(29)箱庭の桜
自宅近くの広大なテレビ局スタジオ敷地の中、ドラマ撮影用の桜に囲まれた緑地で、仁樹と三姉妹はお花見ピクニックを楽しんでいた。
リネンのクロスを掛けたテーブルに広げられたのは、サンドイッチやおにぎり等のお弁当とお茶。これほどの物を、真理は出かける前の短い時間で作ってしまった。
家にほとんど帰ってこない父親を失う前から妹二人の食事を作っていた。女の子とはいえ食べ盛りの中学生と高校生に加え、最近は真理が毎日の食事を作るのが楽しみになるような相手が出来た。
テストの答案を出すような気持ちでお弁当を並べた真理は、普段の食卓と同じく向かい側に座っている仁樹の顔色を窺った。お弁当を見ていた仁樹も視線に気付いたのか顔を上げる。目が合うと仁樹は、いつも通りの無表情のまま口を開いた。
「素晴らしいピクニックランチです。優しい手で作られている」
感激した真理が感謝の言葉を返そうとしたところで舞に割り込まれる。
「誰があんたも食べていいって言ったのよ?運転も荷物運びもロクにできなかったくせに」
仁樹は隣に座る舞に顔を向ける。表情は変わらない。手を上げてテーブルを叩いた。
「俺一人では無理だった」
以前は仁樹の無機的な反応と行動にいちいち驚かされていた舞は、頬杖をつきながら仁樹を真似るようにテーブルを叩く。
「そういう事。せいぜい感謝して食べなさい」
仁樹が言われた通り真理の顔を見て、いつも通り馬鹿丁寧な礼を述べようとしたところで、まるが口を挟んだ。
「早く食べようよ~!お腹すいた」
何があっても変わらない仁樹の目が、舞はもちろん真理にさえ見せないような、ほんの微かに和らいだ眼差しになった。
花見をしながらお弁当を摘み始めて間もなく、舞が口を開いた。
「ちょっと恥ずかしいんだけど」
テレビ局スタジオの敷地内にある桜の広場は、すぐ前がメインスタジオのある局舎と、とバラエティ番組用のアトラクションやドラマ撮影用のコンビニまで備えたオープンセットとの連絡通路になっていて、時々人が通る。
日曜午前のテレビ局は、平日と変わらず出勤し働いている人間が他のオフィスビルよりずっと多く、大半の人間が敷地内で花見をしている仁樹たちに目もくれず、機材や携帯電話を手に小走りで通る。
そのうちの何人かは、日曜には休日を楽しむカタギの暮らしをしている一行を横目で羨ましそうに見ていた。
「働いてる人を見ながら飲むお茶は旨いな~!」
舞は人目に晒されながら花見をすることに戸惑っていたが、まるはそんな視線を楽しんでいる様子。
真理は桜や目の前の人の往来より、サンドイッチやおにぎりを少しずつ口に運ぶ仁樹が、味を気に入ってくれるか気が気でない顔。
少し変則的なテレビ局の花見は、滞りなく進んでるように見えたが、そのうち普段の食事と変わりない雰囲気になってきた。
ただ花を見るだけという娯楽は、花見を大いに盛り上げる魔法の液体をまだ飲めない十代の女子三人には刺激が足りなかったらしい。
舞がボソっと「食べたら帰ろうか?」と言う。まるは早くも飽きたらしく、足をブラブラさせている。真理はせっかくの仁樹とのお出かけを早々に終えることに不満そうな様子ながら、仁樹も退屈しているんじゃないか、三姉妹の花見に付き合わせることが彼の負担になっているんじゃないかと心配し始めた。
三姉妹の間に漂う雰囲気とは無縁に思われた仁樹は、右手で粒ウニのおにぎりを食べながら、左手を上げて手首に巻かれたブルガリのクロノグラフを見た。
もし仁樹がこの後も仕事の、あるいはフェラーリで走る予定を抱えてるなら、すぐに片付けて帰ろうと言いかけた。先に口を開いたのは仁樹。
「そろそろだ」
三姉妹が言葉の意味をわかりかねて戸惑う中、仁樹はさっきから時々人が通る連絡通路に目を向けた。
テレビ局のスタップが目の前を通る、そう思った三姉妹の中で、最初に気付いたのは、いつもテレビをよく見ているまる。
「あの人たち、もしかしてTOKIOじゃない?」
まる不躾に指差した人たちが足早に通り過ぎた後で、すぐに別の一団が来る。
「あーっももいろクローバーだ!」
それからも続々と、芸能人が目の前を通る。これから仕事といった顔で厳しい目つきをしている人もあり、まるの言葉に反応して微笑み、手を振ってくれる人も居た。
朝一番の仕事を表現するアサジュウという言葉があるとおり、テレビ局という場所は午前十時を境に変わる。今までの疎らな人通りは、朝十時に各スタジオやセットを稼動させる下準備の時間だった。
テレビでしか見たことのないタレントがあちこちを歩いている。テレビ局の本来の形。桜の広場はその中継地点にあった。
まるは桜より刺激的な風景に大はしゃぎしている。舞も表面上は興味ない様を装いながら横目でチラチラ見ている。真理は花見の場所としてこのスタジオの桜を案内してくれた仁樹を、畏敬するような目で見ている。
三姉妹と仁樹だけが花見をしていた局舎敷地内の桜の広場も、部外者立ち入り禁止ながら局内の人間の花見には利用されているらしく、局が本格始業する朝十時を境に、ぽつぽつと人が来始めた。
職場の同僚と、あるいは一人で、仕事の合間を縫って短い花見をしているらしきテレビ局関係者、その中にベンチに座り、缶紅茶を片手に桜を見ている女性が居た。
彼女を見たまるが、朝の連続ドラマに主演している女優だと教えてくれた。
その女優は桜を見ているようで、三姉妹に視線を送っているように見えたが、やがて彼女はベンチから立ち上がり、こちらに向かって歩いてきた。
テーブルの前で立ち止まった女優は、何か思いつめたような表情をしていた。
「…仁樹くん…仁樹くんよね…?わたしのことを覚えてる?」
仁樹の彼女の声に応え、振り返った。




