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49.闇夜の館

 薄く淡い青色を上から黒い絵の具で一面塗り潰してしまい、そこに無数の光の粒を撒き散らしたような空だった。中央では地上を見守るかのように白とも黄色とも言えない色彩の月がぽっかり浮かんでおり、柔らかい光を放っている。昼間に見せる太陽と違い暖かさは感じられないものの、どこか安心する光だ。

 窓からそれを眺めていたブロッドは、向かい側の席に座る少年も同じように夜空を見詰めている事に気付いた。


「どうしただ、ソウジ君?」

「いえ、星がたくさん見えるなぁと思いまして。しかもこんなに近くで見られるとは」

「喜んでもらえただ。それは良かっただ」


 ブロッドは満面の笑みを浮かべる。隣の都市であるスクルド。目的地である『闇夜の館』はその中心街にある。仕事を終えてから行くとなると時間がかかるという事で馬車を頼む事になったのだが、ブロッドが選んだのは今乗車中の『空飛ぶ』馬車だった。

 雪のように清らかな純白の毛並みと、天使を思わせる翼を持つ空を駆ける馬『ペガサス』。この馬の馬車は今夜のように満天の星空が広がる夜に用いられる事が多い。こうして移動している最中に夜の景色を堪能出来ると好評を博しているのだ。


「でも、良かったんですかブロッド君」

「だ?」

「僕の買い物に君まで付き合わせちゃってすみません」

「謝らないで欲しいだよ~。オラもソウジ君に見回りの仕事手伝わせちゃっただ」


 友人からの謝罪の言葉にブロッドは顔の前で手を横に振った。元はあのオーガの店主の店に行くのを怖がっていたブロッドに頼まれて総司が同行する事になったのだ。

 彼にもそのついでに友人への土産を探すという目的があったにせよ、次は自分が総司に付き合おうとブロッドは決めていた。それにブロッド自身も闇夜の館に行きたいと思っていた。


「闇夜の館は本当に珍しい物がたくさん売ってるらしいだ。オラも一度行ってみたかっただ」

「? 行った事ないんですか?」


 首を傾げる総司にブロッドは急に真顔になった。


「あのお店の店主めっちゃ怖いだよ……さっきのお店のオーガの店主とは比べ物にならないくらい……だ」

「分かりました。では、怒らせてしまわないように気を付けましょう」


 そう言ってまた窓の外へと視線を向けた友人の横顔に、頼もしさを感じてブロッドは力強く頷いた。あの元冒険者であるらしいオーガの店主でさえ、二人が店を出る時に「やっぱり止めといた方がいいぜ」と止めた店に今から行くのだ。

今までずっと興味はあったものの、まだ一度も入店はした事の無かった闇夜の館。ライネルに一緒に行かないかと頼んでも、「俺はまだ死ぬわけには……」と断られた。以前、ありったけの勇気を振り絞って一人で行った事はあるが、結局中には入れずに逃げ帰ってきた。


(が、頑張るだよ……!)


 ブロッドは唇を噛み、意気込んだ。








「どんな所かと思ってたんですけど、ウルドとあまり変わらないんですね」


 馬車から降り立ち、周囲を見回した総司の最初の感想はそれだった。彼の言う通り、スクルド中心部はウルドの街並みと酷似している。都市の要となる役所が存在し、数々の店が立ち並んでいれば人も多く集まる。日が暮れた後だというのにあちらこちらから喧騒が聞こえてくる。夜になれば、宿屋や飲食店だけでなく、酒場に娼館と言った夜の店にも人が入り込む。


「そこのお兄さーん。うちの店で楽しんでいかない? 美味しい酒と綺麗なお姉さんがたくさん揃ってるよー」


 ピンクや赤などの色をした光の球体に照らされた店の前で客引きを行っていたのは、浅葱色の髪をしたサキュバスだった。肌の大部分を露出した際どい格好で異性を引き寄せるフェロモンを漂わせ、声を掛けられた男達が次々と鼻の下を伸ばして店へ誘い込まれていく。彼らはこの後、一時の享楽と引き換えに財布を軽くする事になる。


「あっ、オーガのお兄さんもどう?」

「えっ!?」


 その店の前に通り掛かると浅葱色のサキュバスがブロッドの丸太のような腕に抱き着いた。むにゅり、と柔らかく温かな乳房の感触と鼻腔に侵入してくる甘い香りに純情なオーガの体温が急上昇する。

 ブロッドは童貞だった。サキュバスにとって一番扱いやすいタイプの『カモ』である。浅葱色のサキュバスは罠に掛かった獲物を前にぺろりと唇を舐める。果実のように赤い舌が柔らかそうな唇を濡らす光景さえもブロッドを惑わせた。


「ね、いいでしょ? うちの店のサキュバスってみんな逞しい男の人が好みでね、お兄さんが来てくれたらみんな喜ぶと思うんだよねえ」

「え、えっと……」

「お酒なんて飲まなくていいから! お話相手になってくれるだけでもいいから……」


 首を傾げながらの潤んだ瞳での上目遣い。ブロッドが堕ちた瞬間だった。全身を真っ赤に染めたオーガの足が店の入り口へと向けられる。その瞳はまだ見ぬ世界を夢見てきらきらと輝いていた。


「ね、そっちの黒髪のお兄さんも早く早く!」

「行きません」


 既に堕ちたブロッドの腕に抱き着いたままサキュバスは、彼の連れである少年に声を掛け、あっさりと断られた。表情一つ変えずあっさりと。

 そんな彼女の援護射撃をしたのはまさかのブロッドだった。洗脳を受けた童貞オーガは早く店に入りたい一心で友人を道連れにしようとする。


「ソ、ソウジ君怖がらなくても大丈夫だ!」

「え? 怖がってるの? 可愛い~」

「怖がってません」

「だったらソウジ君も入るだよ! ね!」


ね! ではない。浅葱色のサキュバスも一気に落としにかかろうとブロッドから離れて総司の背中に思い切り抱き着く。密着した部分から伝わる体温に思うところがあったのか、「それじゃ、少しだけですよ」と少年が言う。その言葉にサキュバスは内心でほくそ笑む。少しだけと言ってはいるが、所持金全てを貢がせるつもりだった。そんな腹の黒い思考を悟られないようにと、天使の微笑みを浮かべて更に総司にくっ付く。


「でも、どうせなら皆さんで楽しんだ方がいいですよね」

「え」

「あ……あそこにいる女の人達ウルドの方にある役所の職員さんで僕の知り合いなんですよ。あの人達も誘いましょう」

「はぁ!?」


 向こうから歩いて来る数人の女性に手を振ろうとする総司に浅葱色のサキュバスが媚びを一切取り払った苛立った声を上げる。サキュバスの色香は女性には通用しないのだ。

 先程の甘やかな声からの豹変ぶりにブロッドが驚いた顔を見せ、サキュバスは我に返った。ここで少年を怒鳴ってしまえば周囲からの注目が集まる。そうなれば皆警戒して客もとい獲物が近寄らなくなってしまうだろう。店の収益を優先して満面の笑みを浮かべると総司から素早く離れた。


「あっ、ごめんね~。ちょっと急いでやらないといけない仕事あったの思い出しちゃった。ボウヤ達の相手してる暇なかったの~!」

「え……えぇ!?」


 店内に逃げるように去って行ったサキュバスにブロッドが困惑と落胆が混じった声を上げる。だが、その数秒後、不思議そうな表情を浮かべながら首を傾げ始めた。


「あれ……どうしてオラあんなにこの店に入りたいって思っただ……?」

「さあ。でも、入りたくないなら入らなくてもいいじゃないですか。早く闇夜の館に行きましょうよ」

「う、うん……そういえばソウジ君ウルドの役所の人達がいるって言ってなかっただ? どこにいるだ?」


 総司の言う役所の女性を捜すが、ブロッドの知る人物はどこにもいない。少年が視線を向けていた方向を見ても数人の女性が夕飯を何にするかで揉めているだけだった。


「……サキュバスの人達が苦手にしているのは同じ女の人だとヘリオドールさんが前に言っていたので」

「……もしかしてオラ危ない目に遭ってただ?」

「多分遭ってたんじゃないですかねえ」


 ブロッドを助けるために嘘を付いたらしい。あの愛らしい淫魔の言われるがままに入店していたらどうなっていたか。総司に感謝しつつ、顔色一つ変えなかった事に感嘆する。


「ソウジ君はどうして何ともなかっただ? オラなんてふわふわ~って気持ちになったのに」

「まあ、明らかに狙ってるなあって感じたので」

「ご、ごめんなさいだ……」

「謝らなくてもいいですよ。僕も最初は綺麗だなって思いましたから」

「えっ、ソウジ君でも女の人に興味持つだ!?」

「僕も男ですから女の子が可愛いと思ったり、綺麗だって思ったりします」


 歩きながら答える総司にブロッドは浅葱色のサキュバスの豹変の時以上に驚愕した。彼からこんな男らしい言葉を聞くのは始めてだった。


「ち、ちなみに好きなタイプは!?」

「それは……あっ」


 総司が立ち止まった。ぽかん、と口を開けて目の前の建築物を見上げている。ブロッドも恐る恐るその『店』へ視線を向けた。迫り来る恐怖と戦いながら。

 それは店、というよりも古びた館だった。あちこちが崩れ掛けた灰色の外壁。割れた窓の向こうは闇に包まれており、夜だというのに照明は点いていないようだった。穴が数ヶ所開いた屋根には何匹も烏が止まり、ギャアギャアと鳴き声を上げている。

 そして、玄関の扉の横に設置された蜘蛛の巣にまみれた看板に書かれた『闇夜の館』という文字。


「……僕達ここに入って呪い殺されたりしないですかねえ」


 ぶるぶると震え出すブロッドの横で総司が小さな声で呟いた。

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