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94.紅のち黒



 自分は化け物でも相手にしているのだろうか。男は込み上げる恐怖で奥歯をカタカタと鳴らし、目の前にいる『それ』を見た。

 『それ』は最初見た時は見かけ倒しにも程がある気弱なオーガに過ぎなかった。しかし、凌辱を受けるアーデルハイトを見た途端、豹変した。

 オーガとは獣人ともエルフとも違う種族で、一度憤怒させてしまえば周囲の者達を全て殺し尽くすまで怒りの炎が消える事はない。アーデルハイトは、あのオーガが狂気に染まる引き金だったのだ。

 だが、男が今怯えているのは彼ら種族の獰猛な性質に対してではない。


「どうしてまだ生きてんだよ……?」


 氷の棘で全身を串刺しにした。灼熱の炎で全身を焼いた。今も不気味な紫色の蔓を体に纏わり付かせ、その棘で皮膚を破り、そこから猛毒を注入している。

 なのに、崩れ落ちることなく、殺気を孕んだ眼で睨み付けることも止めない。こちらが圧倒的有利のはずなのに、恐怖と焦りは膨れ上がるばかり。


「アーデル……ハイ……さ、ま……」


 血の滴る唇から漏れ出すブロッドの声に、男はついに一歩後ろに退いてしまった。先程までの余裕は完全に失われていた。

 ブロッドの体力はもうほとんど残っていない。体の至るところに穴が空き、そこからは耐えず鮮血が流れ続ける。肌は焼け爛れて激痛に苛まれている。毒は一分も経たない内に全身に回り、強烈な嘔吐感、酩酊感が襲い、頭は割れるように痛い。

 それでも、ここで倒れるわけにはいかない。ブロッドは弱々しい呼吸を繰り返し、男の傍らに横たわる美しいハイエルフへ視線を向けた。彼女が男達に襲われる光景を目にした直後に飛んだ意識は、傷付くにつれて徐々に戻ってきた。気が狂いそうな痛みが皮肉にも思考を冴えさせてくれる。


(きっと……誰かがこの場所を見付け出してくれるはずだ……)


 咳き込むと、どす黒い血が足元をべちゃっと汚した。もうここから一歩も動けない。自分にはあの男は倒す事は出来ないだろうとブロッドは悟っていた。

 だからといって何もせず、倒れるわけにはいかないのだ。


(その誰かが来るまでオラは……)


 足止め。それがブロッドが出来る唯一のこと。その後、アーデルハイトが助かるのなら自分はどうなってもいい。そんな考えすら浮かぶ。ブロッドは不思議な気分に浸っていた。

 いつも怖い思いばかりをしていた。ウルドにやって来たティターニアを漆黒の魔手の追っ手から救い出したのは総司で、ブロッドは何も出来ずにいた。総司とは闇夜の館にも行き、そこでも一人で幼子のように泣きじゃくるばかりだった。


(そんなオラが……好きな人のために……ここまで頑張っているだ……)


 自分の手で守りきる事は叶いそうにないが、これで少しは総司に近付けたのではないだろうか……。

 総司はティターニアと共にレースに優勝すると言った。自分のために。あの二人なら本当にやってくれそうな気がする。


(でも、優勝しても多分オラはアーデルハイト様に告白出来ないだ……ソウジ君……ティターニア姫様……ごめんなさいだ……)


 異世界の人間と、異国の姫君。そんな彼らと自分が釣り合う存在だなんてとても思わない。

 だが、ブロッドにとって二人は紛れもない友人だった。大切な友人の思いを無下にする事を許して欲しかった。


「な、何で死なねえんだよ、クソオーガ……!」


 最期の覚悟を決めたブロッドの一方で、男は金色の指輪を抑えながら震えていた。どうせオーガに追いかける気力はない。今すぐアーデルハイトを連れて逃げてしまえばいい。

 そう思っているのに、男の足もまたブロッドと同じく地面に縫い付けられたように動かない。

 違うのはブロッドは愛する女性のため。男は純粋な恐怖から。

 もし逃げた時に追いかけてきたらどうする?

 そんな可能性がないとも言い切れない。

 だったらやる事は一つ。ブロッドを完全に殺すしかないのだ。

 もう一度指輪の力を借りて魔法を使おうとした時だった。奥の部屋から白いフードを深く被った人物がぬっと姿を現した。表情は窺えないものの、密かに様子を見ていたのか、その者がこの異様な状況に驚く様子はなかった。


「おや……たった一匹のオーガ如きに随分と苦労されているようで」


 魔法で声帯を変化させているようだ。男か女かも分からない不気味な声が男を貶した。

 男は白フードの者に対して怒りを向けることは出来なかった。何故なら、この人物こそが漆黒の魔手に資金を与え、再生の手助けをしてくれた『協力者』の使者なのだから。

 だが、怒りは完全に押し潰せず、男が盛大に舌を打つ。白フードの者は煽られず、それどころか嘲笑の声を上げた。その雪のように白い布の奥には、さぞや愉しげな笑みがあるだろう。


「くそっ! あんたも見てたんなら、あのオーガを殺すのを手伝えよ!」

「手伝え? 私たちはあなた方が今回の計画がスムーズに進められるように道具を授けたではありませんか。あれと……それを」


 白フードの者が枯れ枝のような指で差したのは、アーデルハイトの首に填められた首輪と男に絶大な魔力を注ぐ黄金の指輪だった。


「それに城とこのアジトを繋げる転送魔法を用意したのも私。ここまでしておいてまだ何かさせようと?」

「う……うるさい! 俺はまだあんたらが漆黒の魔手にアーデルハイトを誘拐するように依頼した理由を聞いてねえぞ!」

「どうでしたかな?」


 白フードの者はしゃがみこむと、アーデルハイトの頬を指先でそっと撫でた。その何でもないような仕草に男は得体の知れない不快感を覚える。

 崩壊しかけた漆黒の魔手を救いを差し伸べたのは、白フードの者の背後にいる『存在』だった。かつてのリーダーだったバイドンを尊敬していた男から見ても、今の漆黒の魔手には何の力もない。そんな残党共に大金を注ぎ込んだ彼らは、それと引き換えにアーデルハイトの誘拐を要求したのだ。その狙いと目的は明かさずに。

 これにはメンバーたちも困惑した。もしかしたら自分たちを一網打尽にする罠ではないのかと疑いの声を上げる者もいた。

 だが、協力者たちが持ちかけてきた話にはまだ続きがあった。アーデルハイトを誘拐すれば、ユグドラシル城に囚われているバイドンをも助け出すとも案を出されたのだ。


「俺たちはあんたらを信用してはいる。ここまでしてくれたんだ、今更俺たちを売る気がないのは分かってる」

「それは嬉しいお言葉ですね。ならば、何の疑問を抱かずに働いてものですがねえ」

「でもよ、せめて俺らを、バイドン様を助けてくれようとしている理由だけでも教えてくれ。こんなことをしているのがバレたらどうなるか分かってんだろ? 特にフレイヤにバレたら、あんたらの国は……」

「お喋りはここまでです。まずはあのオーガを殺しておきましょう」


 白フードの者がもはや虫の息のブロッドを指で差す。指の先に現れたのは、炎の力で生み出された円弧状の刃。大きさはそれほどでもない。しかし、これで十分だった。


「いくら貫いても、いくら焼いても、いくら蝕んでも死なないなら、首を切り落としてしまえば良いのですよ」


 ブロッドの意識は消えようとしていた。こちらへ向かってくる炎がやけにゆっくりに見える。禍々しいまでに紅い炎。あんなものが最期に見るものだと思うと、ほんの少し寂しい。

 視覚さえ機能しなくなったようだ。やがて視界は黒く染まっていった。


「……………?」


 違う。まだブロッドの両目は光を失っていない。

 突然現れた黒の正体は、ブロッドを守るように炎の刃の前に立ちはだかった少年だった。見慣れた黒髪と黒服。血で汚れたブロッドの口元が安堵で緩む。

 瀕死のオーガの首を刈り取るはずだった紅き刃。それは少年が持つモップの柄によっていとも簡単に弾かれ、消滅したのだった。


「……僕の大切な友達をいじめないでください」


 直後、ブロッドはいつもよりも低い彼の声を聞きながら瞼を閉じた。

ブロッドがヒロインに昇格した……

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