52.魔境探索
ほいこれ、と老人から総司に差し出されたのは一枚の紙だった。この館の地図でそれぞれの部屋の部分に『刀剣』、『弓矢』。『鎧』などと名前が付けられている。それを受け取りながらも総司は疑問を口に出した。
「ここの部屋がお店というわけではく、この館全体がお店なんですね」
「当たり前でおじゃる。ここは受付でおじゃる。武器なんぞ何も置いておじゃらんだろう」
「………………お茶と椅子を出した時のようにお客さんの要望に応えて魔法で商品をポンポンと出すものだと思っていたので」
つまんないなあ、とでも思ったんだろうなとブロッドは友人の内心を分析をした。声や顔に出さずとも数秒間の沈黙で何となく感じ取れてしまった。
たまに単純な思考を巡らせる彼を呆れはしない。ブロッドもそうじゃないかと予想していたからだ。
何か微妙な生暖かい空気を壊すためか、何も考えていないだけなのかリリスが地図を眺めている総司の背中に張り付く。
「ほらほら、がっかりしない」
「はあ」
「えーと……ソウジちゃん達は何が欲しくて来たの?」
「棍棒的なものが買いたくて。……この部屋に行けばあるんですかね」
総司が指差したのはこの部屋から二つ離れた『棍棒・ハンマー』と記された部屋だった。
「ちなみにお主が欲しい武器はどんな物なんでおじゃるか?」
「さあ?」
壮絶に投げやりな返答だった。実際、バットを欲しがっているのは総司自身ではなく、彼の友人なので仕方ない。
しかもその友人はこちらの世界ではなく、ウトガルドの人間。的な事をブロッドから説明を受けた老人は顔をしかめた。
「ワシもよく知らないでおじゃるが、向こうの世界の人間へのプレゼントをうちの店で買うなんて大丈夫でおじゃる?」
「斎藤君だから大丈夫ですよ」
老人の極めて正常な質問に総司は親指を立てて答えた。少年の斎藤君に対するその信頼は一体どこから来るのだろう。老人は頭を抱える。
斎藤君だって違う世界の武器なんぞ買って来られたら困ってしまうだろうに。
「では、行ってきます。お会計はこの部屋でいいんですね?」
「言ってらっしゃいでおじゃる。あと、何も買わなくてもここに戻ってくるでおじゃるよ。この店はワシの転送魔法以外では脱出出来ない仕組みになっているでおじゃるからな」
「脱出って言い方が怖いだ」
「商品の盗難防止のための魔法でおじゃる。まあ、お主ら性格はいいから心配いらないでおじゃろうが、一応言っておくでおじゃる。商品を持ったまま無理矢理店を出ようとするととんでもない事になっちまうでおじゃるから!」
悪戯好きの老人からの警告。恐らく相当とんでもない目に遭ってしまうのだろうとブロッドは身震いする。
「行きましょうブロッド君」
「う、うん」
総司が扉の取っ手に触れようとする。が、その前に女性特有の白い手が取っ手を握った。目を丸くする総司にリリスがにこり、と微笑みかける。
「リリスさん?」
「このお店は面白い商品がたっくさんあるのよ。案内してあげるから一緒に行きましょ?」
「え……リリス嬢ワシに会いに来てくれたんじゃないでおじゃるか」
明らかに落胆している様子の老人にリリスは舌を出して笑った。男を弄ぶ淫魔の笑みである。
「ごめんなさいねえ、今晩はちょっとこの子と過ごしたいの。お昼の時からずっとそうしたいって思ってたのよ」
「リリス嬢がそう言うならしょうがないでおじゃるなあ……」
「いいだ? そんなにあっさり納得してしまって」
「いいでおじゃる。別にワシはもうこの年でリリス嬢とはのんびりお話しするくらいでおじゃる。昔のようにがっついたりしないのに、まだお気に入り扱いしてもらってる事だけでもワシは幸せでおじゃるよ」
どこか哀愁漂う老人にブロッドは思った。この人と同い年ぐらいのうちの役所の所長は毎日毎日性欲に溢れており、全く枯れる様子もなく年中無休で咲き誇っている。
この差は一体どこから来てしまったのか。
「でも、ちょっと楽しみだったから寂しいでおじゃるなあ……」
老人の視線がブロッドに向けられる。嫌な予感がするとオーガが身構える。
「オーガ、ちょっとだけワシの喋り相手になるでおじゃる」
「別にいいけど……オラでいいだ?」
「いいでおじゃるよ。代わりにお主の欲しい商品割引にするでおじゃるから」
ジジイの話し相手になるだけで割引という嬉しいサービス。
快く頷いたブロッドは知らない。こいつ驚かせ甲斐があるでおじゃるな、と老人に嫌な気に入られ方をされている事を。
「それじゃあ、ソウジ君は先に行ってて欲しいだ」
「いいんですか? 僕もお話し相手になりますよ」
総司からの本末転倒にも程がある提案である。
それが現実のものになる事を防ぐため、リリスが少年の腕を掴んで強引に部屋を出ていく。
「まあまあ、ソウジちゃん。ここはおじいさんの好意に甘えて早く行きましょ。ね?」
「リリスさんちょっとそんなに急がなくても」
パタン。閉まるドアの音に訪れた静寂。老人は名残惜しそうな目で、二人の出て行ったドアを見た。
「やっぱり嬢も若い男の方がいいでおじゃる。ワシもそろそろお気に入りを卒業した方がいいでおじゃる……」
「な、泣いてるだ? おじいちゃん泣いてるだ!?」
顔を俯け、体を丸めて啜り泣きを始める老人にブロッドは慌てて駆け寄った。何とかして慰めようと背中を擦ってやる。
泣かないで欲しい。そんな気持ちが伝わったのか、しばらくすると老人の嗚咽が止んでゆっくりと顔が上げられた。
「きゃあああああああああああああああああああああ!!」
「キヒヒヒ、お主やっぱり面白いのう」
老人の顔面からは目、鼻、口が無くなって皺だらけの皮膚があるだけだった。俗に言うのっぺらぼう状態にブロッドは絹を引き裂いたような悲鳴を上げた。
総司とリリスが受付の部屋を出ると、そこは長い廊下になっていた。しかし、先程とは違って今度は壁際に月の光の硝子玉がいくつも取り付けられ、ぼんやりと照らされている。部屋もいくつも並んでおり、武具屋というよりも宿屋のような内装になっていた。
常連であるリリスは地図には目もくれず、鼻唄を歌いながら長い距離ではない廊下を歩いていく。総司もリリスに腕を掴まれたまま抵抗する事なく、律儀に彼女の後を付いて行った。
「この店で一番凄い品物を見せてあげる。この部屋にあるの」
リリスが開いたのは『弓矢』の部屋の扉だ。受付部屋は普通の民家の居間と変わらない造りをしていたが、そこにはいくつかの棚やテーブルに弓が陳列されているだけだった。専用の矢が必要なものは弓の脇に置かれており、それぞれ商品の前に置かれた立て札に価格が表示されている。
あの老人の悪戯の被害に遭っただろう先客が既に数人、商品を眺めている最中だった。その中の男性客全員の視線が大人しそうな少年と現れた妖艶な美女へ注がれる。
その事に気付いたリリスはゆっくりと総司の腕に自身の両腕を絡ませ、体を密着させた。今晩はお相手がいるの、ごめんなさいね。そう言うように。
男達は妬みの込もった目で総司を睨み、総司はリリスの突然の行動に目を丸くしていた。
「……どうしたんですか?」
「なんでもないわあ。ちょっと寒くて人肌が恋しくなっただけ。ソウジちゃん温かいわね」
「リリスさん薄着ですからね。上着貸してあげますから、これ着ててください」
「……あら」
総司がリリスの体を引き剥がし、制服の上着を脱いでそれを差し出す。リリスは黒い上着と白いワイシャツ姿の総司を見比べた。ただの口実に過ぎなかったのだが、こんな返し方で来られるとちょっと申し訳ない。
まあ、ここは素直に甘えようとリリスは上着を受け取るとそれを羽織った。まだ持ち主の熱が残っていてほんのり温かい。
「ありがと、ソウジちゃん。その姿もかっこいいわよ」
「ありがとうございます。ところで、一番凄い品物というのは……」
「あれよ、あのピンク色の弓」
リリスが指差したのは部屋の中央にある巨大な硝子の箱に入った薄紅色の弓だった。その脇には金色の矢と灰色の矢が並べられている。
「あれはね、エロスの弓矢って言って人の心を変える力を持つの」
「人の心を?」
「そう。金色の矢に射られたら目の前の人を好きになっちゃって、灰色の矢に射られたら目の前の人を嫌いになっちゃう。女の子ならみーんな欲しがる力を持った弓矢なの」
「それは凄いですね。リリスさんも欲しいんですか?」
「勿論。だっていくらサキュバスのフェロモンを使って相手を誘惑しようとしても、不思議と効かない人もいるんですもの」
つん、とリリスは人差し指で総司の胸を優しく突いた。
「気付いてない?」
「はい?」
「ふふっ、気にしないで。でも、そういう人は心が強い人だから魔法の弓矢の力を使っても振り向いてくれるか分からないわねえ」
男性客は核心には触れようとしないその会話に首を傾げるばかりだったが、女性客は目の前で起こっている出来事に叫びそうになるのを耐えていた。
男女の駆け引き。さりげなくアプローチしつつも現状を楽しむ年上の女と、気付かぬ振りをして優しさだけを与える年下の男。彼女達の脳裏ではそんな図が出来上がっているらしい。
総司が別の弓を見て「かっこいいですね」と呑気に呟いている事など知ったこっちゃない。ちなみに総司曰くかっこいいらしい黒色の弓の名は『命を貪りし者』。矢で射った者の体力を吸収して自分のものにしてしまう恐ろしい効能を秘めていた。
そんな高校生が持つべきではない、しかし中二心を擽られる物を凝視しながら総司が鞄から財布を取り出した時だ。ぴょこん、と少年の黒髪が一房天井に向かって勝手に跳ね上がった。
「あら、ソウジちゃん髪……」
「え? 今僕の髪に何か起こっているんですか」
総司が自分の髪の異変を調べるべく、後頭部に触れようとするとその手が別の物体に触れた。
「……随分大きな虫が僕の頭に止まっていたようですけど、これの事ですか?」
「ソウジちゃんそれ虫じゃないわ」
リリスの言葉を証明するかのように頭の上に止まり、黒髪を某妖怪アンテナにして遊んでいたそれが飛び立ち、総司の目の前に姿を現す。
それは掌サイズの水色の髪の少女だった。ハイエルフのように頭部からは二本の触覚が、背中からは蜻蛉のものと似た薄く透明な羽根が生えていた。
不思議そうに首を傾げる少年に小さな少女は穏やかに微笑みかける。その細い脚には真っ白な包帯のような布が巻かれていた。
次回予告。
総司、ドン引きする。




