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GARAGE~フェラーリに恋した男と三姉妹~  作者: トネ コーケン
23/100

(23)無為

 まるはそれからも数日間、絵を描き続けた。

 学校から帰ると食事以外のほとんどの時間を絵描きに費やす、まるの過度な傾注を心配した真理は、解決を仁樹に頼ったが、自身がフェラーリに初めて触れた頃の姿によく似ているまるを見た仁樹は、結局のところまるの絵描きを後押しすることになる。

 結果を詫びる仁樹に、真理は言った。

「まるの話を聞いてあげてください。まるには仁樹さんが居ることを思い出させてください。それで充分なんです」

 事態に無関心な風を装いながらも、仁樹が戻るまでリビングで待っていた舞は言う。

「あんたが役に立たない奴だってのはとっくにわかってたけどね、余計ひどくするとは思わなかったわよ」

 どこか仁樹とまるの精神的な距離が今より近くならなかった事を安堵している声。

 

 絵を描き続ける日々を過ごすうちに、まるは少しずつ変わってきた。

 最初のうちは夕食の時間になるとリビングまで上がってきて、いつもの変わらぬ明るい雰囲気を見せていたまるは、だんだん口数が少なくなっていき、食事中にも考え込むことが多くなった。

 夜遅くまで絵を描き続け、朝になると寝不足の顔で通学バスに乗ってたまるは、そのうち夕食の時間に呼んでも部屋から出てこなくなった。

 出来るだけ姉妹三人で夕食を共にするのは、父が死んでから三姉妹の間で決めたこと。それは仁樹という同居人が加わっても変わらない。 

 真理が夜食を作って届けに行くと、食べてる間も片手で、仁樹から貰ったフィッシャー・スペースペンを動かし続けている。

 まるの居ない何度目かの夕食。会話も少なく沈んだ雰囲気のリビングで、舞が立ち上がった。

「まるを連れてくる。机から引っ剥がすくらいしないと、そのうち体を壊すわ」

 まるを案じつつも、絵を描くことについては応援している真理が、舞を止めるように腕に触れたが、舞はその手をふりほどく。

 その時、仁樹が立ち上がった。

 元から誰かに話しかけられることが無ければほとんど口を開かず、食卓が賑やかでも静かでも変わらなかった男は、今日もいつも通り夕食と食後のお茶を頂いた後、席を立った。

 舞はこの男が、共に暮らす自分たち姉妹の問題には関心を持たず、彼にとって唯一の同居人であるフェラーリのところに帰るのかと思った。

 長女の真理にだけ丁寧で誠実なのも、真理のおかげで彼がフェラーリを手に入れることが出来たから。代金の分割払いのような誠意に心配や憂慮なんて人間らしい感情などあるわけが無い。この男はそういう人間。

「俺が行って来る」

 仁樹の発した予想外の言葉に、いつもなら食ってかかる舞も呆気に取られる。真理にとっても意外な言葉だったらしく、驚きを表情に表していた。

 いつもなら三姉妹に係わる時、常に真理に許可を取っていた仁樹は、珍しく舞への一言だけを残してリビングを出て行く、そのまま迷い無く廊下を歩き、階段を下りていった。


 まるの部屋の前までやってきた仁樹は、以前この部屋に来た時のようなノックはせず、勝手にドアを開けて入る。

 部屋主が無許可の入室者に反応を見せないのは数日前と同じ。まるはずっと変わらない姿勢で絵を描いていた。

 仁樹が数日前に与えたスペースペンは、通常のボールペンの五倍と言われる容量のインクをもう一本使い切ったらしく、芯が床に捨てられていた。

 まだデスク上には、仁樹がペンと一緒に渡した数本の換え芯が残っている。まるはこの芯が無くなるまで描き続けるんじゃないかという勢いで、画用紙に精密な絵を描き込んでいた。

 仁樹は絵を描くまるの姿をしばらく見つめた。市街地の空撮画像を描いているまるは、横に置いた資料を見ながら正確に、ただひたすら正確な絵を描いている。

 仁樹は自分が仕事で係わっている自動車雑誌の、細密画を得意とするイラストレーターが仕事をしている姿に近いと思った。

 雑誌の挿絵や画集、あるいはプラモデルの箱絵などに、正確な外観図や構造図を描くイラストレーターは年々減り続け、最近は車の世界もコミック的にデフォルメされた絵を描くイラストレーターばかりになっている。

 イラストで効率的に儲けるならそのほうがいいし、絵を描くことのない仁樹も絵をフェラーリの維持費用を稼ぐ仕事にするならばそうするだろう。でも、そうじゃない絵描きも少数ながら知っている。

 まるは部屋に入ってきた仁樹に気付いていない様子で絵を描き続けている。仁樹はねぎらいや労わりの言葉ではなく、率直な感想を述べた。

「いい絵だ」

 まるの手が止まる。いきなり声をかけられて驚いた様子でもない。仁樹が入ってきたことには気付いていたらしい。知っていたけどそれに対して何かをする必要が無いから何もしなかっただけ。

 まるは描く作業を止めたペンを手から離さず、仁樹に背を向けたまま答えた。

「いい絵なんかじゃないよ」

 そう言って再びペンを動かすまるに、仁樹は言う。

「稀有な能力だ」 

 まるはもう一度ペンを止め、指を慎重に動かしながら机に置く、それから机の引き出しを開けて一枚の画用紙を取り出した。

 今書いている空撮の絵とは異なる、町並みを歩行者の視線で描いた絵。ボールペンでの下書きとポスターカラーでの彩色を終えた絵は、仁樹が見ても完成度の高いものだった。

 まるは椅子を回して仁樹に体をむけ、一枚の絵を差し出す。見て欲しいという顔は誇らしく自慢げな表情ではなく、自分の傷を見せる顔。

 夕暮れの町並みが精密に描かれた絵を見た仁樹は言った。

「こんな絵を描ける人間はめったに居ない」

 まるは仁樹の言葉に何も返事せずタブレットPCを手にした、しばらく操作していたまるは仁樹にタブレットを差し出す。

 画面には画像が表示されている。この絵を描く時に見たであろう街並みの写真。まるの絵は遠目には見分けがつかないほど正確に書かれている。

 タブレットを仁樹に向けたまま、まるは幾つかの操作をした。写真の画像が変化していく。

「実写の画像を絵みたいに出来るソフトだって。わたしの絵って、機械にでも描けるんだって」

 まるはそれだけ言うと、仁樹に渡した画用紙の絵を奪い取り、真っ二つに破いた。

「誰にでも描けるんだって!」

 赤く血走ったまるの目から、涙がこぼれ落ちた。


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