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66,線香花火

 ウルドの役所の休憩所。そこには、大量の紙飛行機に埋もれたヘリオドールの姿があった。総司が作ったものに比べると、見た目が悪い自作のそれを壁に向かって一つ一つ放っていく。

 カツン、カツンと紙飛行機が壁に当たって下に落ちる。その全く意味のない行動をヘリオドールはずっと繰り返していた。


「私は結婚出来ない……私は結婚出来ない……私は結婚出来ない……」


 紙飛行機が壁に当たる度にヘリオドールは「結婚出来ない」と呟き、新たな飛行機を手に取る。いつもは爛々に輝いているはずの金色の瞳は濁り切って、人間の心の闇を表面化させていた。

 休憩所に入ったジークフリートは同僚の痛ましい姿を目撃すると、無言で立ち去ろうとした。が、その同僚が「あら、あんたも休憩?」と声をかけてジークフリートの逃走を阻止した。逃げられない。

 ジークフリートは、なるべくヘリオドールから離れた席に座り、視線を窓へ向けた。しかし、カツン、という音と「私は結婚出来ない……」という呪詛は嫌でも耳に入ってくる。聞いている者の精神をじわじわと崩壊するような音と声に耐えきれなくなり、ジークフリートは口を開いた。


「ヘリオドール、お前何をしているんだ?」

「見りゃ分かんでしょ。総司君に作り方教えてもらった紙飛行機投げてんのよ」

「壁に?」

「あの壁を紙飛行機で突き破る事が出来たら結婚出来るの。最近役所で流行ってるおまじないよ……」

「え……」

「あ、また落ちた……私は結婚出来ない……」


 廃人を前にして、ジークフリートは何と言っていいか分からなくなった。その紙ヒコウキとやらは先日、総司が鑑定課や住民課の職員たちと飛ばしていた物体だ。彼らは独身であることなど全く嘆いていなかったし、そもそも青空に向かって飛ばしていた。

 とんでもない温度差を感じるし、誤った使い方をしているのは明らかである。禍々しい思いを込めて飛ばされる紙飛行機の気持ちを少し考えて欲しい。


「ああ、こんな所にいたんですかヘリオドールさん」


 そこに現れたのは総司だった。ヘリオドールを捜しに来たようだ。


「ヘリオドールさん、休憩時間に入るなり『今日こそはいける……このチャンス逃してはならぬ……』って言いながら消えたから、心配して捜してたんですが」


 総司はちらり、とヘリオドールを見て頷いた。


「元気そうなので安心しました」

「……………なあ、ヘリオドールに何か教えたか?」

「何かとは?」

「例えば、あいつに紙飛行機で壁を突き破れば願いが叶うとか」

「それは多分、オボロさ……オボロ君が面白そうと言って広めた噂だと思います」

「とめろよ! お前の上司本気で信じているぞ!?」

「いや、だって、まさか信じる人がいるとは思わなくて……」


 いるじゃないか。お前の目の前に。無茶苦茶な噂を広めたオボロが悪いのか、それを野放しにした総司が悪いのか、噂を信じて廃人となったヘリオドールが悪いのか、もう判断出来ない。だが、元はと言えば、こんなハードなおまじないを考え付いた者に原因があるのだから、やっぱりオボロが悪い。


「でも、壁を突き破るだなんてやっぱり無理ですよね」


 そう言いながら総司がヘロヘロの紙飛行機を取る。先程よりも集中しているのか、ヘリオドールがそれに気付く事はない。

 そんな彼女に、こっちの世界へ早く戻ってきて欲しいとジークフリートは思った。


「そもそも、どうしてオボロもそんな噂を流したんだか……」

「そうですよね」


 総司が紙飛行機を壁に向かってそっと、優しく投げる。

 カッ、と紙飛行機は壁に突き刺さり、隣を飛行していたヘリオドールの物はやっぱり床に落ちた。


「紙飛行機なんてせいぜい突き刺すくらいが精一杯です。じゃあ、僕は休憩時間なのでフィリアさんと花壇の手入れに行ってきますね」


 立ち去る総司をとめる者はいなかった。壁に刺さったままの紙飛行機もヘリオドールもジークフリートもピクリとも動かない。まるで休憩所内の時が止まったかのようだった。

 凍り付いたまま、ジークフリートはどうしてオボロが妙な噂を思い付いたのか、少しだけ分かった気がした。







 様々な花が咲き誇る役所の花壇。その前で一人のエルフが困り果てていた。


「か、返して! それ、ソウジさんからもらったものなの!」


 役所に所属する女性職員の中でも美少女と名高いエルフ・フィリア。彼女は巨木に向かって叫んでいた。

 その頂上付近には白い紙細工が枝に引っかかった状態になっており、周りには緑色の髪に蜻蛉のような羽根を生やした小人の少女たちがくすくすと笑っていた。少女たちは四大精霊の一つ『シルフ』で、風を自在に操ることが出来、風そのものとも言われている。

 ただし、妖精とは容姿だけでなく、悪戯好きな性格もよく似ていて、彼らと交流の深い保護研究課もこうして被害に遭うことは少なくない。


 総司からもらった紙飛行機を木の上まで風で飛ばされてしまい、フィリアは眉を八の字にする。ニールに頼めば、飛んで取りに行ってもらえるだろうが、彼を呼んでいるうちに紙飛行機に何かあっても困る。総司は「紙しか使わないし、簡単に作れますから」と言っていたが、フィリアにとっては紙で作ったものでも、とても大切なものだった。


「……こうなったら」


 自分で風を作って取るしかない。フィリアは瞼を閉じ、祈るように両手を握り合わせた。


「四大精霊シルフ。我に力を貸したまえ。風は哭き、風は叫び、風は咆哮する。混沌を薙ぎ祓い、清浄なる大気を蘇らせよ――」


 フィリアの優しい声での詠唱が空気を振るわせる。そして、次の瞬間、魔法によって生まれた強風が――


 ヒュウ……


 現れなかった。風は吹いたことは吹いたのだが、木の葉をほんの少し揺らす程度だった。枝と枝の間に挟まった紙飛行機は全く動かなかった。

 フィリアは瞼を開き、先程と変わらない光景に目にし、固まった。次第に翡翠色の瞳は潤み出し、頬は林檎のように紅潮していく。


「ふえ……」


 ここは役所である。仕事場である。そう言い聞かせて、必死に堪えようとするフィリアだったが、瞳からはぽろぽろと涙が零れていく。

 愛らしい少女が静かに泣く姿に、笑っていたシルフが皆焦った表情をする。風の精霊は決して汚れないように、破れないように、枝に挟めていた紙飛行機を浮かせようとした。

 その紙飛行機を背後から迫る人間の手が掴み取った。びっくりしたシルフが振り向くと、黒髪の少年、フィリアが慕う相手がいた。いつの間にか木に登っていたようだ。


「フィリアさん、取れましたよ。だから、もう泣かないでください」


 総司は木から飛び降りると、フィリアに紙飛行機を手渡した。総司の影からは申し訳なさそうな表情のシルフたちが目を丸くするフィリアを窺っていた。

 泣いている姿を見せてしまった、とフィリアは顔を更に赤くしてから、不安そうにする風の精霊に下げた。


「あの、ごめんね。こんなことで泣いちゃって……」

「……『あなたの大切なものを奪い取った私たちが悪い。あなたが謝る必要なんてどこにもない』と言ってますよ」


 エルフでも分からないシルフの言葉を総司が通訳する。

 それでも、フィリアの表情は晴れない。紙飛行機を取られて困っていたのは事実だったが、それが涙の理由ではなかったのだ。


「……ソウジさん、あなたに見て欲しいものがあるんです」

「何でしょうか?」

「私の魔法、です」


 そう言うと、フィリアは瞼を閉じて両手を前に出した。


「四大精霊サラマンダーよ。我に力を貸したまえ。ほのおは燃え、焔は焦がし、焔は憤怒する。混沌を焼き祓い、悪しき魂を清浄なる大地から排せよ――」


 フィリアの両手の前に小さな火の玉が現れる。彼女が使ったのは四大精霊の一つ、火のサラマンダーの力を借りた魔法だった。

 たとえ、火の玉が親指の爪サイズほどの小ささだとしても、立派な魔法であることには変わりはない。ないのだが、フィリアを半泣きにさせるには十分な結果となった。再び慌て始めるシルフを尻目に総司は火の玉をじっ、と見詰めたあと、フィリアに視線を向けながら口を開いた。


「とても綺麗です」

「あ、あ、あの、そういう事じゃなくて、でも、ありがとうございます」


 自分自身が褒められているような錯覚に陥ったフィリアは軽くパニックを起こした。しかし、そんな場合じゃないと首を横に振って冷静さを取り戻す。


「この魔法って本当は敵にぶつけて焼き尽くすものなんです」

「焼き尽くす……」


 総司は多くは語らずに豆粒サイズの火の玉を見た。例えるならば、ウトガルドにある線香花火ほどのそれに、敵を焼き尽くさせるのはあまりにも荷が重そうである。


「私、実は魔法を使うのが苦手なんです。エルフは魔法が得意なはずなのに……」


  萎縮するように火の玉は消えてしまい、フィリアも落ち込んだ表情をみせる。


オボロ「よくよく考えてみれば、紙をそんなまじないに使うくらいならラブレター書いて相手に渡した方が恋が成就する可能性高いよ……」

総司「ヘリオドールさんがオボロ君の耳を引きちぎりに来るらしいので早く逃げてください」


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