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GARAGE~フェラーリに恋した男と三姉妹~  作者: トネ コーケン
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(37)シャンプー

 修学旅行に行くため、集合場所の新横浜駅に急ぐ舞を乗せたフェラーリは、東京都下の自宅から都道を走り、すぐ近くにある都県境を越えて神奈川に入った。

 都道から神奈川の産業道路に変わった道は、都下の朝としては普通くらいの混雑具合。普通車よりバス、タクシー、トラック等の働く車の多い産業道路を、仁樹のフェラー288GTOは流れに乗って走っている。

 舞はわざとらしく左手首のセイコー・ダイバーズウォッチを見た。真理のトヨタトラックでは間に合わないと思って仁樹にフェラーリで送らせることにしたが、何度かタクシーで自宅と新横浜駅を往復した記憶に従うなら、集合と点呼の時間には遅れそうだけど、新幹線が出る時間には余裕を持って到着しそうな感じ。


 以前仁樹が舞をフェラーリで学校まで送り届けた時は、人里離れた山中に達した途端、空を飛びそうな勢いでフェラーリを飛ばしたが、ベッドタウンの住宅地と工業地帯の中を通る産業道路でのフェラーリは、従順な走りに徹している。

 運転してい仁樹がお喋りの一つもせず、フェラーリにも音楽を聞くようなオプションが付いていないことを除けば、快適とすらいえる新横浜駅までのドライブ。


 遅刻しそうという舞のトラブルは解決しそうな見通し、順調で無難。舞は苛立ちを覚え始めた。それはひとかけらほどの愛想すら無い運転者への嫌悪かと思ったが、少し違う。

 その感情の正体が、退屈であるということに気付いた舞の横で、仁樹はフェラーリのシフトレバーを動かし、アクセルを吹かしながらステアリングを切った。

 フェラーリはタイヤを軽く鳴らしながら、幹線道路から道を曲がる。仁樹がフェラーリを向けたのは、周囲の工場やロードサイド店舗が途切れた先にある、水田の広がる空間。


 神奈川中西部にまだ多く残る田んぼの中を、真っ赤なフェラーリは走る。舗装されたあぜ道の荒い路面で、フェラーリは跳ねながらスピードを上げていく。

「ちょっ!何してんのよ!どこに行く積もり?」

 仁樹は何も言わずフェラーリを操縦する。舞の視野に田んぼと畑、そして神奈川名物の梨を育てている果樹園の中を突っ切る広い直線道路が映った。

 広く見通しもよく、通行する車も少ないらしく舗装がまた真新しい農道を見た時、もう舞にはこの男がどうするかわかった。

 仁樹の顔に薄い笑みが浮かんだ。一瞬、陸上競技の選手が筋肉を収縮させるように車体を沈めたフェラーリは、間近でサイレンを聞くような激しい排気音と共に急加速した。


 舞の頭がシートのヘッドレストに叩きつけられる、手足はおろか表情すら動かせないほどの加速G。このまま空を飛ばないのが不思議なくらいの速度でフェラーリが駆ける。

 舞は最初、この男は自分を新横浜まで送るという用事を忘れたんじゃないかと思ったが、フロントグラス越しに新横浜プリンスホテルのビルが見えてくるのに気付いた。

 新横浜駅のランドマークとなっている円柱状のビルは、バスやタクシーで駅に行った時には近づいているようないないような感覚だったが、フェラーリの速度では足が生えてこっちに駆けてきているように見える。

 舞がこのフェラーリで過ごす、耳が痛くなるほど喧しく危険な、そして刺激的な時間の終わりが、問答無用のスピードで近づいてくる。

 

 仁樹のフェラーリは田んぼのあぜ道を舗装した農道や川沿いの道を走り、新横浜の市街地へと向かっている。

 新幹線と横浜線の新横浜駅が開業した時は、田んぼの真ん中に駅があると言われていたが、それから数十年が経ち、今は駅とその周辺の商業地帯が、相変わらず田んぼの中にある。

 仁樹はその新横浜までの道を、農道と河川道路を使って田んぼと畑の中を突っ切るように走ってきた。

 舞の目に農道の終わりと、新横浜の駅前を通る環状二号線の太い道路が見えてきた。仁樹は田園地帯から市街地に入るべくフェラーリおのスピードを落としている。

 舞はもう一度時計を見た。新幹線の出発時間に間に合わせるべくフェラーリに乗ってきたが、これなら新幹線どころかそれ以前に行われる生徒の集合点呼にすら余裕で間に合いそうだ。

 農道から市街地に入る信号は都合よく青。もうすぐ新横浜駅が見えてきそうなタイミングで、舞は口を開いた。

「停めて」


 仁樹は舞など存在しないかのようにフェラーリを走らせている。舞は少しヒステリックな声でもう一度言った。

「フェラーリを停めてって言ってんのよ!」

 仁樹が舞の言葉を聞き入れたのかはわからない。ただ目の前の信号が赤になった。仁樹がブレーキを踏み、ガレージから発進した時には軋み音をたてるだけだったカーボンブレーキが、激しい走行で充分暖まったらしくガツンと効く。

 急停止でシートベルトが両肩に食い込み、少し呼吸の苦しくなった舞を、仁樹は無表情なまま見た。フェラーリを操縦している時に浮かべていた薄い笑みは消えている。

 この男がフェラーリではなく人間と話す精神状態になったと判断した舞は、膝下の旅行バッグを掌で叩きながら言った。

「駅に行く前にドラッグストアに寄りなさい!シャンプーを忘れたの」

 仁樹は何も言わず前方を見た、信号が赤から青になる、フェラーリは駅とは逆の方向へと走り出した。


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