76.レーヴァテインとマフユ
それぞれ異なる次元に三つの世界が存在している。
一つは魔法技術が発展し、様々な種族が住まうアスガルド。
一つは純血の人間たちが優れた科学技術を持って世界を統括しているウトガルド。
一つは妖精霊の住み処でありエルフから神聖な地ともされている悠久と幻想の町パラケルスス。
これら三つの世界を創り、世界と共に生き世界を見守る番人。それが三界神だ。エリクシアはパラケルススを治める者として妖精霊の長となり、マフユはウトガルドを流離いながら世界を観察し続け、レーヴァテインはアスガルドに住まう人々をひたすら守り続けた。
見るだけであって、ウトガルドに住む人々に必要以上に干渉することのないマフユを、レーヴァテインは常に責めていた。どうして世界を、人々を守ろうとしないのか。醜い争いによって多くの命が消えていくのを黙って見るつもりなのかと。
ウトガルドでは古代から人間による醜い争いが起きていた。それは大量の命を奪い合う、国同士の殺し合いに発展した。それに対してかつてのアスガルドでは戦争はおろか、他者との衝突の起こらない平和な時間ばかりが流れていた。
怒り、憎しみ、悲しみ、妬み……あらゆる人間の負の感情をレーヴァテインが吸い取っていた。それによって人々の心は常に清浄なものとなり、互いが互いを助ける美しい世界が維持され続けてきた。レーヴァテインは笑顔で生きる人々を見て自分の正しさを再認識した。だからこそ、何も手を下さず傍観するばかりのマフユに強い憤りを覚えた。
そんな仲間からの糾弾の声にマフユは何も反論せず、何も変わろうとしなかった。だが、一つレーヴァテインに忠告をした。
――君こそこんな偽善的なことはやめるべきですよ。一番大事なものを壊したくなければ。
レーヴァテインもその時ばかりは何も言い返せず、悔しげにマフユを見ていた。マフユが何を伝えようとしているのか、レーヴァテインも分かっていたのだろう。
レーヴァテインは徐々に変わっていった。精神に異常を来し始め、凶暴な一面を見せるようになった。本人もそれを自覚していたようで、自らに起きた異変を酷く恐れていた。
レーヴァテインを変えたのは、人間から吸い取ったあらゆる負の感情だった。それらは消滅することなく、レーヴァテインの精神を侵食していった。
守ろうとしていた者たちによって間接的に壊されていくという絶望。幸せそうに笑うアスガルドの人々に、激しい殺意を抱いてしまう絶望。それらに耐え切れず、レーヴァテインはマフユとエリクシアに、自分を二度と目覚めない永遠の眠りに就かせて欲しいと懇願した。その言葉を叶えるために二人の神は一人の神を時空の彼方へと閉じ込めた。
『だが、レーヴァテインは蘇った。一緒に封じられたどす黒い感情を力に変換して自力で封印を破壊してアスガルドに戻ってきた。おぞましいまでの破壊衝動を抱えた魔王としてな』
「……つまり、魔王とは元々神と呼ばれていた者だったというわけか?」
『その化け物じみた……いや化け物そのものの強さを持っていた奴を皆魔族と疑わなかったようだがな』
魔王となったレーヴァテインは既に理性を完全に失っていた。ただ、人間を殺すことしか考えていなかった。魔族を率いて人間を皆殺しにしてアスガルドを完全に壊し尽くすつもりだったのだ。
そんなレーヴァテインを死という形で救ったのは、ウトガルドから強制的に召喚された少女で、勇者と呼ばれたアイカだった。アイカは魔王を討った直後、自分の世界に帰り全てが解決したと思われていた。
だが、それは新たなる災厄の始まりだった。
『レーヴァテインの肉体は滅びても魂までは朽ちていなかった。奴は己の体を捨てて逃げ延び、損傷した魂を来る時のために癒していった』
「来る時?」
『自分と同等、或いは近い力を持った魔族に憑依して再びを世界を滅ぼす時だ。そして、ここまで言えばもう分かるな? その魔族こそがお主だ、レイラ』
今から十年程前のことだ。レーヴァテインはレイラに憑依すると、あらゆるものを壊し、殺していった。人間だけでない、エルフも、魔族も容赦なく殺していった。もう、戦争ですらなかった。蘇った魔王の虐殺がひたすら続いた。
自らの意志でないとは言え、この手で世界を。
愕然とするレイラにエリクシアは透明な水晶玉を出現させると、そこにある映像を映し出した。
それは炎色に染まった世界だった。大地が焼かれ、業火に包まれて叫び嘆き、死んでいく人々。
無へ帰っていく世界の中心で狂笑する少女がいた。人間の焼け焦げる匂いを含ませた風に靡く紅蓮の髪、逃げ惑う者たちを愉しげに見下ろす柘榴色の双眸。
今よりも多少幼いレイラの姿だった。
「これは……」
『歴史が改変される前のアスガルドの姿だ。この後、お主の中のレーヴァテインは文字通り、アスガルドを火の海に変えた後、力を全て使い果たしてその赤い海の中に消えていき、今度こそ死んでいった』
「私の体を道連れにして……か」
それはせめてのもの救いだな、とレイラは嘲笑気味に笑った。守りたいと思っていたもの全てを壊してしまった後に正気に戻ったところでどうすることも出来ない。そんな絶望を味わうくらいなら心を囚われたまま死んでいった方が幸せだろう。
水晶玉に映る命を次々と刈り取っていく赤い少女の頬には一筋の涙が流れていた。それが精神を支配された彼女の叫びなのかもしれない。
「エリクシア、本当ならこのアスガルドはこうなっていたというのは分かった。だが、何故それが別の未来に切り替わった。お前たちは一体何をした?」
『私たちはアスガルドに対して何もしていない。それぞれが三つの世界に番人として就く時に、互いが互いの世界に一切干渉出来ないようにと、取り決めが行われた。そのせいで、レーヴァテインはマフユにいくら不満を抱いていてもどうすることも出来なかったし、私たちもレーヴァテインの暴走を止められなかった』
「取り決めだと!? そんなことで一つの世界を見殺しにしたのか!?」
『まさか。正確にはある面倒な法則を作り上げたんだ。私たち三界神が自分の世界以外での世界に干渉してしまえば、自分の世界が崩壊してしまうような法則を。だからこそ、自分の守る世界のためにアスガルドに手を出すわけにはいかなかった』
打つ手は最早残されていなかった。レイラにレーヴァテインが乗り移った時はまず最初に力がある者を次々と殺していき、抵抗する暇も与えなかった。
エリクシアはかつての仲間が愛していた世界を自らが滅ぼすという悪夢をぼんやりと見続けていた。
だが、マフユは違った。「あの人の尻拭いは僕が何とかしましょう」と笑っていた。もう既にあの世界は無くなってしまったというのに。
『マフユは本当に何とかしてしまったよ。アスガルドが滅びるという時間は消滅し、代わりに今の時間を創り出した』
「どうやってだ? そのマフユとやらがこの世界をどうにかするという手段などなかったはずだろう」
『言っただろう。私たちは何もしていないと。マフユはあるウトガルドの人間にどうにかさせたんだ』
「ウトガルドの人間……?」
『本人曰く偶然らしいがな。詳しくは知らないが、その人間はある方法によってアスガルドの人間の手を借りずにマフユと共にウトガルドから異世界に飛んだ。しかも、どういうわけか……二人が辿り着いたのは滅びたアスガルドではなく、それよりも少し過去のアスガルド』
今でも信じられない話だ。エリクシアは感心と呆れを含ませたように言った。
『勇者によって魔王であるレーヴァテインが倒される直前の時代だ』
総司「今回の話に出てくる法則? は硝子町さんによると、当初は『行った行動を無かったことと見なし、無効にしてしまう法則』にするつもりだったそうですよ。でもそうすると、三界神の皆さんがスタンド使いみたいなことになるからということで没になったみたいです」
オボロ「あとでそんな難しい設定なんて作り出して齟齬をきたすからね……」




