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国都霞大学季刊誌『黎明』連載エッセイ 鷹古乱堂 《国都霞大学七不思議考》より 最終回 【前編】

 私が、初めて国都霞大学に伝わる七不思議を耳にしたのは入学式の翌日だった、と《不思議の一『謎の地下図書館』》の回で書いたけれども、その七つの不思議の中で、実は最も印象深かったのが、この『夜明けの黒衣女』(当時の呼称では)だった。


 因みに、〈黒い衣の女〉と書いて『くろいおんな』と読む。


 連載エッセイ《国都霞大学七不思議考》の最終回に当たって、満を持して『黒衣女(かのじょ)』にご登場戴こうと思う。

 そう、私は、好物は最後に残してゆっくりと味わって食する主義なのだ。

 という訳で、この最終回に限り前編・中編・後編の3回に亘ってお届けする。


 と、その前に。


 季刊『黎明』編集室並びに関係諸氏には、私の我儘の為に、大変な迷惑をお掛けしてしまった。

 年四回発行とは云え、既に割り付け済みのページも多々あるし、執筆依頼者の予定もある。その編集スケジュールに、無理矢理ページを割かせる作家の行為ほど編集者を困らせる代物はない。何しろ、全七回で終了する筈のところを九回にまで延長させてしまったのだ。この誌上をお借りして、改めて陳謝申し上げたい。安治(あわじ)編集長、そして、担当の百部雲母(ほどずらきらら)女史の御二方、こんなポンコツ作家の気まぐれを快く聞き入れてくれて、本当にありがとうございます。次回執筆予定だった塔洛愛先生、こんな三流作家の為に貴重な時間を半年間も浪費させてしまって心痛の至りです。そして、こんなインチキ作家の戯言にダラダラと付き合わさせられる羽目に陥ってしまった賢明なる読者諸氏には、誠に申し訳ない、ただその一言に尽きます。それだけ、筆者にとって『夜明けの黒衣女』は、特別な存在なのだとご理解を賜り、もう少しだけ、我慢してお付き合い戴ければ幸いです。


 さて。


 事ほど左様に、今なお私の心を惹きつけて已まない『夜明けの黒衣女』とは、一体、どのような存在なのか。国都霞大学奇譚同好会の面々に依って拉致同然に連れ込まれた、あの思い出の居酒屋《漣》で私が聞かされたのは、こんな話だ。


 東の空が漸く明るくなり始めた払暁の頃、大学の中央を貫くメタセコイヤ並木の下を、カツゥン、カツゥンとハイヒールの音を響かせて、一人の女が構内の何処かへと向かって歩いて行く。それも、毎日、毎日。明け方とはいえ、まだ辺りは真っ暗だ。なのに女は、目には顔半分が隠れてしまいそうなサングラス、口元は大きな白いマスクで隠されている。さらに異様なのは、頭に被った大きなつば広の日よけ帽子、そして、全身を覆う真っ黒いレインコート。春夏秋冬、一年を通して、この格好なのだ、と云う。恰も、己の存在をこの世から隔離しようとでもするかのような、その姿の下に隠された正体は、実はこの世の物とは思えない程の絶世の美女だ、いや、齢百は疾うに過ぎたる皺くちゃの老婆だ、とんでもない、見るも無残な傷跡に覆われた崩れた顔の持ち主だ、いやいや、それどころか、蜥蜴女だ、蜘蛛女だ、果ては、毎度お馴染み、ノッペラボウだ、と実に様々だ。


 以上。


「えっ、それだけ?」

 私は、その時、本当に、そう訊ねてしまった。

「そうだよ。それだけだ」

 同好会勧誘目的で《漣》に連れ込んだ先輩たちは、口々に、然も得意げに、そう答えたものだ。

 『口裂け女』という所謂(いわゆる)〈都市伝説〉が日本全国爆発的に広まるのは、私が大学を卒業してから後のことだから、この手の話の定番的な流れという物を明確に理解していた訳ではない。

 だが、それでも、明らかに喰い足りなさを感じた挙句の、それは問いかけだった。

「その『クロイオンナ』は、他に何もしないんですか? ただ、歩いてるだけ?」

 部長格らしい先輩が、皆を代表して誇らしげに頷いた。

「ああ。歩いてるだけだ」

「なんかこう、女の後を付いて行くと、何処かの教室とかトイレとかに入って行って、つい後ろから覗いていると、振り向いて『見たなあぁ』とか、サングラスとマスクを取って、があぁぁぁっといきなり襲い掛かってくるとか」

 先輩は、自慢げに首を横に二度三度と振って、

「そんなことはしないよ」

「せめて、突然消えちゃうとか、追い越そうとしてもどうしても追い越せない、距離が縮まないとか」

「そんな器用な真似もしない」

「本当に、歩いてるだけ?」

「うむ。歩いているだけ」

 余りにも、自信たっぷりなその態度を訝しんだ私は、こう訊ねてしまった。

「ああ、もしかしたら、その女の人、実在する人なんですね? 学内清掃の人とか、学生部の事務の人とか、この大学の先生とか。ちょっと変わっているけど、ただ単に仕事熱心なだけ、とか。それをネタにオヒレハヒレを付けてるだけなんだ」

 だが、やっぱり自信たっぷりな態度で、先輩はすぐさま答えた。

「違うよ。それじゃあ、七不思議にならないじゃないか。単なる誹謗中傷の類いだ」

 そりゃまあ、そうだ。

 私は、思わず、こう訊き返した。

「じゃあ、一体、その『黒衣女』って、なんなんです?」 

「判らないよ。だから、怖いんじゃないか」


 そう。


 恐らく、その時に帰ってきた先輩の、この〈答え〉こそが、私が『夜明けの黒衣女』に魅せられた最大の理由だろう。

 《女》が絡む〈怪談〉や〈都市伝説〉の類いは、数多く存在する。先ほど例に挙げた『口裂け女』を始め、『隙間女』や『ひきずり女』、それに『トイレの花子さん』なんかもその部類だろう。年齢をぐっと上げれば、『100kmババア』に『徒競走ババア』、『一寸ババア』や『紫ババア』と『✕✕ババア』系は枚挙に暇がない。『赤い部屋』や『笑う自殺者』、『マンションの一室から見つめる女性』といった《女》がキーポイントとなるシチュエーションの話も矢鱈と多い。

 実際、洋の東西を問わず、《女》は《男》に比べて、怪異譚への貢献度が非常に高い。幽霊、亡霊、怨霊の類いは、無論、《男》も活躍するが、話の出来としては、矢張り、《女》として登場した方が盛り上がる。大体、ミイラ男や狼男、吸血鬼ドラキュラにしたって、襲うのは好んで皆、美女ばかりだ。美女を襲うからこそ、《男》の怪異は、また一段と、その恐怖さを増す。《男》同士がぶつかり合うだけでは、単なるバイオレンス活劇に過ぎない。《女》が絡むからこそ、浪漫が生まれ、物語が膨らむ。

 本邦の怪異譚も、この例に漏れない。『四谷怪談』然り、『牡丹灯籠』然り、『番町皿屋敷』然り、『累が淵』然り、『佐賀怪猫伝』然り。《男》は、明らかに添え物で、花形はやっぱり《女》である。凄惨さや無惨さ、果敢無さや哀れさの中に美を持ち込めるのは《女》ならではであり、そこからさらに、醜悪さや毒々しさへとアクロバティックに展開できるのもまた、《女》ならではの特権なのだ。

 だが、一方で、その特権は、諸刃の剣でもある。反転させれば、《女》は使い勝手が良いという意味になり、それはともすればマンネリに陥りやすいという理由に繋がる。かつて一世を風靡したB級ホラー映画の類いが、良い例だろう。《女》が襲われたり、《女》が悲鳴を上げたり、《女》が無惨に殺されたり、でも、結局、《女》がモンスターを退治して、メデタシ、メデタシ。と思ったら、その《女》が、突如モンスターと化したり。やがて、ネタ切れどころか二番煎じ三番煎じの嵐となり(ちょっとヒットすれば、パート2、パート3は当たり前、〈13日の金曜日〉シリーズなんて10作も制作されたりした)、反動で、『血』や『悲鳴』の代わりに、何気ない『音』『光』『影』を使った『映像』それ自体で恐怖を現出させる《ジャパニーズ・ホラー》なる物が脚光を浴びたり、と、どうやら、何でもかんでも、《女》を登場させれば好いという訳ではないらしい。


 おっと。


 閑話休題。話が、随分と横道に逸れてしまった。余分にページを戴いたので、ついキーボードが滑ってしまったらしい。調子に乗ってると思われても仕方がない。事実、調子に乗っている。本当に、ずっと書きたかったのだ、『黒衣女』については。

 いずれにしろ、何年も、何十年も、時として何百年も語り継がれるような〈怪談〉や〈都市伝説〉には、単に、《女》という枠組みだけでは収まり切らない、それ相応の確固とした魅力が備わっている、ということなのだろう。

 では、国都霞大学七不思議の『夜明けの黒衣女』の何に、私は、こうも惹かれたのだろうか。

 少し前に、私は、こう綴った。


「じゃあ、一体、その『黒衣女』って、なんなんです?」 

「判らないよ。だから、怖いんじゃないか」


 その先輩の答えこそ、私が、『夜明けの黒衣女』に魅せられた最大の理由だ、と。

 判らないから、怖い。

 この言葉は、非常に深い。

 例えば、〈怪談〉や〈都市伝説〉のよく似たバージョンに、所謂『知ってはいけない』シリーズ(今、私が名付けた)がある。有名なところでは、『牛の首』だろうか。

 とても怖いと噂の怪談『牛の首』が、どのような話なのか訊ねると、知っているという人間は、決まって、こう答える。「ああ、『牛の首』ね。あれはねぇ……いや、僕の口からは、とてもじゃないけど言えないなぁ。誰か、他の人に訊いてよ」

 で、結局、誰からも聞き出すことはできない。

 なぜなら、怖すぎて、誰も話せないからだ。

 だから、誰一人『牛の首』の内容を知らない。

 知らないのに、非常に怖い、ということだけは知っている。

 唯々、『物凄く怖い』という実体なき恐怖だけが浮遊し増幅して、人口に膾炙する。

 それが、この手の話の特徴だ。

 私が生まれ育った長野県南伊那地方にも、似たような話がある。

 こちらは、怪談というより、『本当は恐ろしい日本の民話』とでも呼ぶべき代物だ。


 ある村に、絶対に語ってはならない掟があった。もし、その掟を破れば、恐ろしい災いが降りかかるという。隣村に住む悪戯好きの若者が、そんな掟が本当にあるのか、仲間たちと賭けをする。若者は、その村に出向くと、村人たちを煽てたり賺したりし、果ては酒やら御馳走やらを振舞って、何とか『絶対に語ってはならない掟』を聞き出そうとするが、村人たちは、なかなか口を割らない。そのうち、一人の気の弱そうな村人が、夜中にこっそりと村を抜け出して行く姿を目撃する。そっと後をつけて行くと、鬱蒼とした森の奥にある小さな洞穴へと入ってゆく。実は、気の小さなその村人は、恐ろしい掟を黙って胸の奥に仕舞っておけずに、こうして洞窟の奥に来ては、村の掟を叫んで、己の恐怖を吐き出していたのだ。隣村の若者は、こうしてまんまと秘密の掟を知る。だが、その途端、若者は気の小さな村人を(くび)り殺し、次いで自分の村へと取って帰ると、仲間や他の村人たちを次々と殺して回る。


 話は、ここで唐突に終わる。

 勿論、『絶対に語ってはならない村の掟』とは何なのか、も語られない。

 テーマ的には〈王様の耳はロバの耳〉だ。

 だが、話の根幹を成すのは、矢張り、『絶対に語ってはならない村の掟』だろう。

 他人に語ると災いを齎す『掟』が組み込まれているからこそ、登場人物の行為が正当化され、また、生々しさや悲喜劇性を増す。

 語ったり、見たり、聴いたり、触れたり、或いは、所有したりすると、災いが降りかかる、不幸になる(或いは、その逆)、死ぬ、といった物や場所、事柄は、今なお、根強く流布されている。

 古くは、『ファラオの呪い』や『呪われたホープ・ダイヤモンド』(どちらも、関わったり所有したりすると死んだり病気になったり、よくないことがその身に起こる)、『牛の首』の2ちゃんねるバージョン『鮫島事件』(語られること自体がタブー)や落語バージョンの『死人茶屋』(演じると奇怪なことが起こり、噺自体も、あまりにも恐ろしい内容なので、誰も演じたがらない)、『不幸のハガキ』ならぬ『幸運のメール』(このメールを○○人に送った人には、善いことが起こる)等等等。

 我々が、それらに対して抱く独特な恐怖の正体とは、単純な物から複雑な存在まで姿かたちは様々だけれど、その根底に根深く巣食っているのは、本当のところは『判らない』という不明に対する(おそ)れだ。

 嫌悪とか不快といった感情は後付けみたいな物で、先ず立上ってくる情動は、真っ暗闇に独り放り出されたかのような闇雲な恐れ、不安、危惧だ。例えば、虫だとか獣だとか汚物だとか遺骸だとかを目の当たりにした時に感じる恐怖、言い換えれば、その存在自体を理解できる範疇に準拠する恐怖と対峙した時に起こる感情と、『判らない』不明感に満ちた恐怖を抱いた時に生じる感情とは、明らかに違うレベルの反応なのである。

 《ジャパニーズ・ホラー》がヒットした理由を、そんな反応の中に求める評論家たちも居る。

 若しも、似たような感覚を手軽に体験したかったら、目隠しをして(出来れば、ヘッドホン状態で)テレビドラマだとか映画を(ちょっと変な日本語だが)観てみるといい。勿論、サスペンスやホラーがベスト(《ジャパニーズ・ホラー》なら、なお結構)だが、何なら、エロでも構わない。

 恐らく、脂汗が滲んできそうな程に嫌な(或いは、素晴らしい)臨場感を味わえる筈だ。


 ここで、三度(みたび)、引用しよう。 

   

「じゃあ、一体、その『黒衣女』って、なんなんです?」 

「判らないよ。だから、怖いんじゃないか」


 私が、先輩のその言葉に非常に魅せられたのは、今、縷々と挙げてきた都市伝説の類いが持つ不明感とは真逆の、潔いほどの確信性にあった。

 そう、今まで挙げてきた〈怪談〉や〈都市伝説〉云々かんぬんは、長い長い前振りである。

 だが、この前振りが無ければ、私の『黒衣女』に対する思いは、決して、正確には伝わらないのだ。

 『判らない』という不明に対する(おそ)れこそが、恐怖の根源だと私は説明した。

 勿論、私も最初は、その先輩の言葉の中に感じた恐怖を、その手の畏怖感だと捉えていた。

 結局、居酒屋《漣》に連れ込まれた私は、先輩=伊勢八太秀真(いせはたしゅうま)の言葉の儘に、奇譚同好会に入会させられてしまうのだが、そこであれこれ調べて行く内に、この『黒衣女』譚に対して抱いていた恐怖が、全く違う種類の物だと気づくことになるのだ。


 しまった。

 また、予定原稿枚数を大幅に超過してしまった。

 今回は、ここまで。

 次回、愈々、その核心に踏み込んで行く。

 乞う、ご期待。

 

  


 

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