(65)バイクの世界
舞は学校を終えた後、自動二輪の教習所に通うようになった。
かつて乗っていたRC30を舞に譲渡し、教習所通いのための自転車まで用意した仁樹は、舞の中型二輪教習に関しては助言しなかった。
舞もバイクの乗り方を仁樹には聞かない。仁樹と同じくらいの年齢で仁樹のバイクに乗り始める舞は、乗り方まで仁樹と一緒になるのがイヤだった。
数枚の画像でしか知らないバイクに乗っていた頃の仁樹への嫌悪感ではなく、何となく仁樹は舞が自分を模倣したようなバイク乗りになることを望んでない気がした。
どっちにせよ仁樹はフェラーリに乗り始めてからフェラーリ以外の乗り物の扱い方を自らの意志で忘れ去り、今はバイクどころか自転車にさえ乗れない。
仁樹がどこかから貰ってきた折り畳みのマウンテンバイク、モンタギュー・パラトルーパーは極めて快調で、21段変速ながら今までスポーツタイプの自転車に乗ったことの無い舞でも無理なく乗れた。
長身で馬鹿力の舞が乱暴に扱っても、米軍現用自転車の太いフレームは折り畳み自転車特有の強度不足を感じることが無い。
舞は最初のうちは、自宅周辺にある他の建売住宅の玄関前に置かれたママチャリのように、パラトルーパーを二階の玄関から外階段を降りた先にある門扉の中に無造作に置いてたが、後にネットでパラトルーパーが意外と人気のある自転車で盗難リスクも高いと知り、折り畳んで部屋に持ち込むようになった。
アルミフレームのマウンテンバイクとはいえ結構重いパラトルーパーを担いで階段を昇るより、仁樹の居る一階のガレージにでも置いとこうかとも思ったが、書棚と蔵書以外にあまり物の無い舞の部屋に、グリーンの軍用マウンテンバイクを置いた時、舞はこの自転車の定位置を自分の部屋と決めた。
自動二輪の教習は順調で、京都桂川の河川敷でツナギ仕立て屋のお婆ちゃんに、レーシングスペックのRC30の乗り方を教わってた舞にとってはアクビが出るようなものだった。
女子ライダーにとって難関だという倒れた車両の引き起こしも、他の教習生が両腕に加え足と腰を車体の下にねじこんで持ち上げていたが、舞は両手でバイクを起こそうとした時にポケットから小銭を落とし、片手で小銭を拾いながら片手でバイクを起こした。
一本橋では規定の二倍の時間を使って渡る曲芸を披露して教官に渋々ハンコを貰い、教習で最も重要と言われる加速と減速のメリハリも、教習車に使われていたホンダCB400の吹け上がりとブレーキの感触が気持ちよかったので、スピードや急ブレーキへの恐怖を感じることもなく走らせた。
舞はもしかして京都桂川でバイクに乗った時に得た技術だけでなく、仁樹のフェラーリの助手席に乗った経験も役立ってるのかもしれないと思った。
教習バイクのスピードとパワーを恐れながら走るのと、もっとスピードを出したい、もっとパワーの出る高回転までエンジンを回したいと思いながら走るのでは走らせ方が違う。
教習所の他の生徒が、教習所内の制限速度に合わせた姿勢で乗っているのを見て、舞は低速だからあんな格好で何とかなってるけど、あと少しスピードを出したら危ないな、と思った。舞は教習中も、その二倍の速度で走ってて不意に転倒した時のことを考えながら走ってる。
舞の格好は地味なジャージ上下の膝と肘にスケボー用のプロテクターという姿。これでヘルメットと教科書の入ったディバッグを背負って自転車で通っている。毎朝ジョギングをしている舞がうっすら汗をかく5kmほどの自転車漕ぎも、いい準備運動になっている。
実技に比べて難物だったのは、暗記や引っ掛けの多い学科だったが、高校の中間試験が終わって間もないこともあって、家でじっくりと予習復習出来た。
学科についても仁樹に聞くことは無かった。法に則った走り方なんて聞いても無駄な相手ということはわかってる。
教習所に休み無く通った舞は、10日弱で自動二輪免許を取得した。そのタイミングに合わせたように京都から大きな荷物が送られてくる。
ユニッククレーン付きの車でやってきた配送業者によって仁樹のガレージに運び込まれたのは、大型の食器棚ほどもある木箱。中身は舞のものになった純白のバイク。RC30。
既にナンバーのついたRC30と一緒に、登録に必要な各種の書類と、お婆ちゃんが仕立てた革ツナギとヘルメット、グローブ、ブーツが入ってた。色は舞が希望した赤。小豆色がかった赤の下地に、深みのあるルビーの赤で、風に舞う花びらのような模様のツナギ。同色のブーツとグローブ。
ヘルメットは白無地のショウエイ製フルフェイス。舞は教習用にオープンフェイスのヘルメットを買っていたが、そんなヘルメットで乗るバイクじゃない。
姉の真理や妹のまるが見物に降りてきたガレージで、部屋主の仁樹を追い出してジャージを脱ぎ、革ツナギとヘルメットを身につける。バイクの前傾姿勢に対応してるため直立してると腰と膝が少し余るが、まるで皮膚がもう一層増えたみたいに体にピッタリなサイズ。
「舞姉ぇカッコいい!」
まるはそう言いながらツナギを撫で回し、上等な革の感触を味わっている。
「お父さまがバイクに乗っていた時の姿を思い出すわ」
真理は舞の姿を上から下まで見つめている。
舞はガレージから二階への階段に出るスチール扉を叩いた。
「もういいわよ」
仁樹が入ってくる。舞の姿を眺めるなり、いきなりツナギのジッパーを手にかけ、下ろした。
「ちょ!何すんのよ!真理姉もまるも見てんのよ!」
仁樹は舞の抗議を無視して、ツナギの内側をめくる、片手には黒いマジックを持っていた。
「ここに血液型を書いておくといい。事故の時に役に立つ、血液型を教えてくれ」
仁樹がツナギ姿の自分に変な感情を抱いたのかと勘違いした舞は、着ているツナギみたいに赤くなった。仁樹がマジックのペン先を舞の胸に当てながら言う。
「O型よ!RHはプラス!」
仁樹はその通りの血液型をツナギの内側に書きながら言った。
「俺はAプラスだ、事故の時に輸血できないな」
まるが両手を上げながら言った。
「まるはA型だよ!まるが怪我しちゃったらお兄ちゃんの血をもらう!」
真理が張り合うように言う。
「わたしもA型です。仁樹さんにもしもの事があったらわたしの血をいくらでもお使いください」
少し頬を膨らませた舞はRC30に跨る。このバイクは血液型どころか流れているものすら違うけど、それよりも強く濃いもので自分とと繋がっている。
舞はキーを回しセルボタンを押した。まだ登録や保険の加入は終わってないので公道は走れないけど、それまで我慢できない。このバイクの声を聞きたかった。
ホンダV4エンジンが舞の腿の間で始動した。舞はこの瞬間、バイク乗りになった。




