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GARAGE~フェラーリに恋した男と三姉妹~  作者: トネ コーケン
81/100

(81)動と静

 電動シャッターをリモコンで開けた舞は、RC30をガレージの中に乗り入れさせた。

 ガレージ内を見回してみたが、仁樹もフェラーリも見当たらない。どこかに走りに行った様子。

 定位置となっている仁樹の食器棚とユニットバスの間にRC30を停めた舞はバイクから降りる。

 今日は近隣にあるワインディングロードを走りに行く時に着ている革ツナギではなく、ジーンズにライディングジャケット、ペコスブーツのラフな格好。

 背負っていたディバッグを下ろした舞は、自分の部屋まで階段を昇るのが待ちきれず、ディバッグのジッパーを開けた。

 中にはどぎついピンク色の表紙の本が一冊。個人別電話帳くらいの大きさと厚さ。タイトルを見て舞は少しだらしない笑みを浮かべた。


 じょうずなワニのつかまえ方。 

 三十年ほど前に英国で発売された書籍の訳書で、その名の通りワニのつかまえ方からミイラの作り方、パンクの直し方や降伏の仕方まで、あらゆるハウツーが掲載されている。

 この本の邦訳版にはもう一つの側面がある。現在日本の出版界で一般的なあらゆるフォントが使われているので、印刷、写植の関係者からは教科書的な書籍として珍重されている。

 舞は最近RC30で行くようになった近隣の古書店巡りで偶然見つけた。

 昔ながらの古本屋より新古書店の多い都下では、古本屋に行っても並ぶ書籍は全体的に新しい物が多いが、稀にこんな掘り出し物が見つかることがある。


 三階のリビングでお茶を煎れ、二階の部屋に落ち着いた舞は、改めて今日の戦利品のページを開いた。

 書かれている内容のみならず、印刷の妙とも言える様々な文字表現を目で楽しみ、充足感を味わう。

 RC30で自分に出せる限界の速度を出している時には、言葉では言い表せない興奮を得られるけど、こうして文章に係わる趣味を楽しんでいる時も、間違いなく幸福感を得られる。

 人間には静の趣味と動の趣味が必要だと聞いたことがある。舞は自分にとっての動の時間がバイクで、静の時間が文章を読み、書くことなのかなと思った。

 今まで、ただやみくもに自分の気に入った本を読み、自分なりに文章の正しい形だと思えるものを書いている時より、バイクに乗るようになってからのほうが、文章の趣味でもいいものを書き、読んだものをより深く楽しめるようになった気がする。

 バイクに乗っている時もよく自分の書く文章に関する思索を巡らせることはあるが、ただ部屋の中で考える時とは違った考えが浮かぶことがある。


 舞は自分の周りにいる人たちのことについて考えた。

 姉の真理は法学部の学生だけど、ゼミに必要の無い法律書や判例集までも旺盛な好奇心で読み込んでいる。あれが真理にとっての静の趣味の時間なんだろう。対称となる動の時間は、家事が果たしている様子。三階建ての家を隅々まで綺麗にし、姉妹と仁樹のために凝った食事を作り、トヨタのトラックに乗って材料を買いに行く。舞の知っている家の中の真理は、いつも忙しく動いている。

 妹のまるは絵を書くのが好きだが、まるにとって絵を書くということは、部屋でひたすらペンを動かすだけでなく、絵の題材になるものを見に行くことも含まれる。

 まるはよく仁樹から貰った軍用の折り畳みマウンテンバイク、モンタギューパラトルーパーに乗って遠くまで行っている。折り畳みの自転車を背負って電車やバスで行き、公共の交通機関で行けない所には自転車を漕いで行く。

 まるの静と動は絵を描くことで充足している。


 そこまで考えたところで、舞は本を閉じて立ち上がった。特に大した用事があったわけではないが、一階ガレージに停めたRC30に盗難防止のロックをするのを忘れていた。

 部屋で本を読んでいた舞の耳に、フェラーリが近づいてくる音が聞こえたのも用の一つかもしれない。

 一階のガレージに下りていくと、ちょうど仁樹がフェラーリをガレージに入庫させるところだった。いつもフェラーリを停めている仁樹のベッドスペースの前ではなく、その隣の整備区画。 

 随分アグレッジブな走り方をしてきたらしきフェラーリからは、タイヤとブレーキの焼ける匂いがする。停車したフェラーリのドアを開けて出てきた仁樹も、うっすらと汗をかいていた。


 仁樹はガレージに入ってきた舞を一瞥もせず、よく整備の時に開けている後部エンジンフードではなく、助手席のドアを開けた。中に体を突っ込んだ仁樹は、ノートPCと助手席内部をケーブルで繋ぎ、そのまま整備スペースのオイル缶に座ってノートPCのキーを打ち始めた。

 多分エンジン制御CPUのデータをいじってるんだろう。舞のRC30も搭載されているRVF400のエンジンも電子制御で、仁樹はよく、今やってるようにRC30とノートPCをケーブルで繋ぎ、舞にはわからない燃料制御という作業をやっている。

 仁樹が普段フェラーリで行っている、あの狂気じみた走りの直後で、黙々とデータに向かう仁樹を見た舞は、半ば呆れながら部屋の生活スペースにあるエスプレッソマシンのスイッチを入れた。


 考え事をしながら部屋から出てきたので、読んでいたじょうずなワニのつかまえ方を持ってきてしまった。また部屋に戻って読むのも面倒なのでここで読むと決めた。ちょうどいい座り場所を探した舞は、偶然目に入った仁樹のベッドに腰掛ける。

 フェラーリのエンジンが冷えていく音が微かに響く静かなガレージで、エスプレッソマシンが作動音を発てる。

 舞は自分が何でこのガレージで、仁樹と静の時間を共有しようと思ったのかと考えた。

 静の時間と動の時間をフェラーリと共に過ごしている仁樹と、絵から同じ物を得ているまるが似ていたのが、少しくやしくなったからだろうかと思った。

 読んでいた本のピンクの表紙が目に入った舞は、変な考え事をふりきるように立ち上がり、エスプレッソマシーンに歩み寄った。

 舞は自分でも気付かないうちに、二人分のコーヒーを淹れていた。


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