(60)茶菓子
お茶の盆を持ったまま狼狽する舞を余所に、仁樹はノートPCの横に置いていたタブレットを手に立ち上がった。
舞は今さらながら誰も居ない家のガレージで仁樹と二人きりであることを意識する。京都旅行に行った時は一つの茶室で寝泊りしたが、非日常な数日間を過ごした反動なのか、家に帰ってからは仁樹と距離を取るようになっていた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!人がせっかくお茶淹れてあげたんだから!冷めないうちに飲むのが先よ!」
お茶の盆を冷蔵庫ほどもあるチェストタイプの工具箱に置いた舞は、部屋の隅に立てかけてあった折りたたみテーブルを持ち上げた。
仁樹がこのガレージに人を呼ぶ時に出す、キャンプ用としては重く頑丈なテーブルを馬鹿力を発揮して広げ、アルミパイプのディレクターズチェアを二つ手に取る。
二客の椅子を向かい合わせに置けばいいのか少し考えた舞は、差し向かいで鍋をつついた京都の夜を思い出して顔を赤らめ、手に持った椅子を適当にテーブルの前に並べた。
クロスを敷かずとも無塗装のアルミが上等な銘木のような質感を見せるテーブルにお茶を置いた舞は、特に手伝うこともなく見ていた仁樹に顎をしゃくって座るよう促した。
仁樹が隣に腰掛けた時、舞は特に意識せず無造作に置いた椅子が、二人の腕が触れ合うほど近い横並びだということに気付く。
椅子をずらして自分から距離を取るのも癪なので、舞はそのままの座り位置に落ち着き、すぐ隣の仁樹に自分が淹れたお茶を指差した。
「飲みなさいよ」
仁樹は舞を見て、それからお茶を見てから一度座った席から立ち上がった。
舞の心に不安がよぎる。目の前で芳香を発てるお茶は、姉の真理ほど美味く淹れられたわけじゃないけど、間違った手順で淹れてない。もしかして座り位置で、彼の領域に無遠慮に踏み入るようなことをしてしまったのか。
椅子をずらすべきか、このまま意地を張るべきかもじもじしている舞を意に介さぬ様子で、仁樹はガレージの中の、キッチンセット等がある生活スペースの戸棚から紙箱を取り出す。
仁樹はテーブルに紙箱を置き、箱の封を切ってから椅子に座る。イタリア語の書かれた箱の中身はクッキー。
舞は自分が仕事中の仁樹のところにお茶を持って行き、テーブルセッティングまでする、ちょっとした世話女房の真似事までしながら、茶菓子を持って来てなかったことに気付いた。
仁樹のご機嫌取りをして油断させる積もりが、逆にガレージに招かれてもてなされてる気分。何とも言えない敗北感を味わった舞は、次は彼が文句をつけようもないくらいの茶菓子を持っていってやろうと思った。
舞の頭を一瞬よぎったのは、もしも、こんなことを毎日繰り返すことになったら。我ながら馬鹿げたことだと思った舞は、仁樹の出したクッキーを勝手に掴み、口に放り込む。イタリアの輸入菓子はどれも甘すぎると思ったが、今日のクッキーは甘さ控えめだった。
クッキーを頬張りながら、舞は横目で仁樹を見る。仁樹は舞が淹れたお茶を口に運び、音を発てることなく飲んでいる。ここまで運んでくる間に、猫舌の仁樹にも無理なく飲める温度になっている。お茶を一口飲んだ仁樹は無表情だけど、車かバイクが最適なガソリンやオイルを補給したような、安定した反応。
舞はもう一つクッキーを手に取った。味付けにバラつきがあるらしく、クッキーは甘かった。




