(57)帰路
お婆ちゃん手作りのニシン蕎麦のあっさりとした昼食の後、舞と仁樹はフェラーリに乗って京都の街を出た。
ちょうど修学旅行で京都に居る舞の同級生たちが新幹線に乗る頃。舞に何も聞かず一方的に出発時間を決めた仁樹が、それを意識したとは思えなかったが、舞も午後の時間を京都観光で潰すより、高速道路をブっ飛ばすフェラーリの中に居たい気分だった。
往路と同じように危険なまでの速度で名神高速を走るフェラーリ。一昨日この道を走った時との違いは舞の気持ち。
気の進まぬ修学旅行への合流を目的に京都まで急いだ時よりも、今は満たされた気持ちでドライブを楽しんでいる。
変わったことはもう一つ。今まで仁樹のフェラーリに乗っていた時は、ただ形の無い奔流となって周囲を流れる風景と、あっという間に後方に消える他車をただ、恐怖とほんの少しの陶酔と共に見ていただけだったが、今の舞は無意識に自分があのRC30で走るなら、どうやって前の車を追い抜くかを考えながら前方を見るようになった。
仁樹の走る中央車線の前方を、走り屋気取りのランエボが塞いでいた。仁樹は素早く周囲に視線を走らせ、左車線にフェラーリを滑り込ませた。そのまま前方のランエボが迫り来るフェラーリに気付く前に左から抜き去る。
フェラーリが追い越しのため左に車線変更する中。舞は体を拘束するバケットシートの中で、自然と体を右に傾けていた。フェラーリが中央車線に戻った後、舞は口を開く。
「今のは右から抜いたほうが速かったわね」
フェラーリで高速を走る間、お喋りらしきことをしなかった舞と仁樹。沈黙を破った舞に仁樹は、フェラーリの操作をしながらまるで家のリビングに居るかのように返答する。
「他車を追い抜く時は常に左右にエスケープゾーンを確保できる走路を選ぶほうがいい」
さっきのランエボは中央車線の中でも右寄りを走っていた。舞は自分が右側の車線に行ってたら、中央分離帯とランエボに挟まれた状態で追い抜くことになる。もしもそこでランエボが不意に走路を変えたらどうなるか。仁樹が選んだ左車線なら、車線の中でも左寄りを走っていれば右側のランエボとは車一台分以上の間隙を保てるし、左には路側帯がある。
舞は仁樹の横顔を見た。いつもと変わらぬ、何の感情も浮かんでいない顔。ただフェラーリとだけ対話し、横に居る舞の快適性や、生命にすら配慮していないような表情。
この男との関係も、二泊三日の京都旅行で変わったのかな?と舞は思った。きっと何も変わって無いだろう。相変わらず舞にとって親愛を抱くには程遠い相手で、一緒に居たいとは思わない。
それからも舞は、時々仁樹に高速道路の走り方を聞き、仁樹は答えてくれた。元より会話することの無かった仁樹との間に、話題らしき物が出来たのは進歩なのか、それともこっちが関係を望んでいない相手との不要な接近なのか。舞は考えようとしてやめた。今はこのスピードに浸っているほうが心地いい。
名神から東名に入り、途中で給油とトイレだけの休憩をした仁樹と舞の乗るフェラーリは富士川にさしかかった。東名高速が線路と並行している場所で、真横に新幹線が現れる。
舞は無駄に高い視力で新幹線を見た。こだま号、途中の車両が貸切になっている。乗客は学生。予定表の入った携帯を取り出して確認するまでも無い。舞の同級生が乗る列車。
仁樹が珍しく自分から口を開いた。
「修学旅行はおそらく病欠ということになっている。顔を見られないほうがいい」
舞は仁樹を見ることもなく答えた
「わかったわ」
舞はサイドウインドに顔を寄せ、新幹線に向かって微笑み、手を振った。
携帯がメールの着信音を鳴らす。修学旅行を休んだと思ったら真横を新幹線並みの速度で走るフェラーリに乗っていた舞を見て、同級生はどう思うだろうか。
普通にクラスの中で友達を作り、普通に修学旅行に行く同級生と同じになれなかった舞。落ちこぼれてしまったように見えるんだろうか。
線路と並行する区間が終わり、別方向に走り去る新幹線をしばらく見ていた舞は。振り返って仁樹の横顔を見た。何があっても変わらない、フェラーリに恋した男の顔。
舞は前方を指差した。ここから静岡県内の直線区間を少し走った後、箱根のワインディングロードが始まる。
「ここから先なら、わたしのRC30のほうが速いわね」
仁樹は前方ではなく、舞の顔を一瞬見てから答えた。
「そうかもしれないな」
一時間少々の後、舞と仁樹は東京都下の家に戻った。
二人を待っていたのは、真理の嫉妬混じりのお説教だった。




