◆蛭山風愛斗の口空記❶(続きの続き)
冬。
夜の銀座。
背広のポケットから懐中時計を幾つもぶら下げた謎の男。
一体、何十個、いや、何百個の時計を隠し持っているのか、カチカチコチコチ、男の身体からは時計の歯車の音が、やけに大きく聞こえてくる。
ギクシャクと歩く、その姿は、恰も、自らが機械仕掛けの様だ。
よく見ると男の顔は、青黒い青銅の仮面に覆われている。
嗤っているのか、泣いているのか、将又、憤怒の表情か。
無生命の顔を不気味に振りながら、男は、夜の銀座を、ギシギシ、ひょこひょこ、カチカチコチコチと歩いて行く……。
その姿が描かれた挿絵が、まァた、怖イの、怖くなイの。
それよりも何よりもイカシテルのは、謎の青銅仮面男の逃走方法なんだよネ。
男は、警官たちに呼び止められると、モンっの凄いスピードで逃げてくんだけど、それが四つン這いなんだぜ?
なんだよ、それ。
絶ッ対ェ、いねェェェェよ。
でも、すンげェ、面白いよッ!
ンでもって、コイツは、『青銅の魔人』なんぞと自ら名乗り、時計ばかりを盗むんだ。
《皇帝の夜光の時計》をイタダクとかなんとか、一丁前に予告状まで出したりしてサ。
この『青銅の魔人』と対決するのが、小林少年&少年探偵団&チンピラ別働隊&明智先生だ。
俺は、生まれて初めて---っつうか、その時、生まれてから、まだ9年程しか経ってなかったし、その本自体が生まれて初めて、ちゃあんと読んだに等しい存在だったけどネ---たった1日で一冊の本を最後まで読み終えるという経験をした。
なんか、凄く気持ちが好かった。
やり遂げた感っつうのかなぁ。
爽快だったよ。
『青銅の魔人』を読み終わった翌日、俺は祖父ちゃんに嬉々として報告したもんサ。
祖父ちゃんっ、オレ、この本、全部読み終わったんだっ!
それも、たった1日でっ!!
凄いだロッ!!!
祖父ちゃんは、フフンッと鼻で嗤うと、お前は、ぬァにをそんなにエバってるんだ、一冊の本を全部読み終えるのは、当たり前のことダロウがっ、と宣わった。
ばかりか、ひょいと『青銅の魔人』を奪い取ると、こんなモンに1日も掛けとってどうする、1時間だ、1時間ッ、そう言って、本の角っこで、俺を小突いたもんサ。
可愛くねェんだよねェ、あのジイさまは。
ま、そんなこんなで、本を読む楽しさにハマった俺は、祖父ちゃんの親切丁寧には程遠い御指導御鞭撻の下、〈少年探偵団〉シリーズ読破を皮切りに、ホームズ物、ルパン物、マガーク物、やがて、少年少女世界推理文学全集だの推理・探偵傑作シリーズだのも読み漁り、たまたま同じ本棚にあった少年少女世界SF文学全集を手にしたがために、そちらの世界にもずっぽしハマり、さらに隣の本棚に収まっていた少年少女世界恐怖小説に指を這わせて、さらにダークな領域へと、ずぶずぶずぶとハマっていった。
今思えば、現在俺がハマリ込んじまった状況を多少なりとも、すんなり受け入れられてるのは、この朝日ソノラマの少年少女世界恐怖小説で、ポーだのレ・ファニュだのストーカーだのホイートリーだのエンドアだのを幼少期にガッツリ読んでいたお蔭だと半ば本気で思っていたりする。
その後、キングに始まり、ストラウブやクーンツ、マキャモンやクライヴ・バーカー……あ、それとアン・ライスにジョナサン・キャロルなんかも好きだなァ……を堪能させて戴いたから、それなりに親しんだ世界ではあったけれど、やっぱり、あの悪夢を観させるが為だけに描かれたような絵表紙の少年少女恐怖小説シリーズこそが、その屋台骨となってくれたんだと思う。
まぁ、さっきも言ったけど、連中が、そんな物語に登場してくるような存在の範疇に入るのかどうかは、今一つ、確信がないのだけれども。
それはそれとして、サ、どうしてここまで、俺は、〈本〉の世界に引き摺り込まれちまったんだろう。 やっぱ、きっと、《血》なんだろうナ。
そンでも、ウチの父さんを見る限りじゃあ、隔世遺伝以外の何物でもないとは思う。
なンしろ、アレはバリバリの理工系人間だかンな。
電子顕微鏡並の極微小粒子的視線でしか物事を視れないから、当然ながら、行間を読むなんてアバウトな行為は出来まっせん。
紙質の成分なら、タチドコロに読み取っちまうだろうけどナ。
大体、親父が手にする最低限の活字っぽいモノが載っている物体ってのは、スマホかタブレットだけだもん。
新聞すら持ってる姿を見た事がないんだから、大したモンだよ。
でもサ、じゃあ、あの子供部屋に置かれたちょっとした図書館の児童書コーナー並の本は、一体、誰の為に集められたのかって思ったりもする。
もしかすると、アレじゃね?
その反動が、今の親父さんなんじゃネ?
なんて、考えたりしてね。
あれだけの量の本、無理矢理全部読まされたら、ソリャ、トラウマにもなるだろサ。
あの祖父ちゃんなら、ヤリカネナイからね、ホント。
少なくとも、俺は、そうさせられたゾ。
マジで。
ま、俺の場合は、逆に善かったみたいだけれども。
だから、小学校を卒業する頃には、大人が読むような文庫本だの単行本などにも手を出すようになった。
考えてもみたら、本代は一切掛からないんだから、碌に小遣いも持たない子供にだって安いモンさ。
祖父ちゃん家が、本屋(古)兼図書館(廃)な訳サ。
で、祖父ちゃん本人はと謂うと、買う本を勝手に決め付けてくる口煩い頑固店主であり、何時借りようと、また何時返そうと返さなかろうと、何一つ文句を言わない出鱈目図書館長だ。
でも、まあ、読んでも読んでも、祖父ちゃんの本屋(古)兼図書館(廃)は尽きなかったなァ。
まるで、汲めども尽きぬ大海の水を全部飲み干そうとするようなモンさ。
まァ、海水なんて、そうそう飲めるモンじゃあねェけどナ。
祖父ちゃん家の本を読み始めてから10年近く経つけど、果たして、その蔵書の十分の一も読めたかどうか。
っつうか、あンだけの本を全部読み倒そうとするホウが、どうかしてるってハナシだよな。
それでも、随分、読むスピードは速くなったんだゼ?
1日1冊とまでは流石にいかないけれど、平均3日で2冊、調子が良いと……まぁ、ぶっちゃけ、物語が面白ければ……1週間で4、5冊はイケたよなァ。
そうそう、一度だけ、祖父ちゃんに訊ねた事があるんだ。
この家に置いてある本は、ぜぇぇんぶ、読んだのかって。
祖父ちゃん、なんて、答えたと思う?