、豊くんと実ちゃんはどうしたの?」

 「それは……」淡々と答える様子の刀羅にはお構いなしに、茶吉尼天は次々と話しかける。こんな時、刀羅は終始圧されてばかりだ。

 「ふたりとも、立ち話では何だから上がって行きなさい。美味しいお茶にお菓子もある」

 境内を掃きながら二人の様子を眺めていた火守の一声で、茶吉尼天は客人として拝殿へと上がることになった。 


 上がった先で火守と茶吉尼天はとりとめもない話で盛り上がる中、刀羅は火守の煎れた茶を啜りながら、二人の様子を手持ち無沙汰に眺めていた。

 実のところ、刀羅は茶吉尼天の事が苦手だ。刀羅と茶吉尼天が一緒に話すとなると、良く言えば天衣無縫、悪く言えば気儘が過ぎる茶吉尼天に終始手綱を握られがちになる。しかし刀羅にとってそれ以上に大きいのは、彼女が曲がりなりにも「鬼」であること。

 伸ばした前髪から垣間見える、獣のような鋭い眼。口を開くと覗く尖った牙。同じく尖った、ヒトのそれよりも硬くて長い爪。それら一つ一つにかつて稲荷大社を襲った羅刹達を思い起こさせられ、刀羅は思わず身構えてしまう。

 「僕は平気だよ。だって茶吉尼天さんは悪い鬼じゃないもの」――そう笑った鏡夜の単純さが、このときばかりは少し羨ましくなる。そんな調子であれこれ逡巡する刀羅の隣で、火守と茶吉尼天は相変わらず四方山話に夢中な様子だった。しかし、ふと茶吉尼天は刀羅の方を向き、彼に話しかけた。

 

 「そういえばさ、黒狐って珍しいんだよね」

 「……あぁ、そうだが」頷く声に軽い苛立ちが籠もったことを刀羅は自覚した。

 刀羅はかつて、黒狐であるが故に無実の罪で殺されかけたことがある。偶然にも灯華がその場を見つけてくれたことによって今は生きながらえているし、今では自身の毛皮の色を恨むこともなくなった。しかしながら、それでも刀羅にとっては軽々しく触れて欲しい事などではなかった。ましてや、鬼なんかに。

 「黒狐って言うと、こんな話は知ってる?」相変わらずの奔放さで、茶吉尼天は話を続けた。

 「……何の話だ?」

 「大陸の方ではね、黒い狐は北斗七星の化身として重宝されてるんだよ」

 「……重宝?黒狐が?」内容次第では声を荒げるつもりでいたところだったが、まるで出鼻をくじかれたような気分だ。

 「うん。北斗星君様……北斗七星の神様の使いは黒い狐なの。あとね、あたしの知り合いに最近破軍星に任命された奴が居てさ。そいつも黒狐の使いが居れば箔が付くかな、なんて言ってたよ」

 「……」

 「妙見菩薩様もね、使いを黒狐にするか梟にするか結構悩んでたっけなぁ」

 「……そう、なのか?」


 刀羅にとって、茶吉尼天の話は驚くべきことだった。

 黒い毛皮は厄と穢れの象徴。神にとって穢れは大敵。ゆえに神は黒狐を避ける。神の眷属たる狐たちからは一族の汚点とみなされ忌み嫌われる。刀羅はそのことを諦めにも似た思いで受け入れていたし、それが世の真理だとばかり思っていた。

 ――でも、黒狐が神々から必要とされている世界もまた存在するのだ。


 「だからさ、刀羅君はあたしたちの所に来れば人気者だよ。みんな尻尾なんか隠してないし、黒い耳のまま神様に仕えてるの。素敵だと思わない?」茶吉尼天はにこりと、鋭い歯を見せながら笑った。

 「確かに、素敵な世界だな」

 黒い毛皮で産まれた運命を呪い、人目を避ける必要もない。想像しただけで心が軽くなるような、そんな世界。頭では解るが、しかし、刀羅の気持ちが揺らぐことは無い。

 (だって、俺はもうそこに行く必要はない)

 「……でも、灯華様は俺を必要としてくれている。それで十分です」

 刀羅は答えた。一言一言を噛みしめながら、はっきりと答えた。

 茶吉尼天はそれを聞いて、今度は嬉しそうに目を細めて言った。

 「そっかぁ。でもあたしは刀羅君のそういうところが格好いいと思うし、好きだよ」

 灯華に愛されてるんだねぇ、だから刀羅君も灯華のこと大切にしなきゃ駄目だよ。茶吉尼天はそう言いながら身を乗り出し、まるで幼い子供にそうするように刀羅の黒い髪をわしゃわしゃと撫で回すのだった。

 「こら、子供扱いするな!俺よりもチビの癖に!」

 「ひっどーい!あたしの方がお姉さんだもん!」

 鬼と黒狐。鬼神と豊穣神の神仕。友人とも、姉弟とも、主従とも異なる奇妙なふたりのじゃれ合い、もといやりとりの傍らで、まるで我が子を見守るように火守は微笑んでいた。


 そうこうしているうちに西日が差し込む頃合いとなり、茶吉尼天は稲荷大社を後にすることになった。

 茶吉尼天は鳥居の前まで見送りに来た火守と刀羅に、何度も名残を惜しみながらまた来るね、と言った。

 「そうだ、刀羅君」鳥居をくぐる直前、茶吉尼天は振り向いて刀羅に話しかけた。

 「黒狐はね、太平の世の訪れと共に地上に降臨するとも言われてるんだよ!」

 「……太平の、世?」

 「まったねー!」刀羅の言葉に返事はなく、気付けば彼女は夕暮れの日差しの中に消えていた。

 

 刀羅は茶吉尼天が去ったあとを見つめながら、静かに彼女の言葉を噛みしめた。

 「……今、江戸が平和なのは、灯華様が刀羅を見つけてくれたお陰かも知れないな」

 火守はそう言って、鳥居の向こうへと手を振った。


 ふたりの視線の先には、夕焼け空を背に神社へと駆け寄る豊と実がいた。

 

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