表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
74/167

74.兎と熊

 水の精霊ウンディーネたちが好き勝手に泳ぐ澄み切った湖。その中心で水面の上を地面と同じように跳ねながら移動を続ける物体がいた。

 それは一匹の兎だった。栗色のふわふわした毛並みに円らな黒い瞳。どこからどう見ても可愛いだけのただの兎が水上を縦横無尽に移動している。時折、跳ねた水が体にかかっているはずなのだが、毛並みは全く濡れた様子がなく、もふもふ感をキープしていた。

 栗色の毛玉が動き回るのを三人は黙って見守るしかなかった。様々な魔族や魔物を見てきたレイラも見たことのない、不思議な生命体だった。


「か、可愛いですね……!」


 一方、可愛い小動物の登場にフィリアは、翡翠色の瞳を輝かせていた。あの兎を抱っこしてみたい。そんな願望が駄々漏れである。


「確かに可愛いが……あれは精霊か?」

「レイラさん、もっと近付いてみましょうよ!」


 レイラにすっかり心を開いたフィリアが楽しそうに提案する。まずは様子を探った方が、と魔王モードに戻っていたレイラもこれには苦笑した。年相応、可愛いものが大好きらしい少女のようだ。

 だが、兎に一切の警戒心を持たずに湖に近付いていった者が既に一人いた。総司である。少年は鞄から橙色の細い物体を取り出して、湖の畔にしゃがんだ。


「人参ですよ、食べませんか」


 兎が急に動きを止めて総司の方を向いた。その鼻はひくひくと何かの匂いを感知したのかひくついていた。

 ぴょん、ぴょん。兎は物凄いスピードで総司に接近して人参にかぶり付いた。


「手慣れているな、ソウジ。動物でも飼っているのか」

「飼ってはませんけど、家の近くの川でもよくこうしています。人参じゃなくて胡瓜ですけど」


 ちなみに動物とも言えない生物である。ちなみにまだ中学生の頃、総司はその生物に尻子玉を抜かれそうになった。その際、総司が逆にジャーマンスープレックスを喰らわせて生物の頭の皿を粉々に破壊し、慌てて家から皿を持ってきて弁償した時から彼らの友情は始まった。

 だが、こちらは特に命の取り合いをせずとも友情が成立した。何かに取り憑かれたように人参を食べている兎は、総司に抱き抱えられても暴れようとはない。フィリアがそわそわした様子で手を出したり引っ込めたりしている。レイラは兎そのものより、兎を抱っこしている総司に胸を高鳴らせていた。


「あ、あの、兎触っても大丈夫ですか……?」

「大丈夫だと思いますよ」

「ソウジ、お前を触っても大丈夫か」

「大丈夫ですけど、兎じゃなくてもいいんですか?」


 総司に久しぶりに会えた嬉しさもあって、レイラが壊れた。レイラが総司の形のいい頭を撫で回し、フィリアが兎を撫で回すという変な図が出来上がる。

 もふもふ、なでなで。それがしばらく続いていると、されるがままになっていた総司が何かに反応するように顔を上げた。


「ソウジさん……?」

「何か大きいのが近付いてくるような」

「大きいの?」


 撫でるだけでは飽き足らず、黒髪にキスまでしようとしていたレイラも言葉を聞いて意識を集中させる。すると、遠くから重い足音が鳴り響いているのが分かった。

 しかも、それはどんどんこちらに近付いてくる。強烈な殺気にレイラは咄嗟に総司とフィリアを守るように前に出た。


「何だ、これは一体……!?」


 周囲に漂っていた妖精霊もただならぬ気配に、一斉に四方へと逃げ出していく。町に異変が起きている。

 やがて、森の向こうから何かがこちらに向かっているのが見えた。黄色の巨大な塊が轟音にも似た音を立てて迫ってきている。

 黄色い毛並みの熊だった。

 新たなる生物の出現に困惑しながらも、レイラは自分に殺気が向けられていることに気付き、後ろの二人から急いで離れた。狙いが自分ということなら、側に居ては巻き込んでしまう可能性があったからだ。


「来るなら来るがいい! 私は逃げも隠れもしないぞ!」


 鋭く叫ぶレイラを熊が睨み付ける。澄んだ翡翠色の目をしていた。

 その美しい双眼の中から滲み出てくる怒りと、恐れ。それに気付いたレイラは違和感を覚えた。

 が、その正体を知るよりも先に熊は思わぬ行動を取った。


「きゃああああああっ!!」


 フィリアの小さな体を掴むと、そのまま担ぎ上げたのだ。フィリアが叫びながら手足をじたばたさせるが、全く意味がない。

 レイラは掌から光球を生むと、それを熊の腹部へと投げ付けた。


「フィリアを離せ!」


 光球が命中する。だが、熊はさほどダメージを負っていないようだった。フィリアがいるので、かなり手加減して撃ったものだったが、予想以上の防御力にレイラは舌を打つ。


「ソウジさん! レイラさん!」


 今にも泣きそうな表情でフィリアが必死に二人の名前を叫ぶ。熊がちらり、と少女の顔を見た。

 熊の目からは殺気が完全に消え去っていた。どこか、悲しそうに、切なそうに、フィリアを見詰めている。自分とよく似た緑の瞳から伝わる感情に、フィリアは動きをピタリと止めた。


「あなた……私を知ってるの?」


 熊は何も答えなかった。そのままフィリアを担いでどこかへ走り去っていく。


「ま、待て!」


 フィリアが連れて行かれてしまう。あまりにも速いスピードにレイラも追いかけようとする。


『あの若造め、我を失っているな』


 背後から聞こえてきた幼い声。レイラが振り向くと、そこには総司に抱えられた一匹の兎がいるだけだった。

 今の声は総司のものではない。と、するならば。


「レイラさん、この兎喋りました。中に小人でも入っているんですかね。背中にチャック付いてたりとか……」

『こっちの赤い方は驚いた顔をしておるのに、お主は全然そんなことがないな』

「なんか、すみません」


 とりあえず謝った総司に、兎がやれやれと言うように首を横にする。あの人参を一心不乱に食べていた栗色の毛玉とは同じとは思えない。

 しかも、先程とは違い、今の兎からはかなりの魔力を感じる。顔を強張らせていたレイラだったが、フィリアのことを思い出して走り出そうとした。

 それを止めたのは兎だった。


『無駄だ。やめておけ。今、あの若造は私ですら気配を完全に消している。私はおろか、お主が魔力を開放しても捜すにはそれなりに時間がかかるぞ。なあ、二代目魔王殿?』

「な……」


 どうして、それを。レイラがハッとして総司を見れば、黒曜石の瞳がまっすぐこちらに向けられている。


「ソウ……ジ……」

『何だ、話していなかったのか。何か悪いことをしてしまったな』

「……お前は何者だ、兎」


 いずれ関わっていれば知られてしまったことだ。だから、今ここで知られても仕方ないこと。そう自分に言い聞かせながら、レイラは兎に静かな声で問いかけた。

 その声は平静を何とか装うとして結局震えてしまっていたが。それに対して、兎は飄々とした口調で答えた。


『私はこのパラケルススの番人であり、三界神が一人、エリクシアだ』








 沖田町に流れる沖田川。それは昔から河童が出るという噂が流れており、地元住民も近寄らない場所であった。

 その畔で一人の人物がしゃがみ込んでいた。その手には胡瓜。蜂蜜でこれでもかというくらいコーティングされており、そこに生クリームがかかっていた。更にチョコチップがまぶされていた。

 川の中ではそれを食べたと思われる頭に皿を乗せた緑色の生き物が沈んでいた。


「あれー? これ河童さんの好みに合わなかったんですかねー……あの坊ちゃんは美味しそうにぼりぼりかじっていたんですけど」


 拗ねたような口調で呟いたのは、黒いコートを着た銀髪の若い青年だった。その瑠璃色の瞳は不思議そうに胡瓜に喧嘩を売っているとしか思えない味付けをした胡瓜を見詰めていた。

 そして、そんな青年を不思議そうに眺めていたのは、近所に住んでいる小学生だった。河童に出会えるかと親に内緒で来てみれば、不審者がいたのである。不審者、というには中性的な綺麗な顔をした青年であったが。


「お兄ちゃーん、そんなところにいたら河童に尻子玉? っていうの抜かれるよー」

「ふふ、大丈夫ですよ。僕はそんな目に遭いませんから」

「何で? お兄ちゃんって総司お兄ちゃんと同じぐらい強いの?」


 総司。その名前が小学生の口から出た途端、青年はどこか嬉しそうに笑った。


「うーん、僕は総司君の方が強いと思いますけどね。どっちが強いかなあ」

「えっ、そこで悩むの!? お兄ちゃん何者!?」


 この町で総司と同じくらい強いかもしれない人物。小学生は目を輝かせた。

 青年はそんな子供の期待に応えるかのように誇らしげに答えた。


「僕はこの世界の神様ですよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ