国都霞大学季刊誌『黎明』連載エッセイ 鷹古乱堂 《国都霞大学七不思議考》より 最終回 【中編】(承前)
《夜明けの黒衣女》が出没すると言われるメタセコイア並木は、国都霞大学キャンパスの中央を西から東へと凡そ200メートルに渡って、真っ直ぐに貫いている。
国都霞大学のキャンパスは、ほぼ完璧な円形だ。昔、キャンパスを撮った航空写真を観た事があるが、全域が鬱蒼とした樹木に覆われているので、まるで地上に穿たれた巨大な黒い穴のようだった。
東に向かって--即ち、〈アーミテイジ・ハウス〉に向かって、だ。全ての道は、《食堂棟》に通ずる--並木道の左側には、ヨーロッパ辺りから土台ごと直送してきたかのようなネオバロック様式の学生自治会館〈ABハウス〉が、古色床しいガス灯を模した街灯に照らされて鎮座増しまし、更に東に向かって先に進むと、数年前に新築された多目的情報発信施設〈アザトス〉が、水晶クラスターのような、その威容を木々の合い間に覗かせている。
並木の右側には、保健管理センターと国際交流館が並び、その少し先には、ジョージア様式で建てられた国都霞大学出版部の三階建ての建物が、蕭然と佇んでいる。
道幅10メートル程の並木道の両側に、約5メートル間隔で居並ぶメタセコイアは、各々が高さ25、6メートル、幹幅は90センチ程、中には1メートル以上にも及ぶ逸物もあるという。それらは片側に35本ずつ、全部で70本植えられており、50年程前にグリーンランド西海岸にある植物研究施設から寄贈されたと聞く。確か、学校長が、その施設の所長だったか研究者だったかと、とても懇意にしており、その流れで、譲り受けたらしい。
私は、30年ぶりに、メタセコイア並木の下に立った。
伸し掛かるかのような、鋭詰な闇の塊と化している巨木たちも、私と同様、30年の歳月を、この場所で過ごしてきたのだろうが、街灯からの僅かな明かりを通して垣間見える枝ぶりといい、幹の太さといい、私には、その当時と何ら変わっていないように見える。
晩秋の朝まだき。
時刻は、午前5時18分。
日の出までは、まだ1時間ほど間がある。
虫の音が、煩い程に頭上から降ってくる。
国都霞大学には、門も、塀も、警備員控え所さえ設置されていないから、出入りはどこからでも自由だ。我が母校は、校内の所々に飾ってある絵画や工芸品にも、それなりの美術作品が揃っており、何より、図書館には、世界中のコレクターにしてみれば、垂涎どころか、命を差し出してもいいくらいの珍本奇本希少本の数々が収められているにも拘わらず、セキュリティに関して驚くほどに無頓着だ。
恐らく、校内で鍵を掛けている扉など、無いのではないか。
少なくとも、私が在学した当時は、何処の扉だろうと、下手すりゃ窓すら開いたものだ。
え? なんで、そんな事を知ってるかって?
その経緯については、いずれまた、ドコかでナニかの機会に。
だが、私の知る限り、泥棒に入られたり、何らかの犯罪が発生したといった話は、聞いた事が無い。
或る意味、それもまた、この大学の〈七不思議〉の一つなのかもしれない。
私は、メタセコイア並木の先に広がる蒼藍色の闇を見つめる。
並木の下の歩道は、煉瓦畳で舗装され、古色床しい黒い鉄柱で造られた街灯が、道沿いに点々と設置されてはいるものの、その街灯から放たれた白い光は、寧ろ、周囲の闇の深さを際立たせる役目を担っているようだ。
そう、どういう訳か、私には、このキャンパスに立ち込める闇は、一際、濃い気がするのだ。
或いは、その闇だからこその《黒衣女》なのかもしれない。
歩道には、人っ子一人いない。
だが、あともう1時間もすれば、実は意外と人通りは多くなる。
この並木道は、JRの駅前通りへと続く近道なのだ。
私が在学していた当時から、このメタセコイア並木は、近隣住民の通学通勤、或いは散歩道として、利用されていた。メタセコイア並木は、春の新緑、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の雪景色と、四季折々の風情が楽しめたから、年間を通じて、多くの人々が訪れる場所だった。
私は、ふと、メタセコイア並木を再訪するにあたって、前々から気になっていた或る事を調べてみようと思い立った。《夜明けの黒衣女》は、果たして、この国都霞大学キャンパス内にしか、出没しないのだろうか。この大学周辺で、彼女が、例えば、『学校の怪談』的レベルであるにしても、語られるようなケースは、なかったのだろうか。或いは、この国に於いて、彼女に似た伝承事例は、他にないのだろうか。『黒』に関連した〈女〉は、嘗て、或いは、今も尚、あちこちに出没しているらしい。
曰く〈黒い眼の少女〉。曰く〈黒い歯の女〉。曰く〈黒い血の女〉。曰く〈黒蛇娘〉。そのものズバリ、〈黒い女〉と謂う、衣服は勿論、顔から何から全身が真っ黒という〈女〉もいる。
少なくとも、ネット検索レベルで、かなり深い所まで潜っても、高々、そんな程度だった。
だからと言って、それらの怪談なり恐怖話が出来が悪いと言いたい訳では、毛頭ない。〈黒い眼の少女〉だとか〈黒い女〉なんかは、映像にも撮られていて、それらは中々迫力がある。
だが、《夜明けの黒衣女》が持つリアリティさには、程遠いのだ。
確かに、〈黒衣女〉は怪談噺としては、極めて薄味だ。
黒い服を来た女が出没する。
唯、それだけなのだから。
なのに、何故、これ程までに、ぞわりとした恐怖心が、恰もトラウマのように、私の心に湧き上がってくるのだろう。
そう。
心的外傷。
そこが肝要なのかもしれない。
念の為に、私は、メタセコイア並木を訪れる前日、国都霞大学近隣に住む、所謂〈郷土史家〉を何人か訪ねて回った。この地域に〈黒〉をモチーフにした〈女〉が関係する口碑伝承の類いは、ないか、と。
答えは、『無い』だった。
何よりも驚いたのは、地元〈郷土史家〉の先生諸氏の誰一人として《夜明けの黒衣女》の事を、御存じないという事実だった。噂すら、聞いた事が無いというのだ。私が縷々説明申し上げても、『口裂け女』や『貞子』と勘違いされるのが関の山だった。
この国都霞大学を中心とする地域は、土地としての歴史も古く、由緒ある古刹や文化的価値を持つ建造物も多く、また、遺跡の類いも少なからず発見されている。自然、地域住民達の生活史も古く、何代にも亘って住み続ける家や、中には〈名家〉と呼ばれる範疇に入る家族も少なくない。当然ながら、郷土を愛する人々も多く、また、そんな土地柄故に、学者や知識人達を良く惹きつける。私がお会いした何人かは、その道では、知る人ぞ知る著名な先生方だった。
だから、そのお歴々たちが知らないと言うのだから、本当に、知らないのだろう。
まぁ、所詮、『学校の怪談』の域を出ない訳で、それはそれで、極々当たり前の反応かもしれない。
だが、私自身、〈彼女〉に対して思い入れが強いからかもしれないが、些か、拍子抜けした感を否めなかった。
但し、こんな話も聞いた。
古い土地柄からか、この辺りには、昔から、狐狸、妖怪、化け物、物の怪の類いが良く出没したらしく、奇妙な民話や伝説が、多く伝わっているという。え? こんな都会で? と、思われる方も多いかもしれない。だが、何も、魑魅魍魎が跋扈するのは、人里離れた村々や切り立った山々に囲まれた山村だけではないのだ。〈河童〉や〈雪女〉の伝承は、東京近郊にも伝わっているし、それこそ、〈口裂け女〉や〈人面犬〉などは、都会ならではの伝承原理で広まった新伝説の代表格だろう。
けれど。
「それにしても」と、大学キャンパスのすぐ裏手にお住いのK大学名誉教授Y先生などは仰ったものである。「ここいらは、ちょっと多すぎるくらい、多いなぁ」
このY先生、専門はマクロ金融政策で、今も幾つかの大手都市銀行の顧問を務めるという実に御堅い雰囲気の御仁なのだが、大の妖怪幽霊魑魅魍魎好きで、都市伝説にも造詣が深い。特に、明治・大正期の妖怪話や化け物譚の収集は我が国でも有数の大家で、分厚い研究書も執筆されている。
実は、私とは、さる文芸雑誌の企画でご一緒させて頂いてからの付き合いだった。今回、国都霞大学周辺にお住いの先生諸氏の橋渡しをして下さったのも、このY先生である。
で、Y先生の持論に拠れば、妖怪や化け物とは、簡単に言えば、『何らかの解決策』なのだそうな。
例えば、〈危険な淵〉には〈河童〉が居る、〈インフルエンザ〉は〈疫病神〉、〈正体不明の音〉は〈小豆洗い〉や〈バタバタ〉、〈暗くなるまで遊んではいけない〉という戒めは〈一旦木綿〉や〈青坊主〉というふうに、全ての怪異に付随した存在とは、別の何かに置き換えが可能なのだという。
「ところが」と、Y先生は、仰るのだ。「この大学周辺一帯、《新英》と呼ばれる地域に伝わる奇妙な民話・伝承は、ちょっと違うのだよ」
それがどう違うのかは、残念ながら、詳しく解説して頂く時間を持てなかったのだが、その話の全てが、〈教訓〉も〈警告〉も〈説明〉すらにも、置き換えられないという。
「どれも、純粋な恐怖の賜物なのさ」Y先生は、どこか詩的な表現で、そう仰ると、「ここ最近の例で言うなら、イギリスのカノックチェースとか、アメリカのダンウィッチの森とか、そこいらに近いとも言えるだろうか」
何れの地名も、怪奇趣味の人々には著名な場所だ。カノックチェースでは、〈スレンダーマン〉や〈黒い目の子ども(BEK)〉、「ピッグマン」といった怪物が目撃されているし、ダンウィッチはダンウィッチで、恐らく、地球上で最も怪物や幽霊、妖怪の類いの出現率が高い地域だろう。
Y先生は、国都霞大学のキャンパスが、それらに匹敵する場所だ、と言うのだ。
私は、どういう事かと、先生に尋ねてみた。