65.魔物退治
ウルド南部のとある森。かつては多くの精霊が棲んでいたことから聖なる森と呼ばれていたこの場所も、魔王戦争時代に悪しき魔族の手によって不浄の地と成り果てた。
水は濁り悪臭を放ち、植物は毒性の強いものばかりが育つようになってしまった。そんな場所に精霊や動物が棲めるはずもなく、いつしか不浄を好む魔物らの巣窟と化していった。植物が放つ毒素はあまりにも強く、魔王を崇拝する魔族の襲撃を逃れた近くの村にも人が住めない状態となり、森は長い間見放され続けていた。
だが、そんな淀んだ時はもうすぐ終わりを告げようとしていた。何とかしてこの森を救い、元の美しい場所にしたいと村に住んでいた者たちが考えるようになった。
そうは言っても剣も満足に振るえず魔法も使えない村人だけで、異形の化物を殲滅するのは到底無理な話だ。返り討ちされるのが目に見えている。
なので、彼らはある場所に助太刀を要請した。役所のクエスト申請課である。申請したとしても、依頼を引き受けてくれるかどうは別の話だ。それでも、村人たちは一縷の望みをかけて役所へ向かった。
村人の熱意が通じたのか、幸いにも依頼の引受人はすぐに見付かった。それは意外な者『たち』だったのだが。
「四大精霊シルフ。我らに力を貸したまえ。風は哭き、風は叫び、風は咆哮する。混沌を薙ぎ祓い、清浄なる大気を蘇らせよ!」
巣を守るべく森へと踏み込んだ侵入者どもへと一斉に襲いかかる狼型の魔物たち。その数十頭。村人のみであれば、一瞬で全員喉元を噛み千切られていただろう。
だが、人間の魔術師たちはその鋭い牙と爪を恐れようともせず、素早く詠唱を行った。それによって宙に出現する無数の風の刃が魔物を迎撃する。
狼型の魔物の体毛は高い防御力を誇っていたが、そんなもの全く役には立たなかった。風の精霊シルフの力を借りて精製された刃によって次々と切り刻まれていく。
断末魔と共に散っていく命。奥からは仲間の仇討ちとでも言うように更に多くの魔物が現れる。
「ちょうどいい。一気に出て来てもらった方が手っ取り早くて助かるよ」
魔術師たちの後尾にいた銀髪の男は愛剣を構えると、魔物の群れを強く睨み付けた。その冷たい眼差しに彼の部下である魔術師たちは一瞬だけ身震いをした。
普段、仲間や妖精霊に向けるような優しげな表情はどこかへ消え去っていた。その炎の剣で魔物を葬る事しか考えていないようだった。
魔物も男の睥睨に怯む事なく、獲物の喉元を狙って駆けていく。魔術師たちは先程と同じように詠唱を始め、男はなんと魔物に向かって突っ込んで行った。
飛んで火に入る何とやら。当然のように狼たちの意識は彼に集中し、喰い殺すべく多数で襲いかかった。
魔術師は誰一人として男を案じようとはせず、彼に反応せずにこちらへ迫る狼へと炎の矢を放つ。決して上司を敵の目を惹き付ける囮役だとは思っていなかった。むしろ、その逆だ。
飛んで火に入ったのは魔物どもの方だったのだから。
「バルムンク……」
剣の柄に埋め込まれた血のように赤い宝玉が輝き、それと同時に紅蓮の火炎が刃に纏わり付いた。
「行くぞ!」
火の精霊サラマンダーが封じ込められた火炎の剣バルムンク。その刃が一振りされた直後、男を取り囲んでいた魔物を紅い炎が飲み込んでいった。魔物は悲鳴を上げる事ものたうち回る事も出来ず、瞬く間に黒炭となった。
男は前方から次々と出現する狼を始末しながら走り続ける。クエスト申請課に提出された依頼状の内容が正しければ、この地にいるのは大して力も知恵もない狼だけではないはずだ。
恐らくまだ姿を見せていないその魔物こそが親玉。それを殺さなければ雑魚をいくら片付けても、依頼を完遂したとは言えない。
(しかし、何歳になっても体力は衰えないものだな……)
ドラゴンと人間のハーフである男の寿命は永く、若い見た目とは裏腹に実年齢は九十を超えていた。魔王戦争時代と変わらぬ動きを行う事が可能なのは、その血のおかげである。
純粋な魔族ではないものの、身体能力は普通の人間の上をいく。魔族でも人間でもないハーフが冷遇されていた幼い頃は自分の血を呪っていたが、今はそれを誰かのために使える事を誇りに思っている。
返り血を浴びる事なく、魔物を斬り裂きながら突き進んでいた男の足が止まったのはその時だった。あれほどたくさんいた狼の群れが姿を消す。
代わりにやって来たのは三メートルはゆうに超えるであろう単眼の巨人だった。手には所々赤黒く染まった棍棒が握られており、手下を殺された怒りを男に向けているようだった。
「課長! 我々も加勢します!」
「いや、俺一人でいける」
駆け付けた魔術師たちを男はやんわりと止めた。このぐらいの魔物を一人で倒せないようでは、あの二十年前の戦争を生き残る事など不可能だった。
(それにこんな図体だけの奴なんて暗黒竜に比べたら何ともないさ)
男はあの時の悪夢を思い出して苦笑した。
森に蔓延る魔物とそれを全て葬ろうとする人間。彼らの戦いの終わりを待ち、森の外でぽつんと佇む二人の人物がいた。
金髪に翡翠色の瞳を持ったエルフの少女と黒髪に漆黒の瞳を持った人間の少年だ。少女の方は憂いの表情で喧騒が続く森をずっと見詰めている。その事に気付いた少年はいつもよりほんの少し優しげな声で少女に尋ねた。
「皆さんが心配なんですか、フィリアさん?」
「はい……」
「大丈夫ですよ。保護研究課の方々は強い人達だってヘリオドールさんが言ってましたから」
「ソウジさん……」
想い人からの励ましの言葉に、フィリアは胸の中に渦巻いていた不安が、少しだけ消えた気がした。彼の言う通りだ。近頃、保護研究課には力のある魔術師も所属するようになった。
住民課にもオボロを始めとした魔術師は数人いる。しかし、全体的な戦力としては課長であるジークフリートが率いる保護研究課の方が上だ。
魔術師の志望動機も「再びウルドの大地を多くの妖精霊が棲める場所」にしたいというシンプルな内容だった。ジークフリートに近付きたいと小さな下心を持った女魔術師もいたが。
研究が主な仕事のはずなのに、メキメキと戦力を上げていった保護研究課は暇な時間さえあれば、不浄な魔物の巣窟と化した場所へ向かい魔物退治もするようになった。
その地を支配する魔物を消し、人間たちが浄化の魔法を使って大地をある程度癒す。そうする事によって棲みかを追われていた妖精霊たちが帰ってきてくれるのだ。人間の魔法でも大地から穢れを取り除く事は可能だが、自然そのものでもある精霊には叶わない。
しかし、あまりにも穢れ、荒れた場所には精霊は止まる事が出来ないので、土地の浄化には、まず彼らの居場所を作らなければいけなかった。
「でも……私……」
「フィリアさん?」
「……いえ、何でもありません」
自らの両手を見下ろし、フィリアは深い溜め息をついた。総司も深く聞き出そうとはしなかった。
村人が森に入らないように見張る係。それが総司とフィリアに与えられた仕事だったが、暇と言えば暇だった。やる事もなく、ずっと立っていれば色々と考えてしまう。まだ心が晴れない様子のフィリアに、総司は鞄から厚めの紙を一枚取り出した。
「……そういえばフィリアさんにこの前話しましたよね。飛行機っていうのが僕の世界にはあるって」
「え? は、はい。飛行機って魔法も使わず空を飛ぶ鉄の乗り物でしたよね?」
「はい。本当は実際に見せてあげたいんですけど、それは無理そうなので近いものをご紹介します」
そう言って総司は紙を折り始めた。それをフィリアは不思議そうに眺めた。総司の世界には『オリガミ』と呼ばれる芸術品があり、小さな子供でも気軽に作れるらしい。
総司は今までも一枚の紙から動物や花の作品を生み出していた。今回は何を見せてくれるのだろう? フィリアはわくわくしながら作品が出来るのを待った。
「出来ました。紙飛行機です」
「……これがヒコウキ、ですか?」
フィリアは瞬きをした。先端が鋭く、今まで見た事のない不思議な形状をしている。
「本物はもっとかっこいいですけど、これもちゃんと空を飛びます」
「ま、魔法も使わずにですか!?」
「使いません。こんな感じで投げるだけで飛ぶんですよ」
フィリアが期待している中、総司は紙飛行機をそっと空へと放った。
一枚の紙から生まれた紙飛行機は作者の手から離れた直後、真上に向かって飛翔した。高度はどんどん上がっていき、やがてフィリアの目には小さな点にしか見えない場所まで行ってしまった。
だが、次の瞬間、紙飛行機はくるりとUターンしたかと思うと、急降下を始めた。ゴオオオ、という音を共に凄まじいスピードで主の元へ帰還する作品。
総司が空に向かって手を伸ばすと、紙飛行機は突如速度を緩め、やがてその掌にゆっくりと着地していった。
「こんな感じです」
「す……すごいです! こんな事を魔法も使わずに出来るなんてソウジさんはやっぱりすごいです!!」
はしゃぐフィリアに先程までの暗い表情はない。
すると、森からも魔術師たちが出てきた。全員無傷だ。
彼らの最後尾には森を支配していた単眼の巨人を無事仕留めた保護研究課の課長の姿もあった。
「おかえりなさい皆さん! 怪我はありませんか?」
「全員かすり傷一つしてないよ。お前らこそ大丈夫だったか?」
「僕たちも平気です」
「それなら、よかった」
ジークフリートはほっとした様子で総司とフィリアの頭を撫でた。その光景をまだ課に入ったばかりの魔術師たちは恐々とした表情で見ていた。
「あの少年だよな……確かティターニア姫の護衛をしたって奴は……」
「どうしてそんな大物がユグドラシル城じゃなく、ウルドの役所にいるんだ……」
「あの目を合わせたら石にされそうな闇の瞳……どうしてジークフリートさんとフィリアさんは平気なんだ!?」
言いたい放題とはこの事だ。紙で作った何かをフィリアにプレゼントしている少年を見て、ジークフリートは苦笑いを浮かべた。本人たち的には護衛というよりは祭巡りだったし、アルバイトで役所に来ているからだし、石にもされない。
「はあ……」
大好きな総司からまた手作りの物を貰ったし、課のみんなも無事に帰ってきた。それでも『ある事』を思うと、フィリアの気分はやっぱり暗くなるのだった。
オタクの団結力




