93.贈り物
フレイヤ城の中でも長年使用されていなかった空き部屋。その奥ではぽっかりと空間に黒い穴が生じていた。監禁されていた兵士たちの証言を聞いて復元したものだった。
ヘリオドールは穴に向かって杖を突き付けながら、先ほどから何かを持っているオボロに話しかけた。
「オボロ、それ兵士が填めさせられてた首輪じゃない。気味が悪いから早く捨ててよ」
「……気になるんだよ」
「はあ?」
首輪の効能は恐ろしいが、一度外してしまえばただのガラクタとなる。だが、オボロはその首輪を険しい表情で見詰めていた。
「ヘリオドールはこの首輪を作ったのは誰だと思う?」
「そりゃ……漆黒の魔手じゃないの?」
「でも、これは多分、相当腕の立つ魔術師じゃないと作れない代物だ。漆黒の魔手はバイドンを除けば魔術師なんて雑魚ばかりなんだよ」
苦々しく語るオボロにヘリオドールも青年が何を言おうとしているか悟り、顔色を変える。
――漆黒の魔手には、協力者がいる。
「考えてみればバイドンがいなくなったあとの漆黒の魔手には、ほとんど力が残っていなかったはずなんだ。にも関わらず、急に動き回るようになった……奴らに手を貸している誰かは首輪を授けただけじゃない。以前から資金も出していたんじゃないかな」
オボロの推測にヘリオドールだけでなく、その場にいた兵士たちもざわめき始める。
そして、ヘリオドールの脳裏にはアーデルハイトの姿が浮かんだ。
「まさか……その協力者の狙いはアーデルハイト様?」
「……それもどうかな」
国の重要人物の身柄を欲しがる者は山ほどいるだろう。組織の崩壊の一因となったティターニアを憎む漆黒の魔手の心理を利用し、アーデルハイトの誘拐を促したとしてもおかしくはない。
だが、オボロはどこか引っかかりを覚えていた。
「ヘリオドール……君はこの計画が稚拙過ぎると思わない?」
オボロは空間の穴を強く睨み付けた。
「僕がその協力者だったら、挑発するためにこんなところに穴なんて作るような頭の悪い連中を頼りになんてしないね。崩れかかっていた犯罪組織を立て直す金を使ってもっと有能な連中を雇いたいものだよ」
「そういえば……」
ヘリオドールも穴へと視線を向ける。穴を蘇らせるなんて予想外だったのかもしれない。だが、フレイヤは魔法に長けたエルフやハイエルフが住まう国だ。それを念頭に置かなかったのだろうか。
数秒間思案してから、ヘリオドールはあまり気にしていなかった違和感を口にした。
「この穴も復元しやすかったわ」
「しやすかった?」
空間に僅かに残った魔法による歪みを探し出し、再生させる作業にはフレイヤの魔術師と共にヘリオドールも参加した。そんな彼女だからこそ気付けた不審な点があった。
「転移魔法っていうのはかなり上級者向けの魔法なの。別な空間同士を接続させるなんて簡単なことじゃない。だから、これを使えるってことはかなり腕のある魔術師よ」
「つまり?」
「……そんな奴が空間に歪みを残すような失敗をするとは思えないの。私たちを挑発してわざとやった……っていうのもあるかもしれないけど」
下手をしたら計画そのものが破綻しかねない。そこまでやる必要はない気がした。
単に転移魔法の経験がなく失敗しただけではないのか。オボロはそう思ったのだが、少しだけ発想を切り替えてみることにした。
わざと転移魔法を復元しやすくしたことに、挑発以外に理由があるか。アジトに誘き寄せて始末するにしても、メリットがないように感じられる。
「……捕まっても構わないってことか?」
ぼんやりとしながら呟いたオボロに、ヘリオドールは「それ、あるかも」と声を上げた。
「最初から誘拐が成功しても失敗してもいいって思って……ううん、逆に捕まった方が好都合だとしたら……」
「どこに行くの、ティターニア!?」
ヘリオドールの声を遮るように、廊下からフリッグの声が聞こえた。ヘリオドールとオボロは顔を見合わせて部屋から飛び出した。
フリッグは兵士に囲まれた状態で、水晶玉を両手に抱えながら覗いていた。アーデルハイトの身を案じつつ、娘の様子をずっと窺っていたらしい。
「フリッグ様、ティターニア様がどうしたんですか!?」
まさか、彼女の身にもとヘリオドールが血相を変えて聞く。フリッグは混乱した様子で水晶玉をヘリオドールに覗き込ませた。
「あの子まだレース中なのに……」
ティターニアが総司と共にコースから外れ、人混みの中へ消えていく。オボロは呆れた表情で口を開いた。
「まさかとは思うけど、誘拐のことを知って助けに行くつもりじゃないよね……?」
「助けに行くって……どうやってよ」
二人は城とは逆方向に爆走していた。今のところ、転移魔法を使う以外にアジトに向かう方法はないはずなのに。
独自に場所を突き止めたのだろうか。水晶玉の中の二人を注意深く見ていたヘリオドールはあることに気付く。
総司たちの前をあの半裸の男が先導している。隣には妙なスライムが男に寄り添うようにいた。
男の首がくるり、と動く。男の瑠璃色の瞳と視線が合う。
男の口が何か言葉を紡いだ。
こんにちは。聞き覚えのない青年の声がヘリオドールの鼓膜を緩やかに刺激した。
「……ヘリオドール?」
急に表情を凍り付かせた魔女をオボロが訝しそうに呼ぶ。彼女の杖が白い煙に包まれ、箒となった。
「私……総司君たちのところに行ってくる!」
「え……えぇ!? 今からアジト行くのに何言ってるんだよ、君は!」
「向こうにもティターニア姫様がいるでしょ! レースから抜けた以上、誰かが見張ってないと!」
叫びながら箒に跨がり、廊下の向こうへと飛んでいくヘリオドールを追いかける間もなかった。どんどんと小さくなっていく紫色のローブに、オボロは諦めたように溜め息をついた。
彼女の言い分も間違ってはいない。一人ぐらいいなくても何とかなるだろう。オボロは部屋の中に戻っていった。
ヘリオドールの瞳に怯えの色が宿っていることに気付かずに。
(何なのよ、あの男……)
ヘリオドールはバルコニーから外に飛び出した。レースも佳境ということもあって、城下町は人々で埋め尽くされている。総司たちが向かったのは、人気の少ない路地だ。
ティターニアの名前を出しておきながら、ヘリオドールの脳裏によぎるのは、あの半裸の男だった。男の瑠璃色の目は確かにヘリオドールを見ていた。彼は自分たちが見られていることを気付いていたのだ。
男からは邪悪な気配は全く感じられなかった。ただ、見えぬ正体に寒気を感じた。
(総司君……)
男の後を追いかける総司を見てヘリオドールはこう思ったのだ。
連れて行かないで、と。
「本当にこっちで合ってますの!?」
「イエーーーイ! オーケィオーケィ!!」
ティターニアの呼びかけにアブドゥルが陽気に答える。ティターニアが彼に対して芽生えた疑念はまだ晴れていないものの、今頼りに出来るのはアブドゥルだけだ。それに総司が召喚したのだから悪人ではないだろうと信じることにした。
その総司はと言えば、先程から何度も自分の頭を擦っている。頭痛が治まらないようだ。顔には出していないが、不調を訴える様子にティターニアは表情を曇らせた。
「お父様、大丈夫ですの? 無理しないで……」
「そこまで酷くはないので気にしないでください。でも、僕って偏頭痛持ちじゃなかったはずなんですけどね……」
「ソレ、多分私ノセイデース!!」
悪びれることなくアブドゥルが叫ぶ。ティターニアがどういうことかと問い詰めるより先に、先頭を走っていた変質者の足が止まった。
そこは路地裏への入口だった。周囲にも全く人影がない。
しかし、アジトらしき怪しい建物はどこにも見当たらない。どこを見ても民家ばかりだ。人がいないのも、単に皆レースを見に行っているから。
ティターニアは頬を膨らませた。
「こらー! ちゃんとアジトの場所を教えるのですわ!」
「ダカラ、ココヨ、ココ」
アブドゥルはそう言って、隣でぐねぐね動いていたショゴスに何やら話しかけた。それは呪文のように聞こえたが、ハイエルフで多くの魔導書を読んできたティターニアですら理解出来ない言語だった。
「テケリ・リ!」
ショゴスが大きく痙攣を始める。粘液のような体はぶるぶる震えながら縮み、細長い棒状のものへと変化していく。その先端には白くて太い毛糸にも似た物体が無数についている。
総司が「おや」と少し驚いた声を上げた。
「これ、モップですか。随分と殴……掃除しやすいデザインですね」
「『総司』君ナラダイジョブダト思ウケド、一応ネ! 護身用ヨ!」
モップを受け取りながら総司は、モップとアブドゥルを交互に見た。
「……アブドゥルさんって僕が間違えて召喚してしまったんですよね?」
「イエース」
「どうしてここまでしてくれるんですか? どこにでもあるような本屋の店主さんが、ただの客の僕に……」
総司の質問は色々とずれていた。
アブドゥルはそんな少年の問いかけに、にんまりと笑みを浮かべて何もない空間を人差し指で引っ掻くような仕草をした。
その瞬間、硝子が砕けるような音と共に、周囲の景色が崩壊した。見ていたもの全てが破片となって空間から剥がれ落ちていく。
そして、偽りの風景に隠されていたのは、一軒の何の変哲もない屋敷。だが、外からでも感じる異様な魔力にティターニアは顔色を変えた。
「アブドゥル様、どういうことですの?」
「空間魔法ってとこです」
アブドゥルの声がまた若い青年のものに変化した。
「さっきまで見ていた光景は魔法で作った偽物。いっやあ、すごいなあ。こんなすごい魔法を使えるなんて僕びっくりしちゃいました。これだけの使い手があーんな盗賊の中にいるなんて考えられないなあ」
「え? それって……」
「ホラ、早ク迎行ッタ行ッタ!」
アブドゥル、いや『誰か』は首を傾げるティターニアの背中を押して促した。まだ聞きたいことはあったが、今はブロッドとアーデルハイトだ。ティターニアは後ろ髪を引かれる思いで、屋敷の入口に向かった。
総司もモップを手に、ティターニアの後を追いかける。『誰か』を一瞥してから。
「……君のさっきの質問に、答えるのを忘れてたね」
二人が屋敷の中に入っていくのを見送るアブドゥルの姿は既にアブドゥルではなく、別の人物となっていた。そこに変態はいなくなっていた。
「君は覚えてないだろうけど、君は僕の初めての友達なんだよ。総司君」
花の香りを含んだ風が、彼の雪のように白い髪を静かに揺らした。




