(63)クランカーズ
舞がフェラーリと、それに乗る仁樹をよく見たところ、自転車は部品の状態で助手席に積まれていた。
ガレージ内の定位置に停めたフェラーリの運転席から出た仁樹は、右側に回って助手席ドアを開け、一塊になった自転車部品を引っ張り出す。
仁樹はガレージで帰りを待っていた舞に何も言わない、舞もお帰りの一言も無く、仁樹の持ってきた自転車らしきものを見つめる。
ガレージ内のアルミチェアに座り、テーブルに肘をつく舞の前で、仁樹は自転車部品をいじくった。
フレームやタイヤ、ハンドルをひとまとめに重ねた部品が、あっという間に一台の自転車になった。
前後にオフロードタイプのタイヤが装着されたマウンテンバイク。仁樹が持ってきたのは、折りたたみ自転車と言われる物だった。
舞はマウンテンバイクに指先を触れる。ママチャリで行くには若干遠い自動車教習所への通学のため、スポーツタイプの変速式自転車を持ってきてくれたのは、仁樹にしては珍しい気遣いだと思ったが、正直なところこれに乗って教習所まで通うのは気が進まなかった。
折りたたみ自転車は確かに便利で、真理のトラックや仁樹のフェラーリで運べるし、持って電車に乗ることさえ出来るだろう。でも、自分の馬鹿力を自覚している舞は、折りたたみ自転車の強度が心配だった。中学の同級生が通販で買った折りたたみのクロスバイクは、漕いでる途中でフレームの折りたたみ部が折れ、転倒して怪我をさせられたという。
仁樹が持ってきた折り畳みのマウンテンバイクをよく見た舞は。広告とかで見かける安価な折り畳み自転車とは構造が異なることに気付いた。
通常はフレームの中途にある折り畳み部分がシートポストに設けられ、メインフレームは太く丈夫そう。
色は艶消しのグリーンで、車名らしきロゴが入っていた。舞がそれを読みとろうとした時。仁樹が口を開く。
「モンタギュー・パラトルーパー」
折り畳み自転車と言う先入観のせいで、第一印象の悪かったマウンテンバイクは、意外と強度に優れていそうな外見をしていた。仁樹が補足するように説明する。
「アメリカ国防総省の要請でパラシュート部隊のために開発された自転車だ。現在では陸海空軍、海兵隊の各部隊で、歩兵と車両兵の速度差を埋めるものとして使われている」
舞の中の子供の部分が刺激された。正直なところ舞が自転車通学に消極的だったのは、自転車が持つ軟弱で平和的なイメージが気に入らなかったから。かといってロードレーサータイプの自転車を乗りこなせるとも思えない、でも、この軍用マウンテンバイクなら。
舞がパラトルーパーに手を伸ばそうとすると、仁樹が意地悪をするように引き離した。
ハンドルを両手で持った仁樹は言う。
「点検のために走行させなくてはいけない」
そう言ってパラトルーパーのサドルを調整し、跨ろうとする仁樹。いつも通りの無表情だけど、舞には仁樹の目が一瞬、少年のような輝きを宿したように見えた。
、パラトルーパーに跨り、漕ぎ出した仁樹は、ガレージの外に出て数メートルも進まないうちにフラフラと左右に揺れ、そのまま自転車ごと転んでしまった。
舞は吹き出しながら思い出した。仁樹はフェラーリ以外のものに乗れない。真理の乗っているオートマのトヨタトラックも、かつての愛車だったRC30に乗る能力さえ、フェラーリに乗るため切り捨てた。
舞は転倒した仁樹を助け起こすか、もう少し彼を笑ってやるか少し考えた。
「あはははは!あんた自転車も乗れないの?」
自分で起きようとしたところを舞に力任せに引き起こされ、逆にバランスを崩した様子の仁樹がもう一度躓く。引っ張られるように舞も転んだ。
偶然重なり合う体。目の前に仁樹の顔。動揺しつつ目を離せない舞が見つめる仁樹の瞳は、倒れたマウンテンバイクに向けられていた。なんだか悔しそうに見える。
「昔は乗っていた」
結局二度に渡って転んだ仁樹は自分で起き上がり、倒れたパラトルーパーを引き起こす。それからついでといった感じで舞に手を差し伸べたので、舞はその手を払いのけようとしたが、仁樹が珍しく自分から喋り始めるのを見て、素直に手を取る。
「小学校の時によく、マウンテンバイクで高尾山を降りていた」
都下有数の高峰で観光地としても有名な高尾山は、舞の記憶では関係者を除き徒歩以外での入山を禁じられている。つまりフェラーリで無法な走行をしている現在とさほど変わらない少年時代だったらしい。
舞はもう一つ思い出した。つい最近、偶然雑誌で読んだ記事。1970年代のアメリカ西海岸にはクランカーズと言われた一団が居た。
ビーチクルーザーにオフロードバイクのタイヤを付けた、後にマウンテンバイクと呼ばれることになる自転車で、山岳や渓谷を超高速で走り降りることにスリルを覚える自転車狂。
フィッシャーやスコット、スペシャライズド等、現在のスポーツサイクルメーカー創業者のうちの何人かはクランカーズ出身。
舞は仁樹を見た。仁樹はたった今もう乗れないことを知った自転車を未練たらしくいじくっている。舞はパラトルーパーを仁樹から奪い取るように引き寄せ、サドルに跨った。
ガレージ前の道路でパラトルーパーを漕ぎ出す。最初の一漕ぎで舞が今まで知るママチャリとは別物だということを知る、漕いだ分だけ前に進む。脚力がそのまま増幅されて地面を蹴る。
走らせてみた限り折り畳み自転車にありがちな強度不足は感じない。そのまま仁樹にみせびらかすように彼の回りを走る。
仁樹がもう乗れないというなら、目の前で乗って羨ましがらせてやろう。そうすれば、仁樹にとって自分は眩しい存在になるのかな、と思った。
そこで舞は、自分が学校から帰ったままの制服姿だという事に気付く。スカートが仁樹に見せ付けるようにめくれ上がる。
短い悲鳴を上げながらパラトルーパーから飛び降りた舞は、顔を赤らめて仁樹を睨みながら、次に乗る時はジャージでも着たほうがいいと思った。
とりあえず、明日これで教習所に行く時はそうしようと決めた。




