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96.忠告

「何ですの? あのあんまり可愛くない兎は……」


 総司の頭の上に乗った栗色の兎にティターニアは首を傾げる。彼女は兎は兎でも垂れ耳派で、ぴんと天に向かって生えた耳は射程範囲外だった。喋るということはただの兎ではなさそうだが……。

 とりあえず総司に危害を加える前に離した方が良さそうだろう。そう考えていると、アーデルハイトが呆然としているのが分かった。視線はまっすぐ兎へ向けられている。


「な、何故、あの方がアスガルドにおるのじゃ……」

「アーデルハイト様のお知り合いですの?」

「こ、このうつけが! ハイエルフ、エルフの神であるエリクシア様じゃ!!」


 珍しく声を荒げた叔母に、姪は自分たちにとってあまりにも偉大過ぎる存在らしい兎を数秒間見詰めた。見詰めた後に、絶望に満ちた表情で口元を両手で押さえた。


「垂れ耳じゃありませんわ……!」

「だから何だと言うのじゃ!? そちにとって重要なのはそこか!?」

「私の愛読している魔導書に載っているエリクシア様は愛らしい垂れ耳の白兎でしたわ!」


 レースで優勝して実際に会えたら、好きなだけ撫でるつもりだったのだ。本の記載された絵と異なる実物に、ティターニアは大いにがっかりした。

 だが、彼女よりもがっかりしたのはエリクシアだった。神だということを誇示するつもりは更々ないが、こんな反応をされてしまうと虚しさというものを覚えてしまう。

 この姫は将来大物になるな、とぼんやり思いつつ、総司の頭の上から降りてブロッドの元へ向かう。アーデルハイトが我に返ったように膝をつき、頭を下げた。こちらとは十年前、一度だけ会っていたが、ちゃんと記憶に残っていたようだ。


「姪のご無礼、お許しください……」

『構わないさ。随分と勇敢な心を持っているようで嬉しい。大して世界に干渉することも出来ない神などに崇拝する価値はない』


 寂しげに呟いたエリクシアがブロッドの顔に鼻を近付ける。総司は鞄の中から人参を取り出し、ふんふんとブロッドの匂いを嗅ぐ栗色の兎に差し出した。


「食べるならこれを食べてください」


 どうやら、ブロッドが食べられてしまうと勘違いしているようだ。エリクシアは溜め息をついた。

 まだ微かに息をしている生物の肉など誰が食べるものか。総司の手から人参を奪い取り、ポリポリとかじる。不思議とこの少年の用意する人参は甘みが強い。ウトガルドで栽培されている種だからかもしれない。


『私が来たのは、あの真っ白いのに頼まれたからだ』


 ブロッドの体が目映い光に包まれる。冷えた心と体を暖めてくれる陽光のような、眩しくもあり、安心感を与える光だった。

 光はブロッドに劇的な変化をもたらした。治癒魔法を受け付けることのなかった傷が塞がっていく。火傷も消えて巻き付いていた蔦が痙攣した後に萎れた。

 毒と出血のせいで悪かった血色も回復していった。ハイエルフの治癒魔法をも拒絶した猛毒もエリクシアの力には敵わなかったのだ。


「んん……? オラ……どうしただ……?」


 やがて、静かに開かれた瞼と戸惑うような声に、ティターニアの瞳からは大粒の涙が次から次へと零れた。


「ブロッド様ぁ……! 良かったですわ!!」

「ひ、姫様!? どうし……おうっ!?」


 勢い良く抱き着いてきたティターニアに、ブロッドは何とか状況を把握しようと必死だ。酷い身形だが、アーデルハイトも目覚めているということは最悪の事態は避けられたのだ。死んだと思っていた自分がどうして生きているのかは分からないが。


「ティターニア様とアーデルハイト様が治してくれただ?」

「いえ、こちらにいるエリクシア様ですわ」

「え?」


 ブロッドは不思議そうに声を上げた。ティターニアの視線の先には、誰も、何もいなかった。


「どこに……いるだ?」

「ここですわ!」


 ティターニアがエリクシアを抱き上げて見せつける。だが、ブロッドには彼女が物を抱える動作をしているようにしか見えない。

 困惑するティターニアに、エリクシアが宥めるように言った。


『私の姿はエルフや魔力が非常に高い者にしか見えない。仕方ないさ』

「でも、お父様には見えますわよ」

『黒髪は……まあ、訳があってな』


 エリクシアの黒い瞳の先には、ブロッドと話し込む総司がいた。


「怪我はもう大丈夫ですか?」

「エリクシア様って人に助けてもらってピンピンしてるだ! それに……オラを助けてくれてありがとうだ」


 結局、また総司に守られてしまった。苦笑するブロッドに、総司が何でもないような表情で言う。


「とってもかっこよかったですよ、ブロッド君」

「そ、そうだ? うへへ……」


 褒められた。総司に褒められた。嬉しさのあまり、緩んでいくブロッドの顔。

 すると、慌てた様子でティターニアが総司に掴みかかった。ブロッドが羨ましく見えたのか、自分も褒めろと言うように質問攻めを始めた。


「お父様、私はどうでした!? 炎を消した私の勇姿はちゃんとくださいました!?」

「ティアさんはかっこいいというより綺麗な人です」

「嫌ですわー! ブロッド様ばっかりかっこいいって言ってもらえるなんて狡いですわー!!」


 じたばたと暴れるティターニアをアーデルハイトが後ろから押さえる。情けない、と呟いて。

 騒がしくなった一同を見回し、エリクシアは再び総司の頭へ飛び乗った。着地の瞬間、総司の首がグキッと変な音を立ててブロッドを心配させる。


「ソウジ君、何かヤバい音がしただ……」

「エリクシア様、僕の頭はクッションじゃありません」

『まあ、それより聞かせてくれんかの。お主はあやつらをどうすればいいと思う?』


 あやつら。それは暴走したブロッドに倒された漆黒の魔手のメンバーだった。皆まだ息はしているものの、放っておけばいずれは死ぬ。

 自らの所業を思い出しブロッドは俯き、ティターニアは目を吊り上げた。


「何ですの、エリクシア様? ブロッド様はアーデルハイト様を守るために……」

『知っておる。で、私は黒髪がどうして欲しいか聞いておるのだが』

「……助けてもらえると嬉しいです。もし、死んでしまったらブロッド君が悲しむと思いますから」


 総司の返答にブロッドは顔を上げる。

 虫の息だった男たちの体も輝きを放ち、ブロッドが与えた傷が癒えていく。その様を見たアーデルハイトは目を見開いた。

 自分に無体を強いた者共が助かることに関してはいい。心の優しいオーガが人殺しという罪を背負わずに済んだのなら。

 だが、どうしてエリクシアは彼らに治癒を施したのか。過去の文献の中にもエリクシアがアスガルドで力を使ったという伝承はない。

 総司が治して欲しいと言った。それだけで神が慈悲の手を差し伸べるなど……。


『銀髪のハイエルフ、私は深い理由からあの馬鹿共を治したわけではないぞ』


 エリクシアは思考の海にいたアーデルハイトに声をかける。


『私はこの黒髪に以前助けられた礼として力を使っただけだ。……随分前の話になるがな』

「僕ですか?」


 エリクシアの前足で頭を叩かれた総司が自分を指差す。そして、そのことを思い出そうとしているのか、無言になる。

 そのまま三十秒ほど経っても口を開かずにいる少年に、兎は『思い出す必要はない』と柔らかな口調で言う。その体は徐々に透け始めていた。


『私はパラケルスス以外の世界には長くはいられない。そろそろ時間が来たようだ』


 魔王と変貌し、自身が愛した世界を壊そうとした三界神の一人、レーヴァテインが消滅して『取り決め』は失われた。そのおかげでアスガルドに行き来してそれなりに行動を起こせるようになっていたが、エリクシアは十分ほどが限界だった。

 『あちら』の方はエリクシアより強い力を持っているおかげか、そんな制約すらないようだが。


「エリクシア様、僕はあなたに何かをした覚えはないんですけど……」


 消える寸前のエリクシアに総司が尋ねた。それについてはエリクシアが答えることはなかった。


『黒髪、気を付けろ。アスガルドは滅びに向かって歩き出しているようだ』


 その代わりに、忠告めいた言葉を告げる。意味深な言葉に総司とティターニアは首を傾げ、アーデルハイトの顔は険しくなった。ブロッドは三人の反応に狼狽えるばかりだ。


「お待ちください、エリクシア様。もしや、私の誘拐も関連して……?」

『そこまでは分からん。私も世界全てを見ているわけではないからの。ただ、嫌な感じがする。何が起きてもおかしくはないぞ。だからな、黒髪』


 最後にエリクシアは総司の足にすり、と顔を擦り付けた後に強い口調で言った。


『お主は何も変わってくれるなよ。お主だけは昔とまるで変わらないままでいろ』

「? はあ……」

『安心しろ。万が一、黒髪に何か危機が迫った時は、白いのが助けに来てくれるだろう。あれはお主のためなら何でもする変人だからな』

「あの、全然話が見えないんですけど」


 一人で勝手に話していく兎に流石の総司も抗議の声を上げた。だが、エリクシアは相変わらず、肝心なことは一切語ろうとはせず山吹色に発光すると、光と共にその姿を消してしまった。


「パラケルススに帰ってしまいましたわね……」


 最初は微妙だったが、見れば見るほど可愛く見えてくる神様だった。ティターニアは消えた光の暖かさを思い出し、微笑んだ。

 アーデルハイトは総司に駆け寄り、先程の会話について問い詰めようとしていた。


「どういうことじゃ、ソウジ。何故、そちがハイエルフでも王族だけが謁見を許されるエリクシア様と知り合いなのじゃ!?」

「一度、パラケルススに行った時にお会いして、人参はあげましたけど……」

「に、人参を与えた程度で礼として治癒魔法を施すかの……?」


 アーデルハイトが脱力していると、天井の穴から若い青年の声が響いた。全員の視線が集中するそこから、狐の獣人の青年が降ってきた。

 青年は総司とティターニアを見るなり、仰天した。


「ソウジ!? 姫様も何でここにいるの!?」

「ブロッド君を助けに来ました」

「遅いですわよ! お父様と私がいなかったらどうなっていたことか!」


 頬を膨らませて抗議するティターニア。反論出来ず、オボロは忌々しそうに吐き捨てた。


「悪かったね! こっちだって思ったより中が広くてここを見付けるのに時間がかかったんだよ!」

「……そういえば私もお父様と屋敷に入った時に分かれてアーデルハイト様たちを捜しましたけれど、お父様は先に着いてましたわ。よく見付けられましたわね。私もちょうど真上の部屋にいなかったら気付きませんでしたわ……」

「勘です」

「勘って君ね……」

「お父様はやっぱりすごいですわ」


 下に降りる手間を省くために天井を破壊してショートカットした姫もすごい。とりあえずあちこちでのびている男たち――恐らく漆黒の魔手を連行しよう。そう思っていたオボロは、はっと総司とティターニアとブロッドの三人を見た。


「君たち……レースは……?」


 引き攣った笑みを浮かべたオボロの質問に、総司とティターニアは顔を見合わせた。


「「あっ」」

あと二話で今章終わります。


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