(91)代償
(91)代償
仁樹は舞とまる、二人を等しく視界に収めながら、ゆっくりと話し始める。
「俺は十八年前、真理さんに自分の骨髄を移植した」
その頃にはまだ壮年だった老医師が、当時を思い出すように頷く。
「タカは引き換えに、フェラーリを俺に譲渡した」
舞の表情が変わる。仁樹がまるの父親だと知らされた時と同じ顔。怒りと軽蔑が入り混じった感情。
「ちょっと待って、まさかパパはあんたから骨髄を買ったの?あのフェラーリで」
仁樹は首を振りながら答える。
「それは違う。その頃の俺はタカのフェラーリに魅せられ、半ば奪い、寝食を忘れて乗りながら、フェラーリを譲るというタカからの申し出をずっと断っていた」
話を聞いているまるは平静なままだった。長い前置きに退屈しているかのようにも見える。
「俺はあのフェラーリに乗りながら、その代償を支払っていない。そのまま乗れば盗人と同じだ。フェラーリと対等の関係は築けない。だから俺は自分がタカに与えられるものを考え、タカも考えた、その頃だった、娘の真理さんが病に倒れたのは」
舞の怒りが幾らか薄らいだ。ほんの少しだけ。
「それで血と骨髄をあげたの?苦しい思いをして、入院して手術して」
仁樹は頷きながら答える。いつもと同じ無表情。
「真理さんに移植可能な家族は居なかった。バイクに乗っていた頃、事故に備えて保存していた俺の血液型データが真理さんに適合した。だから俺はタカに強く求めた」
舞は面会室の椅子に乱暴に座る。仕草に反し表情は落ち着いて話を聞く気持ちを示している。
「どっちがどう言ったかなんて後で幾らでも言えるわ。結果としてパパは自分の娘のために、フェラーリを渡してあんたの血を受け取ったのね、私としてはパパの棺桶を引っ剥がしてブン殴ってやりたいわ」
仁樹は舞とまるから視線を外し、窓の外を見た。職員駐車場に停まる仁樹の赤いフェラーリが見える。
「タカあの頃既に自分が長く生きられないことを知っていた。タカは真理さんのこと、そして俺のことを案じていた」
仁樹はフェラーリを、舞やまると同じ人格であるかのように眺めながら話し続ける。舞も見たが、車はただの車としか思えなかった。
「俺は人として不完全だ。生きること、人と接すること、それら全てにフェラーリを必要としていた。だから血と骨髄を提供し、フェラーリを手に入れた」
まるは話の内容にさほど興味ないといった感じでお茶を淹れている。説明されるまでもなく知っているようにも見えた。
「タカは娘を助けることが最優先で、そのためには何でもすると言っていた。だが、俺がこれから生きていくには、フェラーリという補助具が必要であることも知っていた。それでは不十分だと思った」
舞は仁樹を眺めながら答える。
「あんたが色々足りないことぐらいとっくに知ってるわよ」
窓の外を見ていた仁樹が舞を見る。いつもながらの無表情だけど、舞にはただの知り合いなら気付かない微妙な変化がわかる。仁樹の表情はごく微かに緩み、それは笑顔に見えなくもないものだった。
「タカは俺がこれから破滅するこなく生きていくために必要なものがもう一つあると考えた。痛みを代償に守り抜く何かがあれば、それが真理さんであることを望んだ」
仁樹はドアの外を見た。廊下を隔てたどこかの病室に居る真理を探し求めてるように見える。
「フェラーリがそうであったように、真理さんも俺が生きていくために必要な補助具だった。それかこれからも変わらない。真理さんのために俺に出来ることをしている限り、俺は人で居られる。
舞は肩を竦めた。理解したわけではないが、しょうがないと諦めたかのような態度。
「わかった、今回はありがたくあんたの骨髄提供を受けるわ」
それから舞は、それまで口を挟むことに無かったまるを振り返った。
「まるもそれでいい?」
まるは面会室の給湯器で淹れたお茶を仁樹の前に置きながら答えた。
「いいよ」
血の繋がりというだけではなく、最初から仁樹に好意を示していたまるは、舞が説明を受けたようなことはとっくに知っていたんだろう。
仁樹はまるの淹れたお茶を手に取り、一口飲む。
猫舌気味の仁樹には少し熱すぎるお茶を、仁樹は無理しているような感じで飲み下した。
面会室のドアからノックの音が聞こえた。老医師が入室を許すとベテランらしき看護師が入ってきて言った。
「真理さんが目を覚まされました」
仁樹は真っ先に立ち上がった。




