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75.悪夢

 ベッドの上に横たわる男の姿があった。それをまだ幼かった頃のフィリアが部屋の外からじっと見詰める。部屋には入れなかった。祖母が室内への立ち入りを禁止するために張った結界がフィリアを拒絶するのだ。

 それでも、もっと近付きたくて、もっと近くで男を見ていたい。フィリアは結界の中にどうにかして入ろうとするが、そこには目に見えない透明な壁が聳え立っているかのようで一歩も足を踏み入れることが出来ない。部屋に入れるのは祖母と母だけで、フィリアと姉は何度言っても入らせてはくれなかった。

 遠くから見た男は酷い状態だった。あんなに綺麗だった金髪は老人のように白く変色してしまい、肉は削げて骨と皮となっていた。その姿を見る度にフィリアは涙が溢れそうになった。一緒に遊んでくれて、時には叱ってくれていたのに。もう、今は何もしてもらえない。

 男の身に何が起きたのかフィリアには分からなかった。ただ、祖母と母が以前こっそり話していたのを聞いたことがある。

 男は少し前に起こった『せんそう』で皆を守るために戦っていた。無事、村に生きて帰ってきて今まで過ごせてきたが、魔力を限界まで使い果たした代償として、急激な老化が始まってしまった。ああなってしまえば、あとはもう残り少ない蝋燭を全て燃やし尽くすのを待つのみ。

 内容を理解しきれず、困惑するフィリアの存在に気付かず祖母は嘆いていた。どうして家族や仲間のために戦った息子がこんな目に、と。

 きっと男はもうすぐ死ぬのだ。フィリアは日に日に衰弱していく男を眺めることしか出来なかった。


「フィ……リ……ア……」


 男が緩慢な動作で首を動かし、フィリアの顔を見る。ようやく名前を呼んでくれた。喜ぶフィリアに、男は更にこう続けた。


「逃げろ」


 瞬間、凄まじい衝撃がフィリアを襲った。全身を灼熱の業火が包み込む。

 熱い、痛い、苦しい。泣き叫ぶフィリアの目に映ったのは炎の世界。家も、母も、祖母も、姉も、全て燃えていく。


「やだっ! 助けて! 助けてお父さん!!」


 どこに逃げたらいいかも分からず立ち尽くすフィリアに、寝たきりだった男が必死に手を伸ばそうとしている。男も全身を炎に包まれて焼け爛れていた。だが、倒れることなく助けを求めるフィリアを守ろうとしている。

 お父さん。痛みと熱で朦朧としながらフィリアも男に向かって目を伸ばす。


「滑稽な見世物だ。愉快、愉快」


 炎の音の中から聞こえてくる嘲笑の声。男の背後に誰かが立っている。

 黒衣を纏った少女だった。石榴色の瞳と深紅の髪。狂ったように笑みを浮かべながら少女は手から炎の鎌を出現させた。


「やめて……やめてぇぇぇぇぇぇ!!」


 フィリアの懇願の叫びが少女の笑い声に掻き消される。

 男の手がフィリアに届いたと同時に、男の首が消えた。






 フィリアは瞼を開いた。呼吸が荒い。心臓の音がうるさい。まるで何か、恐ろしい悪夢を見ていたかのようだった。

 だが、起きたばかりだというのに、夢の内容が全く思い出せない。


「ソウジさん……? レイラさん……?」


 周囲を見渡す。ここは一体どこなのだろう。洞穴の中のようだが、地面から咲いている花の花弁から光り輝いているおかげで随分と明るい。

 フィリアをここに連れてきたのであろう黄色い熊は、目覚めたフィリアのすぐ側にいた。大きな獣の手がフィリアの頭を何度も撫でる。

 翡翠色の瞳はどこか申し訳なさそうに、自分よりずっと小さな存在を見詰めている。

 フィリアも同じように自分よりずっと大きな存在を見詰める。不思議と熊に対する恐怖心はなかった。





『あの熊は元はエルフだった者だ。それが病……というより呪いで命を落としたところを、私がこの世界に魂を招き入れて配下になってもらった』


 草花のみで作られた緑の小屋。栗色の兎――いや、エリクシアによって招かれた、そこには様々な花が咲き乱れていた。室内に漂う甘く、けれど心を落ち着かせてくれる優しい香り。

 エリクシアは巨大な赤茸の上に乗ると、フィリアを連れ去った熊の説明を始めた。

 この町に住んでいるのは何も妖精霊だけではない。妖精と近い種族であるエルフ、それも生前優れた者であるなら死したあとは動物に姿を変えてエリクシアに仕える存在となる。先ほどの黄色い熊も魔王戦争の際に魔術師と戦い抜いた猛者だった。それが十数年前に後遺症によって老化が加速して亡くなったのをエリクシアが掬い取ったのだという。


「だ、だが、そんな者がどうしてフィリアを?」

『あれはあのエルフの少女を知っている。魔力を操作して魔法を制限していたのも奴だ。自ら戦いに出向かないようにするためだったようだが……』


 溜め息をついたエリクシアは、どこか呆れているようだった。


『二代目とは言え魔王が側にいるのを知って、小娘に危険が及ぶと思ったのだろう。慌てて自分の巣に連れ帰ってしまった』

「そうか……」


 レイラは俯いた。確かにあの時、熊はレイラに明確な殺意を向けていた。フィリアを間接的に守ろうとしていた。そんな事実を知れば、不可思議な行動の意図も知れた。

 魔王となった自分は魔族以外の種族とは相容れない存在なのだろうか。そんなことをぼんやりと考えるレイラの前に、宝石で出来たグラスが差し出される。中に注がれていたのは、甘い香りのする山吹色の液体。

 差し出したのは総司だった。


「これ、この町に咲いている花で作ったジュースだそうです。美味しいですよ」


 総司の肩の上では妖精が花びらをかじりながら微笑んでいる。それに教えてもらったのだろう。

 グラスを受け取ったものの、目を見開いたまま固まっているレイラに、総司は切り分けたケーキを小皿に乗せるとそれも差し出す。


「このケーキもとても美味しいです。食べてみませんか?」

「……ソウジ、お前は私が怖くないのか?」

「どうして僕がレイラさんを」

「私はその、魔王だぞ」

「? だから何でですか?」


 そう言って自分の分のジュースを飲む総司の横顔に、レイラは胸を締め付けられるようだった。まだ魔王としての道を歩けるかどうか不安だった頃に出会った少年は、あの時も全く変わっていない。

 かあっ、と冷めていた心が再び温かくなるのを感じた。そうだ。自分は魔王として魔族を守り統括すると共に、この少年を手に入れると決めていたのだ。種族の壁など関係のないである。

 恋に落ちた瞬間の甘酸っぱい記憶が蘇る。レイラはケーキを頬張ると、ジュースを一気飲みした。甘い。しかし、この胸に広がる恋という感情の方がもっと甘ったるい。


「ソウジ! 愛し……!」

「でも、フィリアさんが、これ食べられないのはちょっと可哀想ですね」


 飛びつこうとしたレイラを無視して、それとも気付かなかっただけなのか、総司はまだまだテーブルに乗っているデザートや菓子を見て言った。

 レイラに僅かに同情していたエリクシアが『だったら持ち帰ればいい』と提案する。


「そんなことしてもいいんですか?」

『こんなに用意したのを食べ残されたらこっちも困るからな。いくらでも持っていけ』

「では、お言葉に甘えまして」


 鞄からタッパを取り出して、ケーキやクッキーを丁寧にしまっていく総司にエリクシアが感心するように呟く。


『しかし、お主は掴みどころがないな。最初は過保護熊を攻撃してでも小娘を取り返そうとしただろう? 熊が小娘に危害を加えるつもりではないと知ってやめたようだが……無駄に力を入れおって。私は締め殺されるかと思ったぞ』

「いえ……熊なんて久しぶりに出会ったから怖くてつい力んでしまっただけですけど」

『まあいい。ほれ、蜂蜜も持っていけ。持ち帰りやすいように瓶に詰めておいたぞ』


 総司が土産をひとしきり鞄にしまい込むと、エリクシアは一つの黄金色に光る石を総司に渡した。

 その石からは黄色に光る糸のようなものが伸びており、それは外に繋がっているようだった。


「これは……」

『あの熊の巣まで続いている。今頃は冷静に戻って落ち込んでいる頃だろうから、早く小娘を迎えに行ってやれ』

「ありがとうございます、エリクシア様」

「よし、行くぞソウジ!」


 テンションが上がっているレイラが部屋から出て行こうとする。それをエリクシアが止める。


『二代目、お主はちょっと私と話をしないか?』

「? ああ……」

「レイラさん、あとでフィリアさんと迎えに来ますね」


 どこか硬質なエリクシアの声に何かを感じ取ったのか、総司も特に話の内容を聞き出そうとはせず、出て行ってしまう。残されたレイラは妙な胸騒ぎを覚えていた。知りたくないと思うような、けれど知らなければならない何かを突き付けられるのでは、という予感に背筋が震えた。


『ここからは流石にあの少年が知るべきことではないからな。だが、二代目〝魔王〟。お主は知っておくべきことだ』

「……?」

『熊がお主に気付いて気が動転したのは、お主が魔王だからではない。かつて、自身と小娘をお主に殺されているからだ』


 殺した? フィリアを?

 困惑するレイラにエリクシアは静かに続けた。


『かつて……と言っても、それは歴史が改変する前の話だ。パラケルススに住まう者はもう一つの過去の記憶も持ち合わせている。奴は今ここにいるお主があの時のお主でないと頭では認識していてもつい体が勝手に動いてしまったのだろうな』

「ま、待て。話が全く見えない。改変? あの時の話? お前は一体何を言っているんだ」

『今のアスガルドは本来なら、もうとっくに存在しない無の世界だ。全ての生命が死に絶え、何もかもが滅びた。二代目、お主の手で。いや……正確に言えば、お主が最も憎む者、と言うべきか』

「な……」


 ぐらり、と目眩を起こしそうになる。それを何とか耐えてレイラはエリクシアを見据えた。顔からは血の気から引き、唇は小さく震えていた。


『まあ、その説明をする前にまず三界神の紹介でもしておくか。私はエリクシア。このパラケルススの番人だ。次にマフユ。こいつはウトガルドを管理しているのんびりした男だ。……そして、三人目のレーヴァテインは少し前までアスガルドを守っていた。だが、今はもういない。二十年前にアスガルドに召喚された一人の少女に倒されたからな』

「一人の少女……?」


 レイラの脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。そんなはずはない。そんなはずは。


『少女の名前はアイカ。レーヴァテインは魔王と呼ばれる存在と成り果て、最期はアイカとの戦いで死んでいった』




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