69.鍵を使う
「……というわけで、そのお店の店主さんに貰いました」
「貰いましたって……随分とサラッと言うな、君」
緑色の鍵を太陽の光に翳して、「そんなにすごい物だったんですね」と呑気に呟いている総司の方がすごいとオボロは素直に思った。
ウルドの姉妹都市であるスクルドで、色んな意味で一番有名な“闇の館”という武具屋。そこの店主が所長と同等の魔力を持ち、リリスのお気に入りであることは知っていた。悪戯好きなことでも知られている彼が先日、二人組の客に逆襲されたという噂も。
二人組の内、片方はオーガと聞いていたので、余程の猛者なのだろうと思っていたが、総司の話を聞いてオボロはハッとした。もしかして、この少年と鑑定課の名物オーガの二人が例の客なのではないかと。
闇の館という店で妖精の世話をしていたら、お礼に鍵を貰った。総司の説明はそのような内容だったが、ひょっとしたらそれ以外にも大きな出来事があったのかもしれない。
(やっぱり侮れないな……)
オボロはフィリアに鍵を使おうと言い出している少年を見ながら親指の爪を噛んだ。総司を唯一の友人として認め、同時に恐ろしい人物でもあると考えている彼の中では既に闇の館の店主が総司の掌の上でころころ転がっている存在になりつつあった。
遭遇時は色々あったものの、最終的にはフレンドリーな関係を築けていたことをオボロは知らない。
「ん゛っ!? ちょっと待てソウジ!!」
「はい?」
オボロは強い口調で、硬直しているフィリアに首を傾げていた総司を呼んだ。
「な、何でそんな簡単に鍵使う気でいるの!?」
「え? エリクシルって人に会いに行けるからいいじゃないですか」
「そうだけどさ!」
「そ、そうです! 私のためにこんな大事な物を使ってしまうなんて」
エルフよりも強い力を持つ魔術師だけが手に入れることの出来る、パラケルススへ行くための鍵。それを使いましょうとあっさり言われ、フィリアは軽いパニックに陥っていた。確かに小さな頃からエルフの聖地ともされているパラケルススに行ってみたいとは思っていた。
その願いがこんな形で叶うとは思っていなかった。それを叶えてくれたのも総司。
だが、本当に滅多に手に入らない鍵なのだ。一度使えば壊れてしまう。自分の些細な悩みのために大事な物を使用してしまうなんて申し訳なかった。
フィリアは一生懸命首を横に振った。
「エリクシル様にお会い出来るかも分からないし、その……単に私に魔法を使うのが下手なだけかもしれませんし……」
「どうなるかは分かりませんけど、せっかくだから行ってみましょうよ。僕もいつ使おうかずっと迷ってたましたから」
「でも、やっぱり……」
自分とではなく、他の誰か。例えばヘリオドールと一緒の方が総司も楽しめるのではないか。気を遣って鍵を使おうとしているのではないか。
「ああっ……」
考えれば考えるほど落ち込んでいく様子のフィリアに、焦り始めたのはオボロだ。何も口出しせずに総司の好きにさせてやれば良かったのに、止めたせいでフィリアが変な方向に悩み出した。
稀少と言っても、すぐ近くに変態ではあるが凄腕の魔術師である所長がいるのだ。リリスにも協力してもらえば、また手に入る可能性だってある。本来、人間の立入が禁止されている世界なので、行き来が可能な魔術師も鍵の入手が困難と聞くが、何とかなるだろう。
オボロがそのことを伝えようとすると、総司がフィリアに鍵を差し出した。
「フィリアさんだけで行きたいなら、それでも大丈夫です。僕じゃなくても使えるはずですよ」
「そういうことじゃないよソウジ。お嬢さんは君と一緒じゃ嫌とかじゃなくて、君に自分のために鍵を使わせるのが嫌なだけだから」
「……使わせたくないってどうしてまた」
「お嬢さんは君に君が本当に望んだ時に鍵を使って欲しいんだよ」
「じゃあ、今使いましょう。善は急げです」
即答である。そこはある程度想像していたのだが、オボロは「おお……」と感嘆した。普通は少しだけでも悩むだろうに、この迷いの無さ。フィリアだけではなく、ヘリオドールを過保護にさせ、アイオライトを骨抜きにし、フレイヤの国の王女の信頼まで得ただけのことはある。
フィリアはというと、オボロと総司の会話を聞いて顔を真っ赤にしていた。しかも涙ぐんでいる。
「フィリアさんどうしました?」
「い、いえ、私、もうソウジさんのその気持ちだけでも幸せです……!」
本当に幸せそうである。頬を紅潮させて蕩けたような笑顔を浮かべて総司を見詰めるその姿は、男の庇護欲と嗜虐欲を激しく湧き立たせる威力を持っていた。
口から砂やら砂糖が吐き出しそうだ。オボロは二人の間に漂う甘い空気に口を押えた。
しかし、総司はやはり総司だった。表情一つ変えることなく、オボロの方を振り向いた。
「でも、これどうやって使うんでしょうか。使い方聞いてなかったんですよね」
「その辺のドアの鍵穴に差し込んで開くだけだった気がするよ。役所の中にはたくさんドアがあるんだからやってみればいいじゃない。あとで行ってきな」
「「え?」」
オボロの少々投げやりな口調での説明に、総司とフィリアが驚いた声を上げた。一体なんだというのだ。
「オボロ君は来ないんですか?」
「え、やだよ。そりゃ僕もパラケルススに行けるもんなら行ってみたいけど、今は絶対行きたくない」
「そんなどうしてですか!? オボロさんだって私の力になってくれたじゃないですか! 一緒に行きましょうよ!」
「やだよ!!」
二人について行けば、砂やら砂糖を吐く思いを何度もすることとなるだろう。そんな思いをするのはごめんである。本当にごめんである。
べ、別に二人に気を遣わせてるわけじゃないんだからね。本当にそんなんじゃないんだから。
オボロは自分のために同行を断った。
「オボロ君……」
「オボロさん……」
「やめろー! なんか僕が悪者みたいじゃんか!」
今回の件で二人はオボロへの好感度を上げて、寂しそうな眼差しを向けられたオボロは悲鳴を上げた。
しかし、そんな彼の救世主は突然現れた。
いや、降って来たと言うべきだろうか。
ばさっ。音を立てて空から降って来たのは、何者かによって暴行された中年の男だった。衣服もあちこち破れており、まるでボロ雑巾のような有様。彼は住民課の課長であった。
ショックのあまり、フィリアは両手で口を覆った。先程まで紅かった顔から血の気が引いていく。
「酷い……誰がこんなことを……!」
「まあ、その、オボロ君が間接的に」
「そのまるで僕が主犯格だと思わせるような言い方やめてよ! 悪者じゃんか!」
「自分の手は汚さず、更に自分に与えられはずの罰をも押し付ける……中々の知能犯ですオボロ君」
総司は顎を擦りながら感心するように言った。
「褒めてるのか貶してるのか分からないけど、前者だとしたら全然嬉しくないからね。こいつはまた仕事サボって部下に仕事全部押し付けてたからその制裁の意も込めて生贄になってもらってたんだけど……酷い。僕の魔法が解けるくらいボロボロになるまでやられるとは……」
ヘリオドールの恐ろしさを実感していると、課長の口がもごもごと動いていることに気付いた。何かを呟いているようだ。
よく聞こえるようにと、総司がしゃがみ込んだ。
「遺言なら聞いてあげましょう」
「君、なんか楽しんでない?」
「そんなことはありません」
課長は意識が朦朧とする中で、やはり言葉を発していた。
「ヘリオドールちゃん……もっと酷くして……殴って……蹴って……痛いことをたくさんして……ね……」
「新世界の夜明けというものでしょうか?」
「君が何を言おうとしてるのかは何となく分かる」
汚い夜明けだ。課長の呟きを聞いていなかったフィリアが治癒魔法を使おうとした時だった。
三人は上の方から凄まじい殺気を感じた。
役所の二階の窓からこちらを見下ろす魔女の姿があった。
「……………………………………」
ピンク色の髪の魔女の瞳孔は開いており、その手には棘が生えた鞭がしっかりと握られていた。
課長は彼女に投げ捨てられたものと推測される。
「ヒイイイイイイ!!」
生命の危険を感じたオボロは血相を変えてどこかへ走り去っていった。彼を追うように二階からこちらを静かに見下ろしていたヘリオドールの姿も消えていた。
静寂の中、黒髪の少年とエルフの少女、新たな性癖に目覚めた中年がその場に取り残された。
「…………………」
「…………………」
「この人を医務室に運んだあとで、二人でパラケルススに行きましょうか」
「はい……」
住民課の課長を米俵のように肩に担ぎ上げた総司は、友人を見捨てる決意を固めたらしい。一方、憧れの人物のショッキングな姿を見てしまったフィリアの顔色は、しばらく悪いままだった。
そして、その頃、保護研究課では職員たちがある報告書を読みながら難しい顔をしていた。
ある地域に生息する妖精霊の調査結果。そこには今まで有り得なかった奇妙なデータが記載されていた。
「誤りはないんだろうな?」
「はい。何度も確認しましたが、間違いありません」
部下からの返答に、ジークフリートは眉をひそめる。この報告書を持って来たのは他国の役所の人間だったが、その人物も驚いていたらしい。
妖精霊が増えたことにより、あの不毛な大地が蘇りつつあるという事実に。
「しかし、どうやってあそこを浄化させたんだ? あそこは人間も踏み込めないような場所のはずだというのに……」
その場所とは、かつてアスガルドの支配を企てた魔族の王が根城にしていた大陸であり、多くの魔族の棲みかだった。
次回、ようやく久しぶりにあの人が出てきます。




