98.土産
総司たちがウルドに帰る時間が近付いてきた。すると、あんなにはしゃいでいたティターニアは急に静かになり、役所の皆のために土産を買っていた総司に突然抱き着いた。自国の姫が自分の店にやって来たことだけでも混乱していた雑貨屋の主人は、目の前で繰り広げられるラブコメに慌て出した。
半泣きで帰らないで訴えるティターニアを宥めた、というよりは総司から引き剥がしたのはヘリオドールだ。「人前ですよ、ティターニア姫様」と優雅に微笑むも、黄金の目は笑ってなどいなかった。対するティターニアも屈することなく、不敵に笑う。
「お父様が帰ってしまうのはつまらないですわ……ライネルとお父様がフレイヤの国に来てくれれば毎日が幸せですのに」
「いくら姫様でも人の部下を勝手に引き込もうとするのは許しませんよ」
彼女から放たれる禍々しいオーラに、客たちは見て見ぬ振りをして買い物を続ける。主人は泥沼の女の争いに、おろおろするばかりでまるで役に立たない。
更に役立たずは、二人の争いの種でありながら猫の置物を眺めている総司である。ああなった女たちには関わりたくないと、いち早く総司の隣に避難していたオボロは乾いた笑いを浮かべていた。
普通こういう時、男は二人の女にどっち派なのかときつもんされるものだが、そういう気配はない。あくまで矛先はお互いにしか向けられていない。それによって発生する険悪な雰囲気に他の人間は思いっきり晒されたとしても。
そして、天然なのか色恋沙汰には超が付くほど鈍感なのか総司までピリピリとした空気が届くことはない。結果として総司は一人で自由に買い物を楽しめるというわけだ。役所の職員のみならず、街の女性からも圧倒的な人気を誇り、彼女たちの雄々しさに困っているジークフリートが彼から学ぶことはたくさんあるだろう。
いいなあ、とオボロは総司に羨望の念を抱く。別に異性にモテたいわけではなく、その空気の読めなさが欲しいなあと思った。
「これはフィリアさん、これはアイオライトさん……これはリリスさん……」
「でも、この状況で他の女の子名前をホイホイ出してたら、いつか刺されるよ総司……」
「……ヘリオドールさんとティアさんにも買ってあげた方がいいんでしょうか。お土産じゃなくて、ただのプレゼントになってしまいますけど」
「止めはしないけど、ちゃんとランクは同じのにしなよ。どちらかが高くなると不平等だって冷戦に突入するから」
オボロの忠告を知ってか知らずか、総司は頷くとぬいぐるみのコーナーを物色し始めた。
手に取ったのは愛らしい黒猫のぬいぐるみだった。流石、女子力の高い男だ。チョイスがいいなとオボロは評価した。
黒猫を籠に入れた総司の視線があるものに注がれた。壁に飾られた絵画である。
鎖で岩石に縛り付けられた男が、頭上から滴り落ちる毒々しい液体を浴びて苦悶の表情を浮かべている、というシチュエーションの絵だった。そのダークさに誰も近付こうとしない。どうしてあんな物を飾ろうと思ったのか、主人に問い質したいところだ。オボロがそう思っていると、総司がとんでもないことを仄めかした。
「あれ……いいな……」
「ランクは同じぐらいのにしろって言ってんじゃん。しかも、あれ非売品らしいから駄目。もう一個もぬいぐるみにしなよ、もー」
「あ、この猫のぬいぐるみは母への土産です。あれは父へあげようと思っていたんですけど、非売品ですか……」
「男にぬいぐるみっていうのもどうかと思うけど、それでもあの絵よか全然マシでしょ……あんなのもらったら悪夢見そうだよ。悪夢でもプレゼントするつもりかい?」
他の土産が美しい花の蝋燭、栗鼠や兎などの小動物などが描かれた小物入れ、美しい蝶の髪飾りと中々凝っているだけに、父親へのチョイスが残念すぎる。同じ男であるジークフリートですら、可愛らしい犬の顔のクッションだというのに。
「……そういえば、ブロッドはどこに行ったの?」
ツッコミ役が少ないと思ったら、あのオーガがいないのだ。
「ブロッド君なら……」
「お待たせだー!」
答えようとした総司の声を遮るように、ブロッドが元気よく店に来店した。大きな紙袋を抱えている所を見ると、どこかで買い物をしてきたようだ。
「鑑定課の皆と妖精の涙の皆へのお土産だ! 皆食べ物がいいって言ってたから……」
「そうなんだ……僕はてっきりあの大臣様に告白するつもりだと思ってたんだけどね」
意外そうにオボロが言う。自らも危険も顧みずにアーデルハイトを助けるために単身、漆黒の魔手のアジトに向かったほどの愛情だ。今、会いに行って気持ちを伝えられなければ、次に再会できるのはいつになるのかも分からないというのに。
怖気づいたのか。しかし、ブロッドの表情はどこか明るく希望に満ちているように見えた。
「アーデルハイト様が大好きな気持ちは変わっていないだ。……もっと強くなってから告白するって決めただ」
アーデルハイトのためなら死んだっていい。あの時、ブロッドは確かにそう思っていた。だが、それでは駄目だと気付いたのだ。ティターニアの涙を見て。弱った体で必死にアーデルハイトが治癒を施そうとしてくれたと聞いて。……その話を聞かせてくれた総司に最後に「もうあんなことしないでくださいね」と言われて。
誰かが助かるなら命を投げ出してもいい。そんな考えはただの自己満足にすぎないのだ。誰も幸せになどなれない。
だから決めた。大切な誰かを自分の手で最後に守り抜けるほど鍛える。そのうえで、自分もちゃんと生き抜いて見せる。一人前の強さを手に入れてからアーデルハイトに伝える。
ほろ苦くもあり、しかし、揺るぎない彼女への想いと友人たちへの思い。
ブロッドの言葉を聞いた総司の口角がほんの少しだけ、上がった。いまだにぐちぐちと言い争いをしている美女二人は気付いていないようで、勿体ないなと思いつつ、オボロは彼の表情の変化に驚いていた。
そして、フレイヤ城の執務室でブロッドの言葉を聞いて微笑む人物が一人。水晶玉を使って彼らを眺めていたアーデルハイトだった。
(楽しみにしておるぞ、ブロッド)
大臣として公務に当たっている時には決して見せない甘さを含んだ笑みを浮かべる彼女の足元にすり寄る暖かな存在。ティターニアが召喚した黒い子犬だ。本来、レースのために召喚された魔物たちはレースが終わると、自動的に消えるのだが、この子犬だけはまだ残ったままだ。姪も可愛がっているようなので、飼うことにしたのだ。
アーデルハイトが手を伸ばすと、子犬は尻尾を振って指をぺろぺろと撫でた。
血相を変えた兵士がノックもせずに入室してきたのは、子犬を抱き上げようとした時だった。
「アーデルハイト様、大変です。漆黒の魔手の取り調べで、厄介なことが起こりました」
「どうした?」
「実は……」
兵士から語られる内容に、アーデルハイトの穏やかだった表情はみるみるうちに硬いものへ変化していく。
それはこの誘拐事件がまだ終わりではないことを示していた。
数日後、総司がいたのは、雑木林の中にある例の本屋だった。そこには相変わらず奇妙な書物と、その変を歩いていたら職質確定の半裸のマッチョがいた。
マッチョの店主のテンションは通常運転だった。つまり、うるさい。
「私ガ召喚!? NOOOOOOOOO!! 何ノ話YO!!」
「じゃあ、つまりアブドゥルさんはレースで僕に召喚されていなかったと……」
「イエース!! チェケラァ!!」
「そうでしたか。では、失礼しました」
総司はため息をつくと、一礼してから本屋を後にした。本から聞こえてくる謎の呻き声を軽くスルーして。
きっかり二分後。本屋に入って来たのは白い髪の美青年だった。
「こんにちはー、アブドゥルさん」
「HEY、マフユ様!! アナタ、私ノ振リシテ『アスガルド』行ッチャ駄目!! 私怪シイ人ッテ思ワレチャウゥゥゥゥゥゥゥ!!」
「アブドゥルさんは、いつでもどこでも何してでも怪しく見えるから心配いりませんよー」
胸筋肉をぴくぴく動かして抗議する自分の部下に、「あはは」と無邪気に笑ってからマフユは棚から適当に本を一冊抜いた。ページを開くと、飛び出てきた血みどろな上に肉が腐りかけた手。
顔を抉ろうと襲いかかってきたそれの指を掴み、骨をへし折るマフユに、怒りがある程度冷めたアブドゥルが聞いてみた。
「デ、ドーデシタ? 久シブリ二彼トスゴシタ感想ハ?」
「楽しかったに決まってるじゃないですかあ。人間だったりエルフだったりオーガだったり種族はバラバラなのに、助け合って笑い合って……こっちの世界じゃ同じ人間がくだらない理由ばかりで殺し合いをしてるのに、不思議だね」
「マフユ様ガ楽シソウナラ私モ嬉シイ、フゥゥゥゥ!!」
「ありがと、アブドゥルさん。でも、ちょーっと気になることがあるんですよねえ。単に皆と遊びたくて向こうに行っただけなんですけど、嫌なものに気付いちゃって」
マフユの色白の顔から笑みが消えた。瑠璃色の瞳がうっすらと細められる。
「アーデルハイトちゃんを誘拐しかけた一味の中に妙な魔力を持つ者がいました。そんなはずはないと思ったんですけどねえ……」
「妙ナ魔力……?」
「そう。僕が誰よりも優しいと思い、誰よりも愚かだと思った『あの子』とよく似た魔力でした」
指が様々な方向に曲がってしまった血濡れの手が、ゆっくり本の中へ戻っていく。
(恐らく)呪いの魔導書の攻撃を撃退したマフユは遠くを見据えるような眼差しで、とある人物の名前を囁いた。
「レーヴァテイン……」
かつてアスガルドを最も愛し、最も憎んだ者の名だった。
長かった今章終了でございます。
次は本編の話に行く前にまたヘリオドールの家事件のような短いネタになります。
多分、リリスかアイオライトがヒロイン。




