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62.勇者に会いたい

「おい、聞いたかよ。隣の村が魔族にやられたって」


 やたらとでかいグラスに注がれたビールを飲みながら冒険者の男が話題を持ちかけてくる。顔は真っ赤に染まり、しまりのないだらしない表情。立派な酔っ払いである。酒場の隅で静かに酒を飲んでいたロキと面識は全くない。方やどこにでもいるような冒険者、方やこの世界の秩序を崩壊させようとしている魔王の配下だ。それは当然の事だ。

 無表情ながら不思議そうに首を傾げるロキは周囲からはただの細身の少年にしか見えなかった。この街の住民ではなく流れ者のようであるが、冒険者にとってなくてはならない武器を持っている様子はない。魔術師で杖は魔法で隠しているのかと思いきや、少年からは全く魔力が感じられない。酔っ払いにとっては隣席のロキは稀有な存在で、だからこそ話しかけてみたくなったのだろう。

 突然、酩酊状態にある見ず知らずの人間に絡まれたロキは思案した。それは傍目からは迷惑な客からどう逃れようか考えているように見えたらしい。酔っ払いと顔見知りの店員は「やめろ、困ってるだろ」と常連を諌めた。それに対して酔っ払いは口を尖らせた。


「俺はこいつが寂しそうにしてから話しかけてやっただけじゃねぇか! 何が悪いってんだ!」

「初対面の相手にそんな親切にしてる暇があったらさっさとツケの分を返してくれよ」

「そ、そんなもん明日にでも返してやるよ。魔王だろうとロキだろうとけちょんけちょんにして、あいつらの首を持ち帰って金に変えてやる!」


 痛い所を突かれて目を泳がせながらも酔っ払いは自身満々に言い放つ。それを聞いた他の客からは失笑が起こる。二人のやり取りはこの店の名物のようなものになっていた。彼らにしてみれば不名誉な話ではあったが。

 店内に響き渡る笑い声を聞きながらロキはゆっくりと口を開いた。


「隣の村の話。教えて欲しい」

「あー、おいおいガキ。こんな奴無視しときゃいいのに」

「よく言ったなガキ! 俺がお前のために酒を飲むのも中断して教えてあげるんだ。ありがたく聞け。そんでもって礼として俺のツケを払え」


 酔っ払いのあまりにも理不尽な要求に手を出したのはロキではなく店員だった。こんな子供にたかるなんて大人、いや人間失格だと思い切り後頭部を叩かれても、酔っ払いはへらへらと喋り出した。

 先日、隣の村が魔王を狂信する魔族の襲撃に遭い、壊滅した。村人のほとんどがたった一人の魔族によって虐殺され、生き残った者も後から傷の治りが悪く亡くなったり、家族の後を追って自ら命を絶った者もいた。魔族の目的は魔王への服従で村の村長は命欲しさにすぐにその要求を応えたが、その直後に魔族は愉しそうに人間を次々と殺していったそうだ。魔族にとって魔王や世界などどうでも良かったのだろう。ただ、自らの嗜虐心を満たすためだけに人間を殺したのである。

 しかし、その魔族は殺された。生き残った村人達をも手にかけようとしたところで、一人の男によって虫けらのように殺されてしまったのだ。


「お前信じられるか? そいつがあのロキだなんて……!」


 興奮気味に語る酔っ払いに「それで?」とロキはグラスに残っていた酒を一気に煽ってから聞いた。その薄いリアクションに戸惑ったのは酔っ払いである。もっと驚くと思っていたらしく、ロキの両肩を掴むとがくがくと揺さぶって来た。ビールの匂いが混じった息が顔にかかり、ロキの顔が僅かに歪んだ。


「それで? じゃねぇよ。もっと驚けよ、なあ! ロキだぞ魔王に仕える最強の配下だぞ!?」

「……驚いてる。お前達に」

「へっ?」


 その言葉に店内にいた全ての人間の視線がロキへと一気に注がれる。


「隣村が魔王の手下によって壊滅させられた。この街だって危ない。なのにどうしてお前達はこんな呑気に酒なんて飲んでいられる?」


 どうせ殺されるなら、その時が来るまで生きる事を十分に楽しむというわけなのだろうか。あの村で感じた興奮が一気に冷めていくようで、ロキは失望した。妻を凌辱されながら殺された人間の男は命を捨てる覚悟で自分や『元』部下に攻撃をしかけた。その狂気にも近い闘争心をここにいる人々は持っていない。

 少し苛立った口調で尋ねたロキに店員が苦笑しながら答えた。


「もう少しでこの町に勇者様がやって来るからだよ」

「勇者……あの異世界から召喚された人間の事か?」


 噂は聞いている。力が強大過ぎるが故に誰にも使う事の出来なかった劔族の剣を振るう剣士が魔王討伐を目論んでいると。現にその者によってそれなりに強い魔王軍の魔族が多くやられている。

 その勇者がこの町に。ロキは大きく目を見開いた。胸が熱くなる。鎮火しかけていた闘争心という名の炎が再び燃え上がる。


「勇者様も大変だよな……魔王の巣窟まで地道に旅をしているんだとよ」

「ドラゴンを使って移動しようにも、空で魔物や魔族の大群に攻められたら流石の勇者様にでもどうにも出来ないからな……」

「ガキ、お前も今日この街に来たばかりらしいけどよ、どうせなら明日までいたらどうだ? 運が良けりゃあ勇者様とお話し出来るかもしれないぜ?」


 酔っ払いが肩を組んで来ようとするのをロキは軽々とよけると、立ち上がった。懐から十数枚の紙幣を取り出して、空になったグラスの横に置く。近くにいた店員や客はざわついた。ロキが注文したのは安い酒。それもたった一杯。その勘定としてはあまりにも多過ぎた。

 他の客達も一斉にロキの周りに集まってテーブルの上にある紙幣の山を呆然を見下ろす。当の本人はその反応の理由を掴めず、訝しげに首を傾げる。


「隣の村の話を聞かせてもらった。だからそれの礼のつもりだった。……足りなかった?」

「そ、そ、そうだな! あともう二、三枚……」

「いい加減にしろ!」


 律儀に約束を守った少年に欲が出て更にもらおうとする酔っ払いを店員だけではなく、他の客も注意する。こんなにもらえないと奥から出て来た店長が札束を返そうとするものの、ロキは既に外へと続くドアの取っ手を掴んでいた。


「おい!」

「……戦争は楽しい方がいい」

「はあ?」


 どうして今そんな話を。眉間に皺を寄せる店員に一瞬だけロキは振り向いた。今まで穏やかだった菫色の双眸が爛々と輝いている。まるで獲物を見付けた肉食動物だ。背筋に冷たいものが走り、店員は思わず後ずさりをした。あの少年に深く関わってはいけない。本能的にそう感じた。


「……勇者がここに来る」


 その独り言はドアを開く時の引き攣れるような音によって掻き消された。客と店員達はしばらくぽかん、と口を開けたままだったが、やがて彼が残していった大量の紙幣の存在を思い出す。今の彼らにとって重要なのはあの少年が何者なのかではなく、この金が誰が受け取るかだ。

 少年がこれだけの勘定を払うきっかけを作った酔っ払いのツケを引いても大分残る。また、店側は一度受け取りを拒否している。となると、誰が受け取っても文句はないという事だ。ほろ酔いの男達は勝手に自分達に都合のいい解釈をした。

 その結果、何が起こるのか言うと。


「……これは全部俺のだ!」


 醜い争いである。


「ずりいぞ! 何枚か俺に寄越せー!」

「てめぇはもらわなくてもいいじゃねぇか! 更に金持ちになってどうすんだよ!」

「やかましい! 金ってのはいくらもってたってすぐに無くなるもんなんだよっ!」

「やめろお前ら! これはあのガキが代金として置いて行ったんだ! だから店のもんだぞ!」



 金の奪い合いはいつまでも終わらない。人間の嫌な部分をありありと見せ付けられた、静かに酒を飲んでいた客は顔を歪めた。店長もどうにも沈静化しない騒ぎに辟易するしかなかった。

 とんでもない事をしてくれたとあの黒髪に菫色の瞳の少年に愚痴ろうにも本人も帰ってしまった。店長は頭を乱暴に掻きながら酒の力も借りて極度の興奮状態にある彼らが流血沙汰を起こさない事をひたすら祈った。





 ロキは涼しげな空気が漂う夜の町をひたすら練り歩いていた。早く勇者と殺し合いがしたい。今日の所はもう休もうかと考えていたが、それも吹っ飛んだ。

 勇者は諦めが悪いだけではなく強い。ロキが理想とする相手。魔王に手を貸す事を決意したのも強い人間と戦えるから。そんな単純な理由からだった。

 あとはどうでもいい。弱い人間には手を出さないようにしているが、それも彼らを庇護するためではなく、弱いものいじめをしているようで面白くないからだ。魔王が世界を手に入れた時、人間を皆殺しにしろと言われれば実行するつもりだ。


「……………………」


 ふと、先程の酒場にいた人々の顔を思い出した。彼らは酒を飲みながらよく笑っていた。幸せそうに笑っていた。自分でもよく分からない苛立ちを覚えてロキは溜息をつく。彼らへ対する怒りではないのは分かる。

 ならばこれは一体。立ち止まり、ロキはこめかみを押さえた。


「あのー、すみませーん! この町に住んでいる人でしょうかー!?」


 背後から間延びした少女の声が聞こえてきた。

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