(70)スプーン
明らかになった衝撃的な事実とは対照的に、バーベキューの夕食は穏やかな雰囲気のまま終わる。
真理が普段の三姉妹と仁樹の消費量に合わせて用意した肉と野菜はほぼ食べ尽くされた。
まると仁樹、そして三姉妹の母と仁樹の関係を知らされた舞は食欲など沸かなかったが、それを埋め合わせるように、普段は絵を描く作業の合間に慌しく夕食を取ため、昼のお弁当は三姉妹の中で一番大きいが夕食は控えめなまるが、いつもより時間をかけて食べていた。
まるは仁樹に次はこれを食べたいと言っては鉄板で焼かせ、焼きあがった肉や野菜を残さず食べている。最初に会った時から仁樹に懐いていたまるが、姉や妹、そして仁樹に秘密を話したことで、仁樹との距離を縮めた。
以前から何となくそうじゃないかと思っていたという真理は、特に仁樹に嫌悪を示すことなく、いつも通り仁樹の隣で世話を焼いている。
まるの仁樹の間に親子の関係があると知った真理が、仁樹と切れることの無い絆で結ばれているまるに張り合ってるようにも見える。
夕食の時間が終わり、舞は仁樹のほうを見ないようにしながら、ごちそうさまの一言だけを残して席を立った。
今まで仁樹に怒りや苛立ちを覚えた時のように、仁樹を罵ったり食ってかかったりする気にはなれなかった。ただ、仁樹から離れたい。同じ空気を吸いたくない。
真理も舞に干渉することなく、仁樹に食後のお茶を出している。匂いの強い焼肉の後に爽快感を与えるミントティーの香りがした。真理が仁樹のために淹れたお茶の匂いから逃れるように、ガレージを出て階段を昇った。
二階の自室に戻る気になれず、舞は三階のリビングに入った。父が三姉妹のために買った家。多忙だった父がいつか三姉妹と共に暮らすことを夢見た場所。
もうこの場所には父親は居ない。その替わりに入りこんできたのは仁樹という男。無視しよう、いずれ追い出そうと思ってた舞の気持ちを踏みにじるように、仁樹は舞の妹、そして記憶の中に居る舞の母親にまで侵食して来た。
暗いリビングで舞はソファに座り、窓の外を見ていた。いくら思考から追い出そうとしても頭に浮かぶのは、仁樹が自分の母親を穢す様、そして、まだ赤子のまるを、仁樹が父親として抱く姿。
記憶の中の家族、現在の家族。舞にとって大事なものがあの男に奪われる。それに対して何もできない。
目じりがジワっと熱くなったところで、誰かが階段を昇ってきた。一緒に暮らしていれば足音でわかる。舞はこぼれてきた涙を拭いて後を振り返り、開けられたリビングのドアを睨みつけた。
「何しに来たの」
舞の表情が変わる。足音から仁樹だと思っていたのは、妹のまるだった。
今まで舞は真理とまるの階段を昇ってくる音を聞き分けることが出来た。家族なら当たり前の事。それに、家族でも何でもない。ついさっき家族の敵だと知らされた仁樹の足音もわかるようになっていた。
舞は気付いた。普段はスキップするように身軽に階段を昇ってくるまるは、疲れてるときや満腹の時、階段をゆっくり昇る時の足音は仁樹とそっくりになる。
仁樹と親子であることを示しながら階段を昇ってきたまるは、仁樹と勘違いした舞の鋭い目つきに少し驚いた様子だったが、すぐに意識は冷蔵庫の中へと切り替えた。
それから舞が仁樹に向けるつもりだった問いに答える。
「お兄ちゃんのガレージの冷凍庫にはアイスクリームが無いから、取りに来た」
冷凍庫を探り、二つのアイスクリームを取り出したまる。一つはまるの分で、もう一つが誰のものかは明らか。真理は夕食後に甘い物を食べない。
まるの好きなストロベリーのアイスと、カプチーノのアイスを手にしたまま食器棚の引き出しを開けているまるに、舞は言った。
「あんた平気なの?」
まるはアイスクリーム用のスプーンを探す作業をしながら答えた。
「何が?」
舞は食器棚に背を向けたソファに逆向きに座り、まるに正面から向き合う姿勢になって言った。
「あんたの父親があの男だってことよ、お父さんと血が繋がってないなんて、それに、あいつはわたし達のお母さんと」
食器棚から純銀のスプーンと、ステンレスのスプーンを取り出したまるは、どっちがいいか見比べながら答える。
「まるのお父さんは死んだお父さんだけだよ、お兄ちゃんは親だけどお兄ちゃん、まるが生まれてから今までほっといたんだもん」
まるはまだスプーンを見ている。ステンレスのスプーンは幾つもあるけど、純銀のスプーンは一つしか無い様子。
「お父さんから本当のお父さんが居るって聞いて、会ったらぶっとばそうとか、他人だって言おうと思ってたけど、顔見たらどうでもよくなっちゃった」
まるは迷った結果、一つしか無い銀のスプーンを持っていくことにしたらしい。まると仁樹、二人で一つのスプーン。
まるは自分の目のあたりにスプーンをかざした。仁樹によく似ているまるの目元は、くすんだ銀のスプーンには映らなかった。




