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GARAGE~フェラーリに恋した男と三姉妹~  作者: トネ コーケン
30/100

(30)あなたに微笑む

 女優は仁樹の着席するテーブルまで歩いてきた。

 毅然とした足取りながら、相手の顔色を窺うような表情。

 過去に親しかった男と会うというより、動物保護官がかつて面倒をみた猛獣を見るような目。

「仁樹くん?仁樹くんよね?わたしよ、わかる?」

 仁樹は手に持っていたサンドイッチを置き、椅子から立ち上がろうとした。

 女優は猛獣が唸り声を上げた時のようにほんの少し後ずさりながら言う。

「いいよ!そのままで」


 座りなおした仁樹は、椅子ごと動かして女優と正面から向き合いながら言う。

「忘れるわけがない」

 女優は両手で顔を覆う、数年を野生で過ごした猛獣が自分を覚えていたことを知った顔。潤んだ目から涙が落ちる。

 椅子に座る仁樹の前に経っていた女優は、そのまま膝から崩れ、仁樹に向かって倒れこみそうになる。

 意志の力で足を踏ん張った女優は、ドラマ主役を幾つもこなす役者にしか出せない佇まいを見せる。

 それでも堪えきれない様子で仁樹に近づき、腰をかがめて仁樹の両手を取る。

「元気だった?今でもあのフェラーリに乗ってるの?雑誌の仕事は続いてる?まだあのガレージに住んでるの?」


 仁樹の手を掌で覆いながら、矢継ぎ早にまくしたてる女優。仁樹は舞やまると話している時と同じように、表情を変えぬまま短い返事をした

「俺は何も変わらない」

 三姉妹への応対と異なるのは、仁樹が一度話した女優の手をしっかりと握っていること。

「そうか、そうだよね、仁樹くんが変わるわけないもんね、ちゃんとご飯食べてる?」

 仁樹は女優の目を見つめながら言う。

「変わったこともあるのかもしれない。フェラーリに乗るため体調を整えるようになった」

 女優は雰囲気に圧され二人のやりとりを黙ってみている三姉妹をチラっと見てから、仁樹に顔を近づけて言った。

「わたしが教えたパスタの作り方、ちゃんと覚えてるんでしょうね」

 仁樹は女優から視線を外すことなく答える。

「あのパスタをいつも食べている」 


 女優は目を細めて笑い、何度も頷いていたが、仁樹の手を話して数歩下がった。 

「不躾にお邪魔してすみません、安藤さんの娘さんですよね?生前のお父様には私の作品が大変お世話になりました」

 輸入商をしていた三姉妹の父は、映画やドラマで必要になる外国車や高級家具を仕入れ、貸し出すことを業務の一つとしていた。

「それに、今は仁樹くんと仲良くしていただいているようで」

 丁寧ながら自分と目の前の三姉妹とは、仁樹との係わりの深さが違うことをアピールする態度。

 真理が椅子から立ち上がり、女優に深々と頭を下げた。

「はじめまして。お話は少しですが父から聞いておりました。仁樹さんが昔親しかった方だそうですね。お礼を申し上げさせていただきます、今の仁樹さんが健やかにわたしとの暮らしを送れるのも、過去に助力頂いた方々のおかげです」


 ニッコリ笑いながら刃物を見え隠れさせるような真理の言葉に、女優は少なからずダメージを受けた様子。

「安藤さんの娘さんたちと住んでるって、仁樹くん、そうなのかしら?」

 仁樹は真理の淹れたお茶を一口飲んでから答えた。

「タカの家だからな、俺が住み、タカの娘も住む」

 女優は一度離した手をもう一度握りながら言う。

「大丈夫?ご飯はちゃんと食べてる?仁樹くん、もし今の暮らしが仁樹くんの負担になっているんなら」

 さっきの問いを繰り返す女優の手を、仁樹は掌に触れられた赤子のように握り返しながら口を開く。それに割り込んだのは真理。

「ご心配なさらずとも大丈夫です。仁樹さんには至らないながら毎日心をこめた食事を作っています、それに妹たちにも、仁樹さんを困らせるようなことは決してさせません」


 いつもより早口な真理は少し息が荒くなっている。二十代半ばだという女優はそんな真理をあしらうような微笑みを見せながら言った。

「それはなによりです。でも、もし子供だけで手に余るようなことがありましたらいつでも言ってください」

 歯を剥き出さんばかりの表情をしている真理の横で、仁樹が女優の手を離し、それから手の甲を指で撫でた。

 握られた手を握り返すのは彼の反射。それとは異なる自発的な動きで、女優の手指を確かめるように触れている。

「俺はお前に助けてもらったから死なずに済んだ、それは生きている限り変わらない」

 女優の頬に一筋の涙が流れた。女の涙と女優の涙は違うといわれ、本質的な部分では変わらないともいわれている。

「仁樹くん、忘れないよ…わたし、仕事行ってくるね、仁樹くんはフェラーリに乗り、わたしは芝居をするって言ったこと、覚えてる?」

 仁樹は手を伸ばし、女優の頬についた涙を指で拭きながら言う。

「忘れるわけがない」


 仁樹から離れ、背筋を伸ばした女優はもう一度、三姉妹に丁寧な礼を言って桜の広場から歩き去った。

 凛とした足取りで一度スタジオに入った思った女優は、小走りに戻って来て、スーツのポケットから名刺入れを取り出して、一枚取った名刺の裏に女優必携の台本用ボールペンで何か書いて仁樹に渡す。

 「これ、いつでも連絡してね。

 真理がガタっと立ち上がり、少し高い声で言う。

「あ、あの、お忙しいのでは?早くお仕事に戻られたほうが」 

「女はね、昔のオトコに会った時には遅刻しても許されるのよ、昔じゃなくなることだってあるし」

 それだけ言った女優は、さきほどの優雅な足取りとは打って変わった歩調でスタコラサッサと小走りに去っていった。

 真理はランチボックスに入れていた塩の瓶を手で掴むと、女優が入って行ったスタジオに向かって振る。

 仁樹は手書きの連絡先が添えられた女優の名刺をポケットにしまっている、まるが仁樹の顔を見て言った。

「あのひとは、お兄ちゃんの恋人だったの」


 既にお弁当を食べる作業を再開していた仁樹は、特に迷ったり言い淀んだりすることなく答えた。

「そうだ」

「仁樹さんはかっこいいから」

 微笑みながらお弁当を食べる真理。手に持っているスプーンがぐにゃりと曲がっている。 

 さっきから女同士のやりとりを野次馬気分で見物していた舞も、お弁当をムシャムシャ食べながらちょっかいを出す。

「こいつヒモでもしてたの?思った以上のろくでなしみたいね」

 返答の必要の無い言葉だと思ったのか仁樹は無反応。あるいは異論の余地が無かったのか。

 まるは仁樹にもう一度聞いた。

「お兄ちゃん、あの女の人が好きだったの?」

 いつもまるの問いには、最低限の言葉ながら目をしっかりと見て返答する仁樹にしては珍しく、テーブルの周りに並ぶ桜の木々を見ながら答えた。

「俺にはわからない」

 暖かな春の風が、咲き誇っていた桜の花を散らした。 


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