(92)面会
仁樹は看護師を急かすように面会室を出た。
主治医同様に髪に白いものが混じる年の、婦長のネームプレートを付けた看護師は、落ち着き払った態度で仁樹を従えて歩く。
舞は慌しく主治医に一礼し、まるは仁樹がどこかに行くからついて行くといった感じで仁樹と婦長の後に続く。
一緒に暮らしている舞がかろうじてわかる程度の仁樹の焦りは、他人の目には極めて平静な様子。真理の元へと急ぐ仁樹とそれを案内する婦長は、単に人間ドックか何かで院内の各科を連れ回されているようにさえ見える。
舞は仁樹を追いながら、真理を助けるという確固たる意志を背中に感じ、奇妙な安心のようなものを感じていた。それを裏付けるように、いつも仁樹のことを舞よりよく知っているまるが言う。
「大丈夫だよ。真理姉ぇもお兄ちゃんも大丈夫」
内科の六人部屋から廊下を曲がり、同じフロアの別棟で婦長は歩みを止めた。勝手知った様子で同時に足を止めた仁樹に向かって言う。
「こちらです」
集中治療室に隣接した個室病室。既に入院患者の氏名を表示するネームプレートには、十数年前にもここに入院した真理の名が書かれている。
婦長がノックした後、病室に入る。それから婦長の許しを得て仁樹も入室した。
誰もが多忙な看護師の仕事で、特に忙しいらしき婦長は、仁樹をここに連れてきたことで仕事は終わりといった感じで、舞たちに軽く頭を下げ、足早に歩き去った。
舞も病室に入ろうとしたが、まるが舞の上着の袖を掴む。まるは病室の戸口から顔だけ出して室内を見て、それから舞に振り返り言った。
「お兄ちゃんと真理姉ぇがお話してるから」
たった一人の姉がいる病室に今すぐ行きたい気分だったが、舞は開け放たれた個室病室のドアの外。廊下でまると共に待った。
仁樹が病室に入ると、ベッドに横たわっていた真理が体を起こす。
ここに来てから着替えさせられた病院のパジャマ姿を恥じて体を隠す真理を、仁樹はそっと寝かせ、掛け布団をかけた。
「仁樹さん、なんとお詫びしていいか」
ベッドサイドの椅子に座った仁樹は言う。
「あなたが詫びることも、心配することもありません」
真理は仁樹を見上げ、それから視線を落とした。
「このポンコツな体のせいなのですね」
仁樹は首を振りながら言う。
「それほど大仰なことではありません」
白血病治療の技術は年々進化し、一度発病した真理が再発するまでの十五年間にも幾つかの新技術が導入されながらも、死のリスクは常に存在する。
「仁樹さんに大変な思いをさせてしまうことは変わりません。こんな体なんてもう無くなってしまえばいいのに」
真理はもう一度ベッドから体を起こした。何か明確な理由があって起き上がるという意志を宿した真理の目を見た仁樹は止めようとしない。
「俺が真理さんのためにすることは、俺がこれから人として生きていくために必要なんです。あなたはそれを知っている」
真理はベッドの上で起きているのが辛そうな様子で、体を前後に揺らしながら言った。
「仁樹さん、もしかしたらあと僅かで死に行くかもしれない私の願いを聞いて頂けますか?」
常に自らの目的に最適の姿勢で居る彼に似合わず、仁樹は椅子の上で座り直す。そして真理に頷いた。
「今、ここで、私をあなたの女にしてください」
仁樹は椅子の上で体を伸ばし、躊躇なく真理を抱きしめた。
あとどれくらいの命が残されているかもわからぬ真理の髪を確かめるように胸に収めた。
仁樹は真理の母親のことを思い出した。まるを産んですぐに真理と同じ病で死んだ彼女に対して、既に人の持つ感情を失いつつあった仁樹は悲しみや喪失を感じることは無かった。あるいは自ら閉じていたが、納骨でただの骨となった彼女の頭蓋に触れた時、それが何度も撫でた形だったことは今でも覚えていて、それ以来女の体に触れることを避けるようになった。
真理は仁樹を仰ぎ見る。そのまま真理と仁樹は唇を触れ合わせた。
病院に運び込まれてから何種類か飲んだ薬の味がするキスは、仁樹にとって命の味がした。




