(67)まると仁樹
初夏の遅い陽がまだ沈まぬ頃、舞は自宅一階のガレージ前にバイクを停めた。
免許を取って数日。ホンダRC30にチューンしたRVF400のエンジンを載せ、中型二輪登録した特製のバイクにも慣れてきた。
最初は家の周りをゆっくり走り回るだけだったが、毎日学校から帰ってすぐ走りに行くことを日課にしたおかげで、行動範囲は少しずつ広くなっていっている。
これならあと数日でバイク通学も出来るだろうと思った舞はシャッターに手をかける。リモコンで開く電動シャッターだけど、鍵がかかってなければ手で開けられる。
鍵がかかっていない。つまりガレージの中には彼が居る。
ガレージの中までバイクを押して入った舞は、左右を見回す。仁樹は大型車四台分の広さがあるガレージの出入り口シャッターから見て左端の整備スペースで、フェラーリをいじっていた。
リフトで持ち上げられたフェラーリの下で整備をしている仁樹の横を通り過ぎ、舞はこのバイクの定位置となっている整備スペースの端にRC30を停めた。
仁樹は舞がガレージに入ってきてからずっと、こちらを見ることもせずフェラーリの整備に集中している。シャッターが開いて入ってきたのが誰かを確かめることすらしない。RC30のエンジン音を聞けば確かめるまでもないんだろうと思った。
バイクを置いた舞は何も言わず立ち去ろうとしつつ、横目で仁樹の反応を窺う。やはりこのガレージには誰も居ないかのように。黙々と作業をしている。
舞だって別に話すことがあるわけじゃない。今日はRC30で家から数kmあるテレビ局のドラマスタジオまで行ったとか、途中で坂道発進する時、うっかり回転を上げ過ぎてタイヤが空転し転びそうになったとか、もうバイクに乗れない仁樹に話してもしょうがない。
何度か仁樹の横顔を見ながら、ガレージと二階を繋ぐ階段に通じるドアまで歩いたり止まったりを繰り返していた舞は、ドアノブに手をかけながらもう一度仁樹を見た。
仁樹の剃りあげた頭が動く。整備の手を止め、近くに置いてあった雑巾で手を拭く。作業を中断させた仁樹はフェラーリの下から出た。舞はドア前で溜め息をつく。話しかたいなら話しかけてくれれば、相手くらいしてやるのに。
仁樹は電動リフトのスイッチを操作し、持ち上げていたフェラーリを下ろした。それから閉じられたシャッターを見る。その頃になってやっと舞の耳に何かの音が聞こえた。
鈴の鳴るような音。軋む音、それからシャッターに手をかけ、開ける音。
「ただいまお兄ちゃん」
自転車に乗って帰ってきたのは、三姉妹の末っ子まる。
自転車に跨ったままシャッターを閉じ、ガレージの中に折り畳みマウンテンバイクのパラトルーパーを乗り入れるまるに仁樹は言った。
「何か危ないことは無かったか?」
仁樹が買い与えたヘルメットにグローブ、体育ジャージ姿のまるは、パラトルーパーを折り畳みながら返答する。
「全然!お兄ちゃんに換えてもらったブレーキがすっごくよく利くから」
バイクをガレージに置く舞と違って、自転車を部屋に持ち込んでいるまるが一度折り畳んだパラトルーパーに仁樹は手を伸ばした。
「見せてみろ」
仁樹は畳まれた自転車をわざわざ広げ、前輪を回してブレーキの利きを確認している。それからタイヤに指を触れた。
「端まで使ってるな。新しく取り替えたばかりのタイヤだから無理な走りをしてはいけない」
まるは誤魔化すように笑いながら言う。
「ごめ~ん!この自転車で山の中走るとすっごく気持ちいいから」
仁樹はまるの顔に手を触れる。死んだ父母のどちらにも似ていない目元。舞が覚えてる限り仁樹が舞の体に触れたことは無い。
「アイウェアを忘れてるな。走る時にはヘルメットとグローブ、目を守るアイウェアを着けなくてはいけない」
まるはジャージのポケットからスポーツグラスを取り出す。舞はこれも仁樹がいつの間にかまるに買ってあげたものなのかと思った。
「だってこれ可愛くないんだもん」
仁樹はアスリート向けのスポーツグラスとまるの顔を交互に見て言う。
「じゃあ、可愛いものを買ってやる」
まるは仁樹の腕にしがみついた。
「本当に?じゃあ次の日曜に買いに行こう!」
仁樹はガレージ隅にあるホワイトボードに目を走らせて言った。
「次の日曜は予定がある。欲しいモデルの商品名を言えば買ってくきてやる」
まるは仁樹の腕を強く引く。舞は一つ気付いた。そういえばまるは死んだ父にこんなおねだりをしたことは無かった。
「一緒に買いに行かないと見つけられないよー」
まるが仁樹の腕にぶら下がる。まると話してる間も無表情な仁樹はもう一度ホワイトボードを見て言った。
「日曜の予定を変更しよう」
舞は二人のやりとりに何だか耐えられなくなって口を挟む。仁樹にはこのバイクを手に入れる時に世話になったけど。舞がバイクに乗り始め、危険な公道に出るようになってからこんなに面倒を見てもらったことは無かった。
「あんたまるには優しいじゃない」
仁樹の腕に掴まり、匂いを確かめるように頬を当てていたまるが、仁樹の替わりに返事した。
「そりゃそうだよ。だってまるのお兄ちゃんはまるのお父さんだもん」
舞にはまるが言っている言葉の意味がわからなかった。




