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GARAGE~フェラーリに恋した男と三姉妹~  作者: トネ コーケン
79/100

(79)したい事、すべき事

 自動車の整備解説書と工業新聞を参考に、自動車チューニング雑誌に掲載されるメンテナンスのハウツー記事を書き終えた仁樹は、資料をデスクの引き出しに仕舞い、唐突に立ち上がった。

 背後から彼を見ていた舞は、ノートPCの電源を切っている仁樹に尋ねる。

「終わったの?」

 仁樹はガレージの中を歩き、フェラーリの背後という、彼にしか安眠できないであろう場所に置かれたベッドの下に手を突っ込みながら答える。

「終わった。これから走りに行く」

 一時間足らずで小説と記事を書き終えた仁樹。舞が将来的に自分の仕事にしたいと思っている文章執筆は、フェラーリで走るための金銭を得る必要悪。仁樹にとって本当に大切な時間が始まる。


 仁樹はベッドの下から取り出しオイルレザーのデッキシューズを履いている。コールハーンの革デッキシューズはヨットマン用のシューズながらドライヴィングシューズとしても高い評価を得ていて、一九六〇年代のフォーミュラレースでは、安全のため足首を固められたレーシングシューズよりこれを履いて出場した選手が何人も居た。

 部屋着の整備用ツナギにデッキシューズを履いただけで準備を終え、フェラーリに乗り込もうとする仁樹に舞は食ってかかった。

「ちょっと!私に文章の書き方を教えるって約束は?」

 フェラーリのドアを開け、無感情な彼には珍しいギラついた瞳を車内に向けていた仁樹が顔を上げた。目の光は消えている。

「何か聞きたいことはあるか?」


 舞は言葉を詰まらせる。仁樹が文章を書く姿は見せて貰ったが、既成の材料を効率的に加工して工業製品を作るような作業過程は、自分の思う文章書きのスタイルと違いすぎて、聞きたいことがすぐには思い浮かばない。消え入りそうな声で答えた。

「無いわ」

 仁樹は舞の言葉に納得した様子。それがどんな心情で発せられたものかなど、察する気は無いといった感じで、フェラーリの運転席に滑り込み、エンジンを始動させる。

 セルモーターの音からして普通の車と異なるフェラーリが、交響楽のような騒がしい音と共に目覚める。密室のガレージでは余計に音の波と圧力を強く感じた。

 高音と共に始動したフェラーリが低音でアイドリングする中、仁樹は舞を見て、それからガレージの隅に停めてある舞のバイク、ホンダRC30を見て、それからもう一度舞を見た。

「走りに行くか?」


 数日前、舞と仁樹は廃道となったワインディングロードを一緒に走った。あの興奮をもう一度味わうことを思うと、舞の体が熱くなる。それに、舞が知る限り初めての仁樹からの誘い。フェラーリは無口で無感情な仁樹を人間的にする。自分がその対象になっている。

 舞は白いRC30と、その横に吊るしている赤い革ツナギへの動きそうになる体を必死で押し留めながら答えた。

「走らないわ」

 仁樹はフェラーリで走るために文章書きの仕事をしている。自分はその逆だと舞は思った。文章を書くため、それに必要な感性を磨くため、バイクに乗っている。

 仁樹の記事を見て、曲がりなりにも文章のプロの仕事に触れた舞には、バイクに乗るよりやりたい事がある。

「私は文章書きだから、今夜は部屋で何か書くわ」

 仁樹は舞を見て、それから舞より少し長い時間RC30を見てから「そうか」とだけ言ってフェラーリの操縦席に座る。電動シャッターが開き、仁樹はフェラーリのタイヤを軽く鳴らし走り去った。


 自動的に閉まるシャッターを背に舞はガレージを出ようとしたが、足が動かない。

「やっぱり、走りに行こうかな」

 舞は何とか誘惑を振り切り、文章書きの強い意志でガレージのドアに歩き始める。こないだ仁樹と走った時は、狂騒状態の中で衝動的に彼にキスをした、今度一緒に走ったら、もっといけない事をしてしまう事になるかもしれない。

 ガレージを出ようとした舞はいつのまにか後ろ向きに歩いていたらしく、ドアから遠ざかりRC30の前に居た。慌てて自分の頬を自分で叩き、無数の手に引っ張られながら這うようにして何とかガレージを出た。

 ツナギを手にして、袖に通す寸前だった舞は、無意識の気持ちに抗いつつ一階ガレージから階段を登り、何とか二階の自室まで辿り付けた理由がわからなかった。

 ただ、あのまま革ツナギを着てバイクに乗り、仁樹を追って走りに行く自分の事を考えた時、今の自分が着けている下着のことが頭に浮かんだ。

 高校生にもなって少女趣味なフリルのパンツと、上下チグハグのスポーツブラ、色も赤いツナギと合ってないパステルブルー。

 これでは何かあった時に恥ずかしい。


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