81.叔母と姪
ちなみにティターニアの恋人であるライネルは、彼女の変わり果てた姿を見て「前よりも凛々しくなった」と語っている。器が大きくなければ思い付かないコメントである。その優しさと現実から目を逸らさない心の強さが彼が美しい宝石細工を生み出す秘訣なのかもしれない。現実から裸足で逃げ出して、何とか長所を見出だそうとした結果、凛々しいというプラスな言葉を思い付いただけの可能性もあるが。
「まあ、ここが鑑定課なのですね」
相変わらずロボットのような足音を立てながら辿り着いたのは鑑定課。ライネルの店である妖精の涙の常連客ブロッドの所属する課だった。
鑑定の品を持ち込んできた冒険者は勿論、それを運んだり冒険者の応対をしていた職員もハイエルフの美少女の登場にぽかん、と口を開けたまま固まっている。どうやらこちらにはまだ話が行き渡っていなかったようだ。
「おいおい何だよ、その可愛い女の子。何であんな重量感ある音させてんの? 役所滅ぼしにきたの?」
「ソウジ、この子誰?」
「フレイヤの国のお姫様のティターニア様です」
苦笑いを浮かべながら聞いてきた職員たちが凍り付いた。周りの職員や冒険者は正気に戻ると、ティターニアを間近で見ようと一斉に群がった。それに対して目くじらを立てたのはヘリオドールだ。
「あんたたち何なのよ。ティターニア姫様は見世物じゃないんだけど」
「なあ、お前はヘリオドールとティターニア姫様どっちが可愛いと思う? 俺は姫様」
「俺はヘリオドールだな。でも、可愛いっていうよりは、あの強気な性格をへし折って鳴かせたいかも……」
職員の物言いにヘリオドールが無言で杖を宙から出現させて構えようとする。それを阻止するべく総司が杖を取り上げようとする。
「冷静になってくださいヘリオドールさん。ここで喧嘩は駄目です」
「離せぇぇぇぇぇ!! せめてあいつの息の根は止める!!」
「止めるなら人気のない場所の方がいいですよ。ここは目撃者が多すぎます」
「あ、それもそうね」
完全犯罪を促す総司の横で何もなかったかのように、ティターニアが鑑定課の職員に尋ねた。
「そういえば、ブロッド様は?」
「あいつは今日は非番です。何か御用でしたか?」
「いいえ、ただ顔を見たかっただけですわ。……はっ」
王族の娘らしく穏やかに、けれど友人の一人との再会を果たせず寂しげに微笑んでいたティターニアの表情が変わった。姫から歴戦の戦士に顔付きが変わった。
一体何事。周りにいた野次馬たちが姫君が纏っていた雰囲気ががらりと変わったことに戸惑っている時だった。
事務用の机の上にあったティーカップがカタカタと揺れ始めた。誰かが机を動かしているわけでも、地震が起きているわけでもない。
そして、正確に言えば揺れているのはティーカップそのものではなく、中に注がれていた紅茶だった。
「皆さん伏せてください!!」
ティターニアの叫びに促されて全員が言う通りにする。ティーカップの揺れは増していき、珀色の液体が零れて床に滴り落ちた。はずだった。
紅茶は床に落ちるよりも先に、無数の水の珠となってティターニアへと襲いかかった。ヘリオドールが杖で結界を張ろうとするが、ティターニアが動く方が早かった。左右合わせて百キロの金属のブーツと無数の鉄球の重みをものともせず、天井付近まで跳躍して後方に飛び退く。
直前までティターニアが立っていた場所に水の珠が次々に降り注ぐ。床は穴だらけとなっていた。
ティターニアはどこから取り出したのか、太い針を数本指の間に挟み込んだ状態で周囲を見回した。そして、狙いを定めて針を放った。
「そこですわ!」
ティターニアが投げた針の先にいたもの。それはなんと床に伏せていた冒険者の男だった。だが、男は迫る攻撃に恐れを見せず嘲笑した。針が冒険者の眼前に現れた結界によって弾かれてしまう。
「まだまだ甘いぞ、ティターニア」
冒険者の口から放たれた煽るような声は、明らかに女のものだった。
しかも、結界で弾かれた針はその場に落下せずに、持ち主に向かっていった。そのスピードはティターニアが放った時よりも遥かに早い。
ヘリオドールがティターニアの周囲に結界を構築した。鋭い衝撃音と共に針が結界が貫こうとするも、結界の耐久力が針の攻撃力を勝った。一本も通さなかった上に、針を粉々に破壊する。
冒険者が笑みを浮かべる。
「ほう……中々やるではないか」
「あなたこそ、流石ですわ!」
「ちょ……姫様!?」
ティターニアが結界に拳を叩きこんで破壊する。内側からの思わぬ攻撃に結界が消えてしまう。
その直後、ティターニアは凄まじいスピードで冒険者に突っ込んでいった。
「はあああああああっ!!」
耐久度が多少低い内側からとはいえ、ヘリオドールの結界を打ち砕いたティターニアの拳が冒険者に迫る。冒険者も同じように拳を突き出す。
互いの拳と拳がぶつかり合う。その際に生じた衝撃波に皆吹き飛ばされそうになりながらも、何とか耐える。
拮抗する力。ティターニアはきつく冒険者を睨み付け、冒険者は愉快そうにティターニアを見詰める。
このままでは決着が着かないと判断したようで、両者は互いから離れて距離を取った。
暫しの睨み合いの後、再び接近するべくティターニアが動こうとする。その足元に色とりどりの細くて短い棒のような物が突き刺さる。
「これは……?」
「ティアさん、こんなところで喧嘩はいけませんよ」
ぼんやりとした表情でティターニアを諌める総司の手には、ペンケースが握られていた。ティターニアの動きを止めた棒の正体はカラーボールペンだった。
それは冒険者の足元にも二、三本突き刺さっていた。冒険者は口元を笑みで歪めると、ボールペンを静かに見下ろす。
「……これは何の武器か。とても美しい姿をしておるが。そちの物か」
「いえ、これは武器じゃなくて……」
「……もう! いつまでもそんな姿で喋るのはやめてください!」
ティターニアが冒険者に指を突き付けて叫ぶ。すると、冒険者は肩を竦めると自らを白く発光させた。
それなりに屈強だった体格だったのが、みるみるうちに細身に変化していく。耳は長く尖ったものに変化し、浅黒かった肌も雪のように白くなっていく。
青みがかった白銀の長髪。そして、頭部から生えているのはティターニアと同じ二本の触覚。
光の中から現れたのは、むさ苦しい男などではなく美しいハイエルフの女性だった。
「……これでよいか、ティターニア」
「でも、酷いですわ! いきなり攻撃してくるなんて」
「馬鹿者。敵は常に死角から現れる者共ばかりぞ。脅威は己の傍らにあるものと思え」
「分かってますわ!」
微笑を浮かべる女性にティターニアが憤慨するが、二人の間に先程のような殺伐とした空気は流れていない。どちらもどこか相手に親しみを持っているようにも見られる。
「あのー、姫様? こちらのハイエルフの方は……?」
ヘリオドールが恐る恐る尋ねたのは、聞かずとも彼女が高貴な身分であると分かったためだ。そうでなければ、ティターニアと呼び捨てにすることはないだろう。ティターニアもそれについて何も言わない。
恐らくはフレイヤの重役。そんなヘリオドールの予想は見事当たった。ティターニアは満面の笑みを浮かべて、殺し合い一歩手前の戦いを繰り広げていた女性の肩に手を置いた。
「この人はアーデルハイト。私の叔母様で、フレイヤの大臣ですわ!」
「妾の姪が随分と世話になったな。早くライネルに会いたい、友に会いたいと先に国を出てしまった。心配は無用と思っていたが……」
「アーデルハイト様が来るのが遅いのですわ」
「…………………」
アーデルハイトは無言でティターニアの頬をつねった。間抜けな悲鳴を上げる姪に満足げに鼻を鳴らすと、次に床に刺さったボールペンを回収にしている総司に視線を向けた。
「そちが例の『お父様』か。なるほど、底知れぬ何かを感じる」
「はあ……」
「ここの所長と顔を会わせたい。所長室とやらに案内してもらえぬか?」
「いいですけど……」
「なに、大した話ではない」
アーデルハイトは解放されて赤くなった頬を擦るティターニアを見て、もう一度その山吹色の瞳に黒髪の少年を映した。
「ノルンとフレイヤ。二つの国の未来について話しておくべきことがあっての」




