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7.枯れた森

 ウルド中心部の近くにある森は現在数が減少しつつある『マナの地』の一つだ。マナの地とは妖精や精霊が特に多く集まる土地の事で、常に空気は澄んでおり不浄なる力を持った魔物を一切寄せ付けない聖域である。

 かつてはもっと存在していたのだが、多くの妖精と精霊が消えてしまった今、残っているマナの地は指で数える程度だった。


「嘘でしょ……」


 森の入り口でヘリオドールは呆然としていた。先程出向いたジークフリートとフィリアも沈んだ表情を貼り付けている。


 日光を遮る程の量の青葉を茂らせていた木々は枯れ果て、地面に大量の落ち葉が散乱している。美しい花達は萎み、草は茶色く変色していた。

 何かが腐ったような臭いが鼻腔に入り込む。生暖かい空気が全身に纏わり付く。


 そこにマナの地と呼ばれていた頃の面影は残されていなかった。立ち尽くすヘリオドールにジークフリートが口を開く。


「酷いだろ?」

「酷いってレベルじゃないわよ、これ。正直予想外……」

「妖精さんも精霊さんもいません……」


 フィリアが目を伏せる。エルフは妖精や精霊との結び付きの強い種族だ。物心がつく前からいつも側にいたであろう彼らが突然聖なる森から姿を消したのだ。不安がる気持ちも分かるとヘリオドールは慰めるように少女の頭を撫でた。


 エルフのように全ての妖精霊が見えるわけではないが、森で育った魔女であるヘリオドールにも自分の故郷ではないとは言え、この惨状に胸が痛んだ。それと同時に改めて不安を抱く。ここまで急速に森が死んでいくのはやはり異常だった。


「フィリアちゃん、やっぱりあなたは役所に帰った方がいいわ。どんな危険が待っているか分からないのよ?」

「だな。俺達だけで大丈夫だぞ」


 新人の言葉を鵜呑みにして森に行くなんて反対だと言った部下の意見に、ジークフリートは一人で入る事に決めた。総司の話を信じつつも徒労に終わった時の事を想定しての決断だった。

 そう伝えたジークフリートに、同行を許可して欲しいと弱々しい声で懇願したのはフィリアだった。


「……私ずっと前からこの森には遊びに来ていたんです。ここの妖精さんや精霊さんとは言葉が通じなくても仲良しで、ノームからは綺麗な石をもらったり、ドリュアスには木の実をもらっていました。な、なのに、そのみんなが急にいなくなっちゃうなんて……」

「大丈夫ですよ、フィリアさん」


 涙ぐむエルフの少女に声を掛けたのはノームが入れられているフラスコを持った総司だった。


「ノームさんによるとみんなは急に現れた黒いモノに捕まってしまったらしいです。そして、まだ黒いモノは森の中にいるようなので、それを何とかすればフィリアさんのご友人もきっと助けられますよ」

「……はい」


 淡々とした口調での言葉だったが、元気付けるには十分な力を持っていたのだろう。フィリアの表情に笑顔が戻る。それに安堵した後、ヘリオドールは総司の方を向いた。


「でも、何なのよその黒いモノっていうのは」

「ノームさんも詳しくは知らないと言っています。ただ、その物体Xにみんなが吸い込まれていくのを必死に逃げながら見たそうです」

「物体Xって気が抜けるような名前ね……」

「黒いモノ黒いモノ言い続けるのもなんかアレなので」


 総司とヘリオドールのやり取りに溜め息をついたジークフリートが、森の中を進み始める。


「……母子漫才はいいから行くぞ。ソウジ、ノームにその物体何とかはどの辺に現れたか聞いてくれ」

「Xです」

「俺達は妖精霊じゃないからXと言われてもどの辺りか分からないんだが……」


 あ、こいつ天然入っているんだった、とヘリオドールは同僚を生暖かい目で見た。それからすぐに総司にノームから話を聞くように促すのだった。

 今日はこの少年の職場見学だったのに、どうしてこんな展開になったのだろう。本当ならば一通り回った後に、どこの課で働きたいか希望を取る予定だった。まさか森に探索しに行くなんて想像もしていなかった。


(この子が私でも見えないような精霊が見えて、しかも声も聞けるなんて……)


 総司からは魔力が全く感じられない。妖精霊を視認出来るのは高い魔力を有した魔術師か、妖精に近い魔力と体質のエルフ族だけだ。

 所長の結界をあっさり破壊した時といい、冷静に考えれば考える程謎は深まる。


「こっちです。行きましょう」

「は、はい」

「フィリアさん気を付けてください。足元に鮮やかな青色のいかにも有害そうなキノコが生えてます」

「きゃあああああ!」


 アスガルドの人間ですら怖れるような有り様の光景に、顔色一つ変えずに歩き出す少年の後ろ姿を見ていたのはヘリオドールだけではなかった。ジークフリートが魔女に耳打ちする。


「あの少年を連れてきたのはお前だろ。あいつが何者か知らないのか?」

「分かんないわよ。こっちの世界の事を教えるために何日かあの子といたけど、コスプレOKな喫茶店で勉強させてたから家にも行った事ないし」

「何で行かないんだよ! 手掛かりが掴めるかもしれなかっただろうが」


 呆れたように言うジークフリートにヘリオドールは反論したくなった。鞄の中から本物そっくりの人間の頭部(の模型)を出すような少年の家に行きたくないと。嫌悪感があるのではなく、純粋に怖かった。

 顔面蒼白で首を横に振りまくるヘリオドールに何かを察したのか、ジークフリートは「悪い」と謝罪した。分かればよろしいとヘリオドールは鼻を鳴らした後、先程彼から母子呼ばわりされた事を思い出した。まだ23歳だというのに。


「この辺みたいです」


 枯れ木に躓いて何度も転びそうになったフィリアの手を繋いでいた総司が足を止めたのは、沼地の前だった。ヘリオドールとジークフリートは周りを見回し、神経を研ぎ澄ませて気配を探った。しかし、魔物の気配は感じない。


「あの、本当にここみたいです。ノームがすごく怯えているんです……」


 フラスコを見詰めるフィリアの声は僅かに震えている。ヘリオドールがジークフリートに視線を向けると、強張った表情で頷かれる。彼にもノームが何かを恐れているように見えるらしい。


 三人に緊張が走る。そんな中、男子高校生はのんびりと沼の中を覗き込んでいた。覗くだけでは足りず、頭を突っ込もうとしたので慌てたフィリアに止められた。


「だ、駄目です総司君! 危ないですよ!」

「中に何があるか気になったんでつい」

「……気になったから沼に頭入れる馬鹿がどこにいるのよ」


 ヘリオドールに襟首を掴まれて沼から引き離されながら、総司はフラスコを見ながら不思議そうに言った。


「ノームさんが沼の中からみんなの気配がするって騒いでるんですけど」

「え……」


 その言葉が意味する事にヘリオドールの思考が辿り着いたのは、沼の水が凄まじい飛沫音を上げて噴き上げる直前だった。いや、水が噴き上げたのではない。

 汚れた水の中に潜んでいた『何か』が浮上した音だった。


 不気味なまでに静かだった森に次に響き渡ったのは、その『何か』の咆哮だった。怒り、悲しみ、恨み、憎しみを混ぜ合わせたような絶叫が空気をビリビリと振動させる。

 ヘリオドールも、ジークフリートも、フィリアも言葉を発せずに空気の震えと共に伝わってくる強大な魔力を感じ取っていた。この全身に纏わり付くようなおぞましい魔力の波動にヘリオドールは背筋を凍らせた。


(これはまさか魔族の……!)


 ゆっくりと死滅していく森に似合わぬ巨体。突如沼の中から姿を現した全身を黒い鱗で覆われたドラゴンに、その場にいた全員が息を飲む。目を輝かせているのは総司だけだった。

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