◆蛭山風愛斗の口空記❶(続き)
『青銅の魔人』が置いてあったのは、祖父ちゃん家の2階、昔、父さんが使ってた子供部屋の本棚だ。
まぁ、『本棚』ったって、天井にまで届く、えっらい高い本棚が子供部屋の四方をぐるりと囲っちゃって、ろくスッぽ陽も差さないんだから、部屋壁全てが本棚みたいなモンなんだけどね。
脚立とか踏み台が用意されてる訳でもなし、あんなに高くっちゃ大人だって取るのも一苦労だろうに、並べられた本たちは、全て児童書だ。
内外の名作全集の類いやシリーズ物(勿論、殆どが全巻コンプリート済み)、伝記、歴史物、カラー図鑑やなぜなに百科、子供向けノウハウ本やノンフィクション物、クイズ、とんち、実験物に科学、地理、宇宙、哲学、倫理、法律、宗教等等等。
まぁ、兎に角、無い本は無いね。
『こうのとりさん、おしえて! 赤ちゃんは、どこからはこんでくるの?』なんて、可愛い方だよ。
『こどものための人智学』とかサ。
『子どもカバラ入門』だとかサ。
『魔法博士ジョン・ディーの生涯』なんて、尤もらしい偉人伝なんかもあるんだゼ?
あ、ジョン・ディーって、16世紀のエリザベス朝イギリスで活躍した思想家ナ。
まあ、黒魔術師だの妖術使いだのと言われて恐れられてもいたんだけどサ。
いィや、こんな児童書、どこから見つけてきたの?って、その子どもながらに思ったもんサ。
『図書館並みの品揃え』と謂えば聞こえは好いけど、片隅に置かれた小さなベッドや申し訳程度の勉強机を見てると、ある意味、牢屋に近いぜ?
父さんも、ホントにあんな場所で子供時代を過ごしたんかね。
まあ、あの父親を観てると、確かに頷けるっちゃあ、頷けるんだが。
いや、考えてもみたら祖父ちゃん家は、家全体が本で囲まれた牢屋みたいなモンだったワ。
居間から台所からトイレから、驚くなかれ風呂場に至るまで、大小様々な本棚がトコロ狭しと置かれて、それらに本たちがみっしりと並んで、それでも飽き足らず、階段や廊下の隅々、物置、納戸、果ては天井裏まで改装しちゃって、無数に置いてある本棚に入り切らない無数の本が重ねられ、積み上げられて、難解なモダン・アートのオブジェみたいになってるんだもンね。
よく母さんが言ってたよ。
お義父さんは、きっと、本の生き埋めに遭って、その人生の最期を迎えるんだわって。
あの物凄い量の本が、地震だとか、ちょっとした振動で雪崩のように崩れ落ちてきて、いえいえ、それ以前に、あの大量の本の重みで家全体が潰れて、お義父さんを一気に圧し潰してしまうに違いないわネって。
まあ、要は『自業自得』って言いたかったんだろうナ。
多分の期待を込めて。
あんまし、仲良くなかったんだよな、母さんと祖父ちゃんって。
俺が、祖父ちゃん家に出入りするのを本気で嫌がってたし。
まー、あんな生き方してたら、祖父ちゃん、そりゃあ、嫌がられると思うゾ?
〈息子〉兼〈孫〉且つ〈大学生〉の脛っ齧りの俺がエラそうに言うのも何なんだけどモ。
そうそう、俺の『風愛斗』って名前ね。
あれ、祖父ちゃんが名付け親とか言っちゃったけどサ。
ただ単に、母さんが俺を産んだばかりで、凄ェ体調悪くって、よっしゃ、わしが代わりに出生届出して来ちゃる、とか言っちゃった祖父ちゃんが、役所で好き放題しちゃっただけの話なんだよね。
勿論、父さんが一緒にくっ付いて行ったらしいけど、父さん、当てにならないからさー。
お蔭で、『風愛斗』ョ。
母さん、怒ったらしいぜェ。
激怒も激怒、大激怒で、再入院したらしいもン。
そりゃあ、そうだよナ。
本来なら、『大樹』っていう極々普通の名前になるはずだったんだから。
ダイキがファイトだもんナ。
泣くに泣けんョ。
ホント。
因みに、俺の父さんの名前は『仁来良』。
〈にこら〉って読む。
当然、祖父ちゃんが名付けた。
どこぞのローティーン雑誌から取った名前じゃあないよ。
ニコラ・フラメル。
不老不死の霊薬を創り出したとも云われる14世紀の錬金術師だ。
祖父ちゃんは、この人から頂戴したらしい。
由来を聞かなきゃ、なかなか、洒落たネーミングにも思えっけどネ。
でも、『賢者の石』を造ったエライ人とか言われてもねェ。
父さんが生まれた頃なんて、当然、ハリポタの『ハ』の字も存在しないだろうし、サ。
まぁ、そう言う流れなんだから、母さんも、もうちょっと疑ってかかるべきだったよなぁ。
実際、いちいち、ンな事に関われる状態じゃなかったんだろうけどサ。
それ以来なのか、それ以前からなのか、母さんと祖父ちゃんは、ぶっちゃけ、仲が悪かった。
どっちかっつうと、キーキー言うンは母さんばかりで、祖父ちゃんは馬耳東風のどこ吹く風、「おー、そりゃ、小夜子さんの言う通りだ。わっはっはっ」て感じだったけどもナ。
あ、小夜子って、俺の母さんの名。
なかなか、渋いベ?
まあ、嫁と舅の確執なんて生臭い話は、俺、正直、良ゥ判らんけども、サ。
ホント、わが家族ながら、やれやれって感じだョ。
でも、しゃーないね、今更。
おっと、イカン、まァた話が脱線した。
兎にも角にも、祖父ちゃん家の2階にあった『青銅の魔人』を、偶々、手にしちゃったのが俺の読書修行の始まりだった、と。
そう言う訳サ。
でも、サ。
そう。
そうなんだよなぁ。
俺、どうして、あの本を最初に手にしたのか、未だによく解らないんだよな。
ちゃんと、憶えてないんだ。
まだ子供だったとは謂え、小学2年生ぐらいにはなっていたと思う。
何か、少しでも憶えていそうなモンだよな。
でも、どういう経緯で、それまで足を踏み入れた事もなかった父さんの子供部屋に、俺は、入っていったりしたのか。
祖父ちゃん家の当時の俺の行動範囲といったら、祖父ちゃんを中心とした半径2メートル以内だったかンなぁ。
ホント、俺、祖父ちゃんが好きだったからョ。
ベッタリだったなァ、物心付いてから、ずぅっと。
嘘かホントか知らんけども、聞かせてくれる体験談がスゲェ面白かったし、どの話も、先ァず、スベらんかったしナ。
だから、父さんの子供部屋は勿論、祖父ちゃん家の2階に上がっていった事すら、なかったんだ。
なんでだろう。
ホントに、たまたま、なんだろうか。
インスピレーション?
霊感?
呼ばれちゃった?
まぁ、何かの拍子に、2階へと続く階段を上って行ったとしても、だョ。
それまで、本らしい本なんて教科書程度しか手にした事のない俺が、どうしてまた、『青銅の魔人』なんて本に手を伸ばしたか、だ。
アレ、児童書とは謂え、結構、分厚いゼ?
背表紙の『青銅の魔人』って字面に釣られたのかネ。
言葉のニュアンスに惹かれたとかサ。
いや、それ以前に、俺、ちゃんと読めたんかなぁ。
『せいどう・の・まじん』って。
分かんないです。
ホント、全然、憶えてないや。
でもね、『青銅の魔人』の中身については、物凄く、よォく憶えてる。
兎に角、まあぁぁぁ、そのクソ面白かったコト。
俺は、生まれて初めて、現実と非現実の狭間の存在を知ったんだ。
ん?
ンな、大袈裟な---ってか?
でもね、それまでは〈現実〉も〈非現実〉も蜂の頭もなくって、視るモノ聞くモノ嗅ぐモノ触るモノ、何でもかんでも、兎に角、全てが〈ただそこに在るモノ〉に過ぎなかった。
っつうか、別段、気にしてなかったってのが、正解なんだろうなァ。
流石に、アニメやゲームで描かれている世界と現実社会の区別ぐらいは付いていたんだろうけど、その区別の仕方だって、《画面の中と外》程度だったような気がするのサ。
別の言い方をすりゃあ、『画面の向こう側』と『そうじゃない』側。
無論、自分は『そうじゃない』側で、その『そうじゃない』という認識だって、単に〈アチラ〉と〈コチラ〉って程度で、瞭然と、両者の区別が付いていた訳でもなかったと思う。
例えば、テレビのニュースなんかで事故や火事や災害のリアルな映像が流れていて、多くの死者や怪我人が出ていますっ! なんて声高に説明されたとしても、結局、自分自身は痛くも痒くもない。痛くも痒くもないから、下手すりゃ、数秒後には忘れちゃう。忘れちゃうって事は《そこに無いモノ》で、《そこに無いモノ》だから現実ではないんだよネ。
だけどサ、『青銅の魔人』は、《物語》という〈アチラ〉側、『画面の向こう側』ならぬ『紙面の向こう側』に、俺を、アッという間に引き摺り込んでしまったんだ。